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平成25年度飯田市社会教育委員活動集

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月2日更新

 飯田市社会教育委員の活動報告を掲載しました。

 平成25年度の社会教育委員の皆さんの活動から、様々な視点でご報告頂いております。当市の社会教育、生涯学習の多様性を表す内容となっております。ぜひご覧下さい。

 また、飯田市社会教育委員会議の1年間の活動記録も合わせて掲載します。

平成25年度社会教育委員活動記録  (PDFファイル/564KB)

社会教育委員の報告

「出会い・ふれあい・学びあい」            
                                                     座長  中島 正韶

 定年退職後、公民館をはじめとする地域の自治活動にかかわり、また、この地域の研究文化団体の役員として諸々の研究事業や演奏活動に参加してきました。そのため、頻繁に社会教育施設である文化会館・美術博物館・考古博物館・公民館・図書館・鼎文化センター・地元のコミュニティーセンター等を、研究大会・講演会・シンポジウム・例会・演奏会・定期総会・役員会などに使用させて頂いております。

 伊那谷研究団体協議会・伊那谷地名研究会・南信州文化財の会・伊那史学会・伊那谷民俗学研究所・上郷史学会や、飯伊合唱連盟の合唱団あかいし・飯伊童謡・唱歌をうたう会などです。その他に上郷下黒田東コミュニティーセンターで、「子ども図書館」を毎週金曜日に開き、地域研究会(地名研・自治研)なども行っております。このような<出会い・ふれあい・学びあい>の営みが、私にとっての社会教育なのであります。直接的な公民館や自治活動以外に、少ない月でも6回は社会教育施設を使用しています。使用時間は、曜日に関係なく午前・午後・夜です。社会教育施設と施設職員のお蔭であります。

 文化会館には、通年使用団体専用の状差しがあり情報交換が能率的に行われるシステムや通年使用団体の共同倉庫も助かります。公民館の社会教育認定団体の代表者会議も、公民館使用の申し合わせの徹底や使用団体からの要望を吸い上げて頂く有効なシステムがあります。美博の「年間パスポート」「ポイントカード」制度も嬉しいことです。

 社会教育施設には様々な課題があります。耐震性・駐車場・安全管理、学芸員・司書等定数及び人材確保、研究会や演奏会に相応しい施設内外環境整備など、さらには文化会館改築の将来展望など、短期的、中・長期的な課題とその対応が求められています。文化のないところに人は集まりません。「されど箱物」の願いをどう具現化していくか大きな課題があります。人口減少社会の学校設計ともにからんで、学校教育施設・社会教育施設・福祉医療施設等との複合化も視野に入れていかなくてはなりません。

 社会教育委員を引き受け、この間、「社会教育委員とは」「社会教育委員会とは」「年数回の会議のあり方は」と考えてながら努めてきました。第1回会議では、重点取組に「ボランティア人材の発掘と地域の担い手となる人材の育成」等を加えるよう提言。第2回会議では、各委員が自分の活動にふれながら市の社会教育への願いや思いを熱く語り合いました。飯田市は広域であり課題を設定しての研究会議の継続開催は困難性があるものの、社会教育に優れて有効な研究調査テーマの設定を模索する方向での話し合いを継続することになりました。私は、改歳を期して、現在進行の『第5次後期基本構想』の社会教育関係分野の学習と点検を進めながら、『第6次構想』を展望しようと、漸く一歩踏み出したばかりであります。

 今期の委員会は12人(内10人が新任)構成です。私たちは「はじめの一歩」を確かに踏み出しました。さぁ!2年目に向けて!

 

「学校に勤務する立場から」            
                                                   副座長  渋谷 章二

 社会教育から離れるが、学校に勤務する立場から地域の方々の思いにふれてみたい。

 遠山地区にあるW小学校では、以前から飼育するウサギがけんかしたり脱走を繰り返したりすることから、新しいウサギ小屋の建築を望んでいた。しかし、ウサギの穴掘りにも耐えうるものとなるとかなりの金額となり、実現できなかった。そんなとき声を上げてくださったのが退任していくPTA会長さんであった。地域の建設会社や企業に呼びかけ資材を提供してもらい、自らもボランティアとして小屋を完成するという計画であった。実現にはしばらくかかったが、土台のセメントやブロック、建築のプロが呼びかけに応え、休日を利用して昨年の12月に完成をむかえることができた。それぞれが児童のために積極的に関わっていただいたことに頭が下がる思いであった。しかし、この方々とお会いするのはここだけではなかった。遠山地区の大切な文化である霜月祭りに於いても中心となり、神々に祈りを捧げる方々でもあった。当然、それぞれの職業においても活躍する方々である。ときには楽しくお酒を酌み交わすこともあった。ただ子ども達のために尽くすだけでなく、自分のやっていることを楽しんでいるようにも思えた。この遠山という故郷の中で、自分の生き方に誇りを持ち、地域やここに育つ子ども達を大切に、明るく生き抜いている方々であるのだと思う。

 このような方々が生活する地域の中で、学校教育は期待に応えているのだろうかと改めて感じさせられた出来事であった。社会教育に取り組んでくださっている方々も、地域のため、これからを生きる子ども達のため、そして自分自身の生き甲斐として活動してくれているのだと思う。学校という立場から、地域と共に生きるあり方を改めて考え、実践していこうと思う。

 「人形劇の街で生きる 私の生涯学習」         
                                                     委員  今村 幸子

  「小さな小さな人形劇場」と銘打って、2014年3月9日(日)、団地の集会所で今年度最後の人形劇を上演しました。演じたのは、私が担当する山本小学校日本語教室に通級する中国関係の子供達、一年生から六年生までの9名です。人形劇フェスタ公演

 夏の人形劇フェスタ参加と違って、今回の上演はセリフの半分位を中国語で話します。彼らの祖父母は満州開拓から帰国した方々で、三歳の時点で中国残留であるなど、日本語が不自由な場合が多いようです。A君が、「お爺ちゃん達に一度も学校に来てもらったことが無い」と発言したことがきっかけで始めた「団地集会所での人形劇」も五年目になりました。

 飯田市二ツ山団地には、中国残留の家族が多く暮らしています。彼らの父母も日本語が十分ではなかったりすることから、地域の行事や学校のPTA活動に協力的ではなかったのですが、子ども達が人形劇を発表する様子を見て、地域や学校での活動に少しずつ理解を深め、良い関係が築けるようになってきました。

 また私は、教職の他に「いいだ人形劇フェスタ」の副実行委員長をしています。

 夏に開催する同フェスタは、全国一を誇る人形劇の祭典で、上演会場は140ヶ所以上、四日間で延べ400ステージを行う、国内では唯一無二の存在です。16年前、前身の人形劇カーニバルから「市民の人形劇の祭典を」という理念のもとに、いいだ人形劇フェスタの立ち上げに加わり現在に至っています。

フェスタ公演観客 県外からIターンした私にとって飯田の地は友も無く、子育てに追われる日々が続きました。下の子が小学校三年生になった時に転機が訪れ、教育委員会から社会教育指導員にと話しがきました。各公民館の家庭教育学級を担当し、それがきっかけで人形劇に出会い、その後、飯伊の小学校で臨職として学級担任をしながら人形劇を柱に子ども達とクラス作りをしてきました。教員は学校という組織の中で一日を過ごし、他分野の方々と出会う機会はほとんどありません。私にとっての「いいだ人形劇フェスタ」の魅力は、人々との出会い・人々との繋がりです。中学生や高校生のボランティアスタッフは、飯田の地を支えてくれる頼もしい未来の波です。夏休みに帰省しスタッフとして働いてくれる大学生、進学校に通いながらもフェスタのボランティアの為に夏期講習の日程を変更させた高校生、フェスタ期間中、着ぐるみに入って己に打ち勝つ勇気を身に付けた中学生。彼らの働きぶりを人形劇フェスタを介して見ることはこの上もない喜びです。

 また、『どうしたら人形劇の楽しさを多くの方々に伝えられるか?』、『人形劇は子ども達のものと考える大人にどうすれば劇場に足を運んでもらえるか?』を一年中考えています。

 建築業からお弁当屋さん、デザイナー、保育士さん等々、様々な職種の方と同じテーマで話し合ってきました。私が教員オンリーだったら出会えなかった仲間です。

 「人形劇がある飯田が好き」、「私の故郷は人形劇の街 飯田だに」と、この地を離れても「飯田大好き」の想いをもってもらうためにも、多くの市民と繋がって「人形劇の街いいだ」の魅力を広げていきます。

 私にとっての生涯学習は、人形劇を介して人と繋がることです。

「生涯・学習」
                                                     委員  今村 光利

 公民館主催の文化祭、模擬店の手伝いに先輩から駆り出されたのがきっかけで公民館委員となって八年が経つ。恩師でもある館長の推薦委員だったが、当時は行事の手伝いに参加する程度だった。文化副委員長となった頃、住民自治基本条例に基づいて「地域協議会」や「まちづくり委員会」が発足、公民館もまちづくり委員会の構成メンバー「公民館育成委員会」として再編された。それまでは館長推薦の公民館委員と各町内の公民館係とで運営されていたが、四十ヶ町を十八のブロックとして選出された委員による運営に変わった。私の町内ではそれまでの四人の委員(しかも体育委員長と同副委員長、係と私)がひとりとなった。中心となって企画運営してきた推薦委員と数こそ変わりはないが、多くのベテラン委員が去った。それでもこれまでと同様の事業・企画、寄せられる意見や要望も慣れないながらも維持してきた。が、今まで以上に「まちづくり」の他委員会との連携が求められるようにもなった。公民館活動の多くが、例年並の事業、日程に合わせた準備と運営に追われる様相となった時、私の中に湧いた疑問「果たして公民館の目的は何なのか」。

 「公民館はイベント屋ではない」「まちづくりの人足じゃない」と委員から声があがるようになる。もちろん地区行事・事業を成功させることも目的のひとつではあるのだが、社会教育法にあるように「実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする」社会教育機関としての公民館本来の目的を再確認し、今では委員会議で常にそのことを第一義において話し合うようにしている。目的に合わなければ時として持ち込まれる事業を扱わないことも、それ以上にその事業が公民館の目的「社会教育」の一環事業として扱えるように求めた。事業の成功や量的評価は副産物である。事業の企画運営を通して、その話し合いの中で住民の相互理解を深め、地域の課題を掘り下げ、今ある現状から何を提案できるかを目的に据えるようにしている。

 数年前、地域協議会での意見から「放課後こどもプラン」が公民館に持ち込まれた。放課後帰宅しても保護者のいない児童の居場所として「児童クラブ」があるのだが、それ以外の児童も「まちなか」には居場所はなく、保護者から不公平との要望があがった。先行する他地区の例が参考に出されたが、企画からスタッフの確保、万が一の保険をどうするか、等などいずれにせよ負担のかかる事業である。ノウハウが無いわけではなく「夏休みこども教室」で経験済み。ただ必ず出るのが受益者負担、送り迎えや会費など保護者PTAに相応の負担を求める声があがる。そもそもその余裕がないからこその要望なのだが。地域で育つこどもたちの受益者は誰かを説いた。当時「地域のこどもは地域で育てる」をスローガンに掲げていた「まちづくり委員会」の理解を得、まちづくり主催の地区事業として地区外自由区から通う児童も含めた全児童を対象にした「放課後こども教室」が発足した。心配していたスタッフは地元の育成部OBを中心に地域のお年寄りが多数集まり懸念は払拭された。いつも調整役で苦労の絶えない主事だが、昨年自ら提案した飯盒炊爨は二年目の今年も随分賑わっていた。

 「国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。」この生涯学習の理念にはリーダーは不要、一人一人が主人公である。今年、これまでの役員による企画委員会から文化体育両委員会議を企画委員会にし、委員長を無くして座長とした。会議を決定事項の連絡の場や意見や主張の場でなく、自由に話し合い、互いの話の中から模索し思考する場となるよう試みている。

 社会教育の成果?・・・何の取り柄もない小市民の私が、代打でつとめた史跡めぐりの京都旅行ガイドをきっかけに「温故創新」の講座がはじまり、市民大学の運営委員や講師、モーニングウォーク代表をもう何年も続けている。社会教育委員となった今、振り返ってみると、「公民館は社会教育の場」にもっとも感化され、教育されたのは私かも知れない、とあらためて思う今日この頃である。

 「飯田子どもまつり」について               
                                                     委員  植松 敏明

 今年で40回目をむかえる「飯田子どもまつり」は4月20日、四季の広場で開催されます。

 これまでは竹とんぼや弓矢などの竹細工、5寸釘を熱し叩いてつくるペーパーナイフ、生地を竹の先に付けてのパン焼き、段ボールを使った迷路や芝すべり、木切れ細工、間伐材での丸太切り、ウォークラリー、そして道路いっぱいにチョークで落書きなど、実行委員自身がやってみたかった企画だったり、例年好評だったものを、実行委員と当日スタッフの人数を考え目一杯行ってきました。今回はあれもこれもではなく、内容を絞り深く広くやってみようかと、昨年12月に立ち上げ、検討し準備をしている最中です。

 「飯田子どもまつり」は、1975年、子どもたちの健やかな成長と未来に夢を託し「子どもの本研究会」と、当時発足間もない「飯田子ども劇場」を中心とした人たちによって図書館のバックアップをうけて誕生した、参加費無料の年一回のイベントです。初回は寄附を集めて開催しました。

 2回目からは教育委員会との共催になり育成会や自治会などの動員で、最大時には10000人ほどの参加者を集めたこともありましたが、5~6回をピークに、徐々に行政に頼り、行政主導になりがちな傾向もあらわれ、そのうち運営もマンネリ化し始め、組織の力で動員していた実行委員は減少していきました。

 そこで図書館、子ども劇場の青年たちを中心に、たとえ規模は小さくなっても、動員でも義務でもなく、実行委員一人一人が、楽しみながら企画し準備をして、当日の実行まで行えるような、また新しい仲間を増やし、毎日の暮らしのエネルギーになるようなそんなまつりをめざして、個人を中心とした実行委員会に組織を改めていくことになりました。

 さらに事務局を図書館・教育委員会から、飯田子ども劇場へ移しました。市からの補助金をうけ、教育委員会職員も一市民として実行委員に加わり、市民自身の創意と工夫によって途切れることなく40年にわたって開催され続けてきました。

 「ボクら飯田の元気なおとな」、「子どもと一緒になって遊びたい人・子どもたちに遊びを伝えたい人・ガキ大将になりたい人・みんなガキ大将」を合言葉に「あそびの教室」を企画し実行委員のスキルアップと新しい実行委員確保の取り組みも始めました。

 このところは500~1000人ほどの規模で行われています。

 子どもたちは遊びを通して成長します。健やかな身体と、豊かな感性を育て、さまざまな知識、そして多くの人と関わることにより生きる力を学びます。

 「・自分で創造する喜びを味わう・仲間とともに遊ぶ喜びを味わう・親子での参加を通し共に活動する喜びを味わう」の三点を中心にすえて、実行委員は「子どものために」という義務感ではなく、「実行委員自身も楽しめ、実行委員自身がやりたいこと」を基本に、参加した子どもたちにとっては「受け身ではなく、普段の家庭ではできない遊び、自分で作り持ち帰って遊べる」ように企画を考えてきました。

 当日は地元の短大生やその日だけの助っ人なども加わり、年齢も職種もさまざまなスタッフが一つになって取り組みます。

 参加する子どもたちは、家族、友だちといった普段の身近な小集団ではなく、保育園、幼稚園、学校、学年を越え始めて出会った知らない者同士がともにその時・その場を共有します。付き添いだけのつもりで参加したおとなたちも自分の子どもや孫だけではない関わりが生まれます

 のこぎり、小刀、なた、ハンマー、火などを使い、普段では「やってはいけません」と言われそうな遊びは、子どもたちにとって非日常の行為であり、ワクワク、ハラハラ、ドキドキするような体験です。しかもそれは子どもだけでなくおとなたちも刺激し、それを仕掛けた実行委員たちをも興奮させる楽しい時間になります。

 こうしたさまざまな関わりの中から、子どももおとなも、さらに実行委員たちも教え教わり一人一人が気づかないうちに「自己実現」させ自分のみならず他をも成長させているのではないでしょうか。

 実行委員にとって、職場も地域も年齢も性別も違う人が、仕事以外のことで損得を抜きにして集まり、共に語り企画し、無理をせずほんのちょっぴり背伸びをして実現させていくことの充実感は楽しく大切な経験です。子どもたちをはじめ参加した人たちが楽しい一日を過ごし、自分自身も楽しむことができたことが、喜びとなって充実感を生み、毎日の生活のエネルギーになっていると思います。当日だけのスタッフにも同じことが言えます。

 しかし飯田子どもまつり実行委員会にとって、今後の大きな課題は、どの団体でも共通した事かもしれませんが、新しい実行委員の確保です。新しく加わってくる人もいるにはいますが入れ替わりもあり、なかなか大幅増に至っていません。

 子どもまつりは数千から1万人規模になった時、市民の自主的な活動のレベルでは働きながらの、余暇では手に負えません。しっかりした行政のサポートがあったらばこその規模なのです。悪く言えば「行政主導」でした。市民は行政の「足」になりかかっていました。そこには多分に「マンネリ」への落とし穴があり、創意と工夫が無くなってきていました。

 そこで実行委員会はあえて規模は小さくなっても身の丈に合った自分たちの手作りの運営に戻しました。行政は補助金と人を援助しましたが口は出しません。この関係が今なお続き(補助金は2回減額がありましたが)、「やらされる」のではなく楽しんで自分たちがつくるという自覚を持った「市民主導」のまつりをつくり上げています。

 ともかく、こうした市民自らの地域活動への参加は、飯田という「まち」に活力を与え、より魅力あるまちづくりに一役かもしれませんが果たしていると思うのは言い過ぎでしょうか。

「 社会教育委員活動に参加して」              
                                                     委員  甲斐 茂人 

 今年度、社会教育委員として連絡協議会や各種活動に参加させていただきました。

 学校教育の現場ばかりの私にとって、地域の社会教育活動に関わる機会も少なく、生涯学習教育の立場から、地域で様々な活動をされていることを知り改めて感心させられました。

 飯伊地区社会教育委員連絡協議会中北部ブロック研修会では、喬木村の社会教育委員会の活動について知ることができました。子どもの脳が危ないということからそれに関わる講演会が3回、子どもの育ちを支える取り組みとして(1)ノーテレビ・ノーゲームデーのアピール(2)外遊びの充実(3)安心して遊べる環境整備(4)親に対する啓発など21年度から取り組まれているということに感心させられました。

 後半では「喬木村から世界の平和を考えるワークショップ」と題して、誰でもが簡単にできる「貿易ゲーム」という簡易ゲームを通して、人間関係づくりやコミュニケーションづくりを学ぶことができました。初めての方同士でもすぐ相談して考え、交渉し成果を振り返ることができるゲームで、いろいろな場面に使うことができると思います。

 喬木村は有名な椋鳩十先生の生誕の地であり、母と子の二十分間読書を推進されているとのこと。また、6月9日をむくの日、8月10日をはとじゅうの日と定められ、全村一斉読書の日として取り組まれていることにも驚かされました。

 本校でも「結いの日の家庭読書」を始めました。ご存じのとおり飯田市では毎月第3日曜日を「結いの日」と位置づけ、親子のコミュニケーションを高めるために、「読書」「体験」「あいさつ」「会話」の活動を推進し、「結いタイム」としています。飯田市のほとんどの小学校で「結いの日」に家庭読書を行っているとお聞きしています。そこで本校でも12月の読書旬間を機会に家庭読書を提案し始めています。結いの日以外でも、テレビを消して親子を始め、兄弟姉妹、一緒に住んでいる皆さんで取り組んでみようと呼びかけています。12月の達成率は30%でした。

 結いの日といっても中学校は部活動や社会体育活動もあり、なかなか時間を都合することが難しいところでもありますが、できるところから実践していきたいものです。

 「自然の中での子育ち親育ち」  
                                                   委員  上河内 陽子

 飯田市で生まれ育った私が都会で初めて母となったとき、幼いころから親しんだ豊かな自然が同じように子の原風景となることを願いUターンしました。同志の母親たちと里山で育児する自主保育サークル“みっけ里山ほいくえん”をつくり親子・仲間で約6年間、泥んこ遊び・たき火・虫とり・木登り・山登り・川遊びなどをダイナミックに満喫できました。自然体験への需要は大きく、現在、活動は認可外保育所“野遊び保育みっけ”へと引き継がれたほか、小学生や未就園児の自然体験活動へとつながり広がっています。

 末っ子が保育園に入園した今年は、月2回の未就園親子対象の活動にスタッフとしての参加の機会に恵まれました。最終日のアンケートには参加者から次のような回答が寄せられています。

 「とても歩けないと思った天竜峡の散策路(全長2キロ)でしたが、娘が最後まで歩き驚きました。途中にまつぼっくりやどんぐり、雪を見つけ、さらに何かないかと歩みを進めるうれしそうな姿は、日常には見られないものでした」(2歳ななみちゃんのママ)

 「集団の中ではいつも受け身で抱っこでないといられないのに、自然の中では抱っこもせず楽しそうに自分から遊べました」(2歳りとくんのママ)

 「買ったおもちゃではなく、自然の中での遊びや、泥んこになり虫を発見することが大好きなことが分かりました」(2歳ひよりちゃんのおばあちゃん)。

 五感を拓いてすべてを受け入れていく幼な子にとって、プラスティック製のカラフルなおもちゃは魅力的ですが、地球上の自然物こそ何にも勝る宝物なのだと改めて感じます。子供たちは遊具のないただの原っぱでも想像の世界で、石ころ、段差、葉っぱを何かに見立てて遊び続けていました。そして大きいのは仲間の存在です。

 「自分たちだけでは散歩や外遊びはできないが集団の力はすごい」

 「お友達となら意外な力を発揮する」

 これは大人も同様で、さまざまに変化する四季の自然の中で育児の悩みを打ち明け合い、ちがう子供たちと触れ合うことで、「自分の子の性格を発見」し、「子育てに大切なことを見返すことができ」、「日々のイライラが浄化され、心が晴れやかになる時間」となり、受容の力が育まれていくように感じられます。

 ふるさとの作家・椋鳩十先生が子供のころに眺めた夕日で真っ赤に染まる山々ように、私の心にも南アルプスの稜線が幾重にも織りなす景色が大人になるまで輝き続けました。ふるさとの自然の中で親や友達と手をつないで歩いた子供たちは、やがて同じように親となったときに再び自然を求めて帰ってくるのでしょうか。情報化がすすみ一瞬で世界中の人とつながる多忙な現代ですが、社会に出る以前の幼な子と親が自然の中で共有する泥んこ体験は、一石五鳥にも六鳥にもなる宝物を秘めていると思ってやみません。

 

「自然、歴史・文化の誇れる里づくり」への取り組みと思い
                                                               委員  小島 稔

 当地域が、地域の豊かな自然や歴史・文化遺産を貴重な資源として認識し活用するとともに、守り育て次代に引き継げるような里づくりを進めようとの考えが住民共通の課題となったのは、基本構想(平成19年〉策定からである。その策定過程から、地域の自然、歴史・文化面への関心も高まり、様々な提言や新たな活動が展開されるようになった。

 活動の進展に伴って、「自然、歴史・文化の誇れる里づくり」を進展させるには、地域全体に目を向けた総合的な取り組みが必要であること、また団体間の密接な連携、そして自治会や行政との一層の協働が不可欠であるなど、その課題が語られるようになった。

 そこから地域の文化振興の中核になって、地域住民の地域への誇りと愛情を深め、地域の文化度の高揚に資する役目を担って、平成21年「歴史を学び地域をたずねる会」が生まれた。より公共性を持って取り組めるように自治会の特別委員会に位置づけられ、この会の下、既成団体に新たな活動団体を加え、7部で下記のような活動を展開してきている。

「麻績史料館」の管理・運営、文書・民族資料の整理・保存(可視化)

 地域の自然、歴史・文化などの調査・研究、諸資料の収集

 地域資源(文化財・自然など)の掘り起こし、整備保存・利活用

 地域資源を学ぶ講座などの開設、語り部の育成

 多面的な活動の展開であるが、それぞれの団体の発想を大切にし合って協働してきた結果、自治会の「基本構想前半期取り組み実績」〈平成24年〉では、評価点72、5「概ね実施できた」との評価であった。

 主要な遺跡には看板や道標も設置でき、環境整備も住民の手で続けられている。遺跡などの史跡指定も市教委の努力により成り、恒川遺跡の国指定も確実になった。また、「麻績史料館」の資料整理も進み、地域資源の保存・継承の面での成果は大きかった。

 誇りと愛着を持って郷土座光寺を語り行動する人の存在こそ地域の宝。ふるさと意識の醸成のために、「座光寺マップ」の出版、講演会や様々な学習会、展覧会なども開催してきた。しかし、住民の認識の深まりは今一歩、リニア新幹線を見据えた地域づくりとの関係的な捉えも深まっていない。意識醸成は、在地研究者や後継者育成と共に今後の大きな課題として残されている。

 私たちの地域は、2000年の歴史を顕著に示す遺跡、大門原などの縄文・弥生遺跡、高岡古墳群、元善光寺、南本城城址、耕雲寺羅漢門、麻績校舎などが集積し、正に「2000年ロマンの郷」、人を惹きつける魅力ある地である。国史跡恒川遺跡はその中核、交流人口増大につながる最大の資源と捉え、リニア時代に備え、その資源を最大限に生かす方途を描き示さなくてはならない。

 そのためには、住民一人一人が、研究者の言に耳を傾け、先進地に学び、今一度地域を見つめ直し、広い視野に立って将来像を再構築することが必要である。恒川遺跡の「保存管理計画」の策定作業も計画されている。どのような地域を作るのか考え発信し行動するのは今である。幸い、壮年団修了者たちが具体的な行動を起こし始めている。かって、基本構想策定を契機にして、地域づくりの活動が盛んになったように、地域づくりの論議が沸き起こることを期待したい。そのような地域の中でこそ後継者が育成される。地域を思って活動を続ける人々の姿が、後継者を生む力になるのであろう。

「 生涯学習は誰にも公平である」   
                                                     委員  小林 賢二

 私が公民館の役員をしたのは、今から40年ほど前のことである。当時30代前半の自分がいきなり文化部長を仰せつかった。鼎の中の下山分館という地区での分館活動が公民館との付き合いの始まりであった。分館長がいて事業といえば数年前に始まった「区民運動会」が、将に一大事業としてあっただけだった。

 さて、文化部長を仰せつかったものの、何をしたらいいものか皆目見当もつかなかった。部員はいたが部員会を開いても集まってくれなかった。これはまずい何の為の文化部長か、自問自答し苦しんだことを覚えている。そこで、分館長と相談して、それでは分館の新聞を出してみようということとなった。分館長と文化部長の二人三脚で創刊号が出来上がった。新聞の体裁を考え、割付、原稿依頼、校正何もかもが初めての経験で、無我夢中であった。印刷が上ってきて分館長と二人で区内配布の準備で刷り上った新聞の封をといた時のあのインクの匂いは、実に新鮮で充実感を感じた匂いで今でもその匂いが鮮明に甦ってくる。私の生涯学習の原点がここにある。

 その後部員会を開けば部員が集まってきてくれ、経験したことのない新聞つくりに取り組んでくれるようになり、その作業を結構楽しんでいてくれたように思った。波紋が少しづつではあるが広がっていく様を感じた。この新聞は今でも発行され地区の情報紙として区民に楽しまれている。その後自分も鼎の本館の新聞つくり、その他各種団体や高校の同窓会報、最近では区の新聞つくりとずっと新聞つくりに係わり本当に数え切れないほどの学習をさせて頂いた。

 そして、数年して地区での文化祭を立ち上げた。これも手探りであったが、参加してくれた区民の皆さんの充実した参加意識に触れやはり始めてよかったとつくづく感じたことを覚えている。更に1~2年遅れて芸能祭を始めた。これは文化祭を始めたところ、分館の芸能クラブで技を磨いていた人達から「私達の発表の場も作って欲しい」という主旨の強い要望があり始めた次第である。このスタートなど手探りもいいところであったが、段々発展し今では鼎文化センター大ホールを借りて開催するほどになっている。

 下山分館では前述した「運動会」「新聞発行」「文化祭」「芸能祭」の4大事業が40年以上に亘り今でも成長を遂げ継続されている。我々が始めた事業が永永と受け継がれ成長し続けていることが、素晴らしいことでありこれらの場面で学習できる機会は区民の誰にも与えられている。学習するかしないかは、そのことに取り組むか取り組まないかの差であると思う。生涯学習は誰にも公平であると感ずる所以である。40年という年月は半端でない気がする。今その中心になって事業を推進しているのは我々の子供の世代である。パソコンもスマホもいとも簡単に使いこなす若者達である。 

 昨年、私は下山区長として「下山区民会館」を竣工させた。その祝賀行事として新会館で公民館主催の「文化祭」を開催してもらった。紙面の関係で詳しい内容は書けないが、私の子どもたちの世代の公民館員の開いてくれた文化祭は見事でなんとも嬉しかった。

 

「市民大学講座に関わって」  
                                                     委員  永井 祐子

  昨年縁あって市民大学講座の運営委員として参加した。市民大学講座の存在は毎年秋の始めに回覧にチラシが入るので一応知っている程度の認識だった。時には興味が引く講座もあったが参加するまでには至っていなかった。

 運営委員が講座の内容を決めるというので、私の聞きたい講座や講師を選べるならと、気楽に運営委員を引き受けて、初めての会合に参加して下心は粉砕された。

 市民大学講座は伊那谷の自然と文化をテーマに30年ほど続いている。毎年秋から冬にかけて8回前後の講座で内容は当地域の生物、植物地学などの自然、文化、歴史、経済、社会活動等多岐にわたり、講師は概ね地元の専門家である。都会のカルチャーセンターの文化講座とは違うのだ。

 市民大学講座が開講し、受付を手伝い、毎回2時間近くの講座を聞いた。時々脳がきしみ、睡魔にも襲われる事もあったが周囲の参加者の熱意には圧倒されるものがあった。参加者の平均年齢は70代後半、参加者は毎回70人前後、多くは市民大学の開講当時からの参加者であろうと推察される。講義が終わると質問を求める挙手がいくつも並ぶ。鋭い質問には講師もしばし、絶句、という場面が毎回展開されることに驚いてしまった。閉講後改修されるアンケートにも小さい文字でびっしり、感想や提言が書かれている。

 長年の市民大学講座によって培われた質の高いこの聴衆は生涯学習の完成型、理想の姿なのだと実感。美術博物館、図書館、歴史研究所等々でもそれぞれ講座が開かれているが伊那谷の自然と文化という括りで多彩なメニューを提供するのが市民大学講座の特徴でもあり、魅力なのだ。私たちなら興味のある講座を一つか二つ参加と言うところを彼らは長年の経験で専門家の話は聞けば有意義な事を知っていて、連続講座に耳を傾ける。質問も縦横無尽、引き出しの多さを感じさせる。実行委員にならなかったら聞かなかったであろう、外来種の秋の虫や満蒙開拓の歴史、中央構造線、廃仏毀釈と地元の話だけに講座の後には周りの景色を見る目も違ってきた。そして、地元の話と言って侮るなかれ、どれも日本全体につながる話なのだ。

 しかし、多いときは200人近くいた市民大学講座の会員も高齢化と後継者難で100人を切るようになってしまった。私が所属する図書館の研究会のメンバーにも声をかけたが、反応はわずかだった。私自身、実行委員でなかったらと自分に問うとそこまで参加したかどうか心許ない。20代から40代の市民を対象にした学びの講座も企画されているので市民大学講座のように長く続いて育ってほしい。

 今回市民大学講座に関わって、未知の世界に出会い、知ることを楽しみとしている方々と身近に接してこれからの指針を示して頂いた。

 

「社会教育からの視点」  
                                                     委員  西森 六三

 リニア時代が現実のものとなってきた今日この頃、行政をはじめ各所で「リニアが開通した時には・・・」なる話はあるものの具体的な形の見える話が出てきていません。

 そこで、社会教育の面からリニア到来までに望むことを二つ書いてみます。

 先ずは「文化都市飯田」を宣言しているのに各種の文化的イベントが出来る大きな会場が無い、現在の飯田文化会館も旧規格にてステージは狭く大仕掛けの機材の使用が出来ない。座席は小さく足元が狭く長い時間の鑑賞が困難な構造となっている。収容人数も最低でも2千人収容できる規模にしていただきたい。都会から1時間と掛からない場所に2千人規模のイベントホールがあることにより各種のコンサートや劇・芝居等の生の芸術を次世代の子供たちに触れさせるためのフィールドを準備することが必要と思われる。

 次に、スポーツ施設についてはJリーグなどの試合が誘致できるようなギャラリー施設の整った総合グランドとVリーグやB   Jリーグなどのプロの試合や全国レベルの屋内スポーツの大会を開催できる屋内競技場の必要性を感じています。子供たちがプロの試合を直接観戦し同じフィールドで練習や試合ができる喜びは何物にも代え難い体験となることでしょう。北信では長野市に中信では松本市に上記に価するような施設がありますが南信には中途半端なスポーツ施設しか無くイベントを仕掛けられるような施設がありません。スポーツによる誘客・流動人口の移動を促す交通の利便性の良い場所にリニア到来と三遠南信全線開通によって下伊那地域は成り得る場所となります。

 これを目標期日として、南信州の文化・スポーツの基盤整備を望みます。

 「地域の力を引き出そう ~科学体験で~」   
                                 委員  三浦 宏子

 13年前、新聞で小中学校を巡回する科学おじさん「後藤道夫先生」の記事が目に入り、楽しそうな科学実験に心がワクワクしました。同時に科学教育ボランティアスタッフ募集の掲載があり、参加を決めました。これが私と「南信州おもしろ科学工房」の出会いでした。初めは、自分自身の楽しみの為。たった2枚の長方形の厚紙で作るブーメラン。戻ってくるはずがないと考えていたブーメランが、羽根を調整することで、ぐるっと大きく回って手元に帰ってきた時の感動。子ども達の指導は二の次でした。後藤道夫先生のサポートをする中で、子ども達の目の輝きに、集中力にビックリさせられ、こういった日常の感動を体験することが、科学への興味を湧かせ、創造力を高めることに繋がると感じました。

 そんな中、大人たちの反応も素晴らしいものでした。子ども以上に目が輝き、熱心に聞いっています。そこには、子どもの時に体験したことのない感動を、今!!体験し、その驚きと感動を人に伝えたい、という思いがみうけられました。後藤道夫先生が目指した「子どもにも、大人にも、楽しい科学」がここにありました。

 私は、リーダーとしてどうしたらこの活動を長く続けていけるか。活発な活動が出来るのか。常に考えてきました。「おもしろ科学工房のスタッフのできることは限られていますが、地域の人を巻き込み、地域の人に科学の楽しさを伝えれば、大勢の科学スタッフができ、飯田市のあちらこちらで科学の体験活動が始まるのではないか。」と考えました。実際興味を持った人たちの間で活動が始まり、公民館の後援、または主催で、科学体験教室が盛んになってきました。この活動の輪は、地育力として地域の中に活力を与えているような気がします。子ども達にとっても地域住民とのかかわりが、数々の体験のはばを広げています。

 一昨年から、新しい試みとして飯田市立図書館とのコラボ企画を始めました。図書館では科学月間として科学関連本の展示やお楽しみ会での科学実験を行い、おもしろ科学工房の理科実験ミュージアムでは、関連本を読みながら科学実験を行う「理科読」という手法をとりました。子ども達は、本の内容を実際に体験することにより、より身近に本の内容を理解し、さらにどうしてと考えるようになります。私はこのように飯田市の様々な活動と横のつながりを作り、「子どもにも、大人にも、楽しい科学」をとおして、協働の精神に基づき、さらに魅力的な飯田市にできればと思っております。

 かざこし子どもの森公園の理科実験ミュージアムは、4月から11月までの土日開催しております。全国の中で、これだけの科学体験イベントを定期的に行っているところは、とても珍しいです。さくらんぼ狩り、リンゴ狩りを目的にしながら、科学体験をも目的に、飯田市に訪れる方々が増えてきています。このように、県外からの人を呼び込むこむ原動力にもなれればと思います。地域の差別化が必要な今、この科学体験教室はとても良いアイテムになると思います。


平成25年度社会教育委員活動記録 (PDFファイル/564KB)

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