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今田人形座[資料館]

ページID:0000748 印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月18日更新

資料館

今田人形操り始めの
古文書
今田人形操り初めの古文書の画像

 今田村の各種の文書を書き写した「覚書」の中に、
 今田人形の起こりについて記した「当村操始之事」と題する文書があります。
 これによれば、1904年(宝永元年)7月に氏神祭礼をにぎやかにするために、
 野池村から人形と幕を1両1分で、京都から人形13組を3両1貫26文で買って、
 操りをはじめたことがわかります。

昭和15年の掛け舞台 昭和15年の掛け舞台の様子の画像

 氏神大宮八幡社における皇紀2600年祭の上演風景を撮影した貴重な古写真です。
 拝殿の横に仮設された舞台は、木材を渡した手すりにムシロを貼り、
 後ろに背景幕を吊しただけの掛け舞台で、拝殿の縁に太夫と三味線が座っています。
 人形遣いの持つ人形は、
 「奥州安達原 袖萩祭文の段(おうしゅうあだちがはら そではぎさいもんのだん)」のものでしょう。
 前庭に敷き詰めたムシロには大勢の子供たちが座り、舞台の方を見入っています。

神老のかしら 神老のかしらの画像

 今田人形を代表する古がしらの1つです。
 顔は彫りが深く、大変個性的な造形です。
 おだやかな目と色の白さが善役の老人であることを示しています。
 頭髪も眉と顎ヒゲも植毛という古い技術が用いられ、江戸時代にさかのぼることがわかります。