人形劇カーニバル飯田は、国際児童年(1979)に始まりました。全国のプロ・アマを問わない人形劇を愛する仲間が、伝統人形浄瑠璃や伝統芸能の宝庫と呼ばれる飯田市に集まってきました。人形劇人の市内パレードやウインドウ人形展など、カーニバルならではの企画が次々生まれ、参加劇団も年々増えてきました。
そして1986年にはアジアの人形劇人が集まって初めての本格的な国際人形劇フェスティバル、ウニマ・アジア会議を開催しました。
1988年に開催した世界人形劇フェスティバルは、カーニバルの10周年の年でもありました。人形劇場のオープンやウニマの本部が置かれているフランスのシャルルビルメジェール市との友好都市提携など、人形劇カーニバルによって飯田市は国際交流都市となりました。
1987年、民間ユネスコ40周年記念表彰をいただいたのをかわきりに、カーニバルは次々といろいろな賞をいただくようになりました。
1988年には、モービル児童文化賞とサントリー地域文化賞を相次いで受賞し、同じその秋には全国自治体の中から優れたまちづくりを表彰する、国土庁長官賞にも輝きました。翌年には長野県知事表彰を、1992年には国際交流基金地域交流振興賞をいただくなど、人形劇人と市民とが一体になったこの祭典が高い評価を得るようになりました。 |
こうして飯田市は国際的には「人形劇のまち、飯田」として、多くの人形劇の方々に愛されるようになりました。第15回のカーニバルでは、こうした人形劇団や人形劇人の方々への感謝と、いつまでも続く友情を表す記念モニュメントをつくりました。
1988年には、20回を記念して飯田市単独による世界人形劇フェスティバルを開催しました。この祭典には、人形劇人と飯田市民による選考の結果、大変素晴らしい作品をもった劇団が参加しました。人形劇カーニバルは全国の人形劇人が大集合する祭典から、優れた芸術としての人形劇が一堂に会する祭典へと発展したのです。
人形劇カーニバルがこのように発展、継続できた要因としては、一つは発足当時、イベントを競う時代的背景があったこと、つまり、時流にのったこと。二つ目には芝居を好む伊那谷の人々の気質と地域分散 型行政組織と結びついたこと。三つ目としては、人形劇人と子どものために優れた文化をと願う市民とその要望を実現させようとする行政の三者の歯車がうまくからみあったことがあげられています。 |