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今田人形座[今田人形の歴史]

ページID:0000742 印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月18日更新

今田人形の歴史

 今田人形が始まったのは、江戸時代中頃の1704年(宝永元年)のことです。
黒田人形は1688~1703年(元禄年間)を始とする伝承がありますが、起源の実年代が明かな人形座としては、今田人形が伊那谷で最も古いといってよいでしょう。
2003年(平成15年)に300年目を迎えました。この間に盛衰はありましたが、人形に熱中した人びとによってずっと支えられてきたのです。

西暦年号出来事
1704年(宝永元年)

 

今田人形はじまる。村中で金を出し合って、氏神の例祭を賑やかするため人形などを買い求め、操の奉納を始める。人形操がまだ一人遣いの時代。(大坂の竹本座で近松門左衛門の『曽根崎心中』が大評判になった翌年)

1826年(文政9年)この頃、氏神様のお祭りに操振付や三味線弾き、人形細工人などを外部から呼んだりして人形操を奉納した。
1839年(天保10年)この頃、今田村は3月15日八幡大神宮、7月27日諏訪大明神、8月15日伊勢大神宮の氏神定例のお祭りに村中で一日中人形操を楽しんだ、この頃は外部から指導者など呼んでいないと役所へ届け出ている。
1844年(天保15年)

 この頃は頼まれて他村へ出張興行し大好評を博した。

1877年(明治20年) この頃まで盛んに他村へ出張興行に出る。
1888年(明治21年)この頃は3月15日と8月15日の氏神例祭に人形操を奉納していたが、この年人形のかしら57個をはじめ衣装、小道具など一式を他村から買い求め、新たに一座を結成した。
1897年(明治30年)氏神大宮八幡社拝殿改築の際、人形舞台を取り壊す。
1916年(大正5年)阿波の天狗屋久吉に依頼して古かしらを塗り変える。
1944年(昭和19年)第二次大戦ころ太夫1人、操3人の古老のみ4人になる。
1950年(昭和25年)この頃から古老4人で持ちこたえた伝統を受け継いだ座員で、村の芸能祭や出張興行にでる。
1952年(昭和27年)今田人形を公民館人形部にして再建をはかる。この年10月から戦後の氏神大宮八幡社例祭の人形奉納が記録される。(翌28年から春4月、秋10月)
1955年(昭和30年)今田、黒田、早稲田人形で「伊那人形保存協議会」結成。
1956年(昭和31年)第1回「伊那人形保存協議会合同発表会」開催。10月、新しい試みとして『夕鶴』を上演。若者が加入する。
1967年(昭和42年)11月氏神大宮八幡宮昇格記念公演を盛大に催す。
1973年(昭和48年)この頃から氏神例祭への操奉納は10月の秋季例祭のみになる。
1975年(昭和50年)12月文化庁から伊那の人形芝居(今田、黒田、早稲田)の1つとして今田人形保存会も「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択される。
1976年(昭和51年)今田人形保存会発足。
1978年(昭和53年) 竜峡中学校に「今田人形クラブ」発足。今田人形座が指導する。
1979年(昭和54年)この年から保存会活動として寄付、補助金を集め、かしらの修理、化粧直しを徳島の大江巳之助氏に依頼する。衣装も新調する。10月の秋季例祭に新しい衣装を披露する。
1980年(昭和55年)この年から淡路人形座から師匠を呼んで研修会を始める。10月15日の秋季例祭で化粧直しの済んだかしらを披露する。
1982年(昭和57年)飯田市郷土美術館(天竜下り弁天港)で人形劇カーニバル飯田への民間からの初の協賛事業「伊那谷操り人形かしら展」と今田、黒田、早稲田の三座の上演で人形劇人を招待する。
1983年(昭和58年)

 8月6日人形劇カーニバル飯田・オープニングセレモニーで今田人形座初の新作、こどもたちにも分かりやすい『小太郎物語』を初演。これを契機に「人形劇カーニバル飯田」「今田人形」への関心が高まる。
11月『小太郎物語』は地元の龍江小学校から頼まれて「ゆとりの時間」に上演。はじめて今田人形に触れた小学生に大きな感動をもたらした。後日飯田市内の小学校を巡回、市内の小学生が今田人形と出会いの時を持った。
11月地元の竜峡中学校では文化祭「竜峡祭」で今田人形、合唱、演劇、美術、製作の5クラブ総勢100人で『小太郎物語』を上演。参観の母親の涙を誘った。
11月伊那人形芝居4座合同発表会開催。初の4座競演。以後毎年開催。

1984年(昭和59年)今田、黒田、早稲田、古田の人形4座による「伊那人形芝居保存協議会」が発足。この年から師匠を招聘して4座合同の義太夫、三味線、のちに操の研修会が毎年行われる。この年、今田人形の上演は例年数回であったものが一挙に二十数回に及んだ。以後年間二十回前後から三十回に及ぶ上演回数を記録する。
1988年(昭和63年) 8月6日人形劇カーニバル飯田「世界人形劇フェスティバル」に、柿落としの済んだ飯田人形劇場で和ろうそくだけの照明による「江戸の灯りでみる芝居」『伊達娘恋緋鹿子 お七火の見櫓の段』『傾城阿波の鳴門 順礼歌の段』を上演。あふれほどに満席の国際色豊かな観客から大きな反響を呼んだ。
1991年(平成3年) 6月下諏訪文化センターで人間国宝竹本住太夫、鶴沢燕三と『壺坂霊験記』を共演。9月フランスのシャルルビル・メジェール市の招待で世界人形劇フェスティバルにジュニアを含め座員20人全員参加。2回の上演はいずれも600人を超す各国のプロ人形劇団員や市民の感動を呼び、大きな成功を収めた。
1992年(平成4年)今田人形保存会再発足
1994年(平成6年)3月 大阪文楽劇場で公演(ふるさとの人形芝居)
「菅原伝授手習鑑」
4月 今田人形の館竣工
龍江出身 鶴沢清志郎文楽プロの三味線弾きとなる
10月 「伽羅先代萩」10年ぶり上演する
1998年(平成10年)2月 長野冬季オリンピック IOC総会開会式上演
2003年(平成15年) 今田人形発祥300年の年。9月に記念式典・事業を行う。この時昭和29年以来発の外題「東海道中膝栗毛」を上演。境内いっぱいのお客さんの笑いと拍手があふれた。
2004年(平成16年) 7月 海外公演。台湾雲林県へ「2004雲林国際偶戯節」に。座員12名「寿式三番叟」「傾城阿波鳴門」上演。今田人形発祥300年記念冊子「今田人形」発刊。
2005年(平成17年)本年からアメリカ大学生人形研修受け入れる
2007年(平成19年)2月 海外公演台湾公演(飯田市台湾チャレンジ)「寿式三番叟」「傾城阿波鳴門」上演9月 アメリカ シカゴ・ミズーリ大学で講座
2008年(平成20年)4月 今田人形の館展示室新築
8月 世界人形劇フェスティバル・メインセレモニー
25年ぶり「小太郎物語」上演
10月 新外題「戎舞」披露