メッセージ歴史かしら仕組み
外題紹介資料館




今田人形操り始めの古文書
 今田村の各種の文書を書き写した「覚書」の中に、今田人形の起こりについて記した「当村操始之事」と題する文書があります。これによれば、1904年(宝永元年)7月に氏神祭礼をにぎやかにするために、野池村から人形と幕を1両1分で、京都から人形13組を3両1貫26文で買って、操をはじめたことがわかります。

昭和15年の掛け舞台
 氏神大宮八幡社における皇紀2600年祭の上演風景を撮影した貴重な古写真です。拝殿の横に仮設された舞台は、木材を渡した手すりにムシロを貼り、後ろに背景幕を吊しただけの掛け舞台で、拝殿の縁に太夫と三味線が座っています。人形遣いの持つ人形は「奥州安達原 袖萩祭文の段(おうしゅうあだちがはら そではぎさいもんのだん)」のものでしょう。前庭に敷き詰めたムシロには大勢の子供たちが座り、舞台の方を見入っています。

神老のかしら
 今田人形を代表する古がしらの1つです。顔は彫りが深く、大変個性的な造形です。おだやかな目と色の白さが善役の老人であることを示しています。頭髪も眉と顎ヒゲも植毛という古い技術が用いられ、江戸時代にさかのぼることがわかります。



Copyright (c) 2000-2006 IIDA CITY OFFICE. All Rights Reserved.