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恒川遺跡群(ごんがいせきぐん)出土品

ページID:0034095 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年7月7日更新

◆平成25年8月9日 市有形文化財指定

◆内訳

  墨書土器(ぼくしょどき)  7点

  陶硯(とうけん)       88点

  瓦(かわら)         15点    計110点

◆飯田市座光寺出土   飯田市教育委員会蔵

 座光寺地区の国道153号の両側に広がる恒川遺跡群では、奈良時代から平安時代の信濃国(しなののくに)の10郡の一つ、伊那郡を治めていた役所である伊那郡衙(いなぐんが)の遺構(過去の建物などの痕跡)が発見されています。郡衙の遺構が確認された区域の主要な部分は「恒川官衙(ごんがかんが)遺跡」として国の史跡(しせき)に指定されています。史跡を含め、恒川遺跡群からは数多くの遺物が出土していますが、特に墨書土器や硯(すずり)、瓦は伊那郡衙に関係のある遺物として市の有形文化財に指定しています。

墨書土器

墨で文字や記号が書かれた土器を墨書土器といいます。特に奈良時代から平安時代に多くみられ、恒川遺跡群からも数多く出土しています。このうち、「官」と書かれたものは、役所の所有物であることを示します。「厨」と書かれたものは、郡衙の給食施設である「厨家(くりや)」を示すと考えられます。また、「信」と書かれたものは「信濃」を示す可能性が高いものです。これらの墨書土器は、郡衙の存在を示す有力な証拠です。

「官」墨書土器「厨」墨書土器

          【「官」墨書土器】                       【「厨」墨書土器】 

陶硯

陶器製の硯(すずり)です。恒川遺跡群から出土した硯は、伊那郡衙で働く役人が使っていたものと考えられます。硯として焼かれたものが84個体、他の目的で焼かれた土器などを硯として再利用したものが4個体あります。この出土量は全国的に見ても極めて多く、伊那郡衙が普通の郡衙以上の仕事量をもち、とても重要な役割を果たした役所であったことを物語っています。

硯

      【恒川遺跡群から出土した硯】

伊那郡衙のうちで、税として納められた稲を保管した正倉院(しょうそういん)の周囲に掘られた溝の中から出土しました。様々な種類の瓦があり、奈良・平安時代に建てられた倉の中に、瓦が葺かれた格式の高い建物があったことが分かりました。瓦葺きの倉が確認された例は少なく、中部地方では初めてです。

瓦

       【正倉に葺かれていた瓦】


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