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飯田市防災情報 過去の災害状況

ページID:0007194 更新日:2008年4月17日更新 印刷ページ表示

過去の主な災害記録

36災害時の災害履歴図
36災害時の災害履歴図

過去の主な災害記録の写真です

 飯田・下伊那地方では、河川の氾濫・洪水や土石流・崩壊など多くの風水害が発生しています。過去の記録で被害が大きかったものは30回におよんでいます。近年では昭和36年、昭和58年の災害が歴史に残る大災害といえます。

36災害(昭和36年6月)

 本州南海上にあった台風6号の接近に伴い、梅雨前線の活動が活発となり、集中豪雨が発生したことが災害の直接原因です。特に南方から進入した暖湿気流が下伊那地方の地形条件等により、大気が極めて不安定な状態となったことで、短時間にしかもごく狭い地域に豪雨をもたらしたと言われています。
 6月23日~7月1日までの間に飯田測候所で観測した総雨量は579mm。特に6月27日の降水量は325mmで1日の雨量としては測候所の最大降水量となりました。この大雨により、天竜川が氾濫。市内の至る所で崖崩れ、土石流(山津波)等の土砂災害が発生し、16名の死者・行方不明者が出ました。この災害は、昭和36年に発生したため、この名称で呼ばれています。

飯田市における36災害の被害概要

  • 死者・行方不明者 16名
    (飯田下伊那全域では136名)
  • 流出家屋 62戸
  • 全半壊家屋 105戸
  • 床上・床下浸水 72戸

台風10号災害(昭和58年9月)

 昭和58年9月28日から29日にかけて長野県に接近した台風10号により降雨のため、下伊那地方は36災害にも匹敵する豪雨となり、多くの被害をもたらしました。
 このときの雨は1日でしたが、川路駅前の水位は、36災害の水位を上回りました。これには市内の都市化が進んだことで、降った雨が地下に浸透せず、一気に川に流れ込むようになったことが原因と言われています。

地震の記録から

 歴史上の地震で伊那谷周辺で発生した最も新しい被害地震は享保3年(1718)の遠山地震があります。それ以降大きな被害となった地震はありませんが、伊那谷に見られる河岸段丘を縁取る崖の多くは断層(地震活動によって土地が盛り上がってできたもの)といわれ、歴史時代以前に大きな地震があったことが伺えます。
 また、静岡県沖で起きたとされる安政東海地震でも34人の死者の記録があり、太平洋側で発生する海溝型地震の影響を受ける地域であることがわかります。

飯田市周辺の地震災害(1700年以降)

年代(西暦) 月日 規模

元禄16年(1703) 12月31日 M8.0

元禄地震。相模湾が震源。伊那谷でも倒壊家屋あり。

宝永4年(1707) 10月28日 M8.4

東南海沖震源の最大級の地震。飯田の被害は歴史上最大。落石等多数発生

享保3年(1718) 8月22日 M7.0

遠山地震。南信濃村付近が震源。山崩、跳び石で死者50余。中央構造線の活動。

享保10年(1725) 8月14日 M6.5

諏訪・高遠付近が震源。遠山地震と同様に中央構造線の活動による。

安政1年(1854) 12月23日 M8.4

安政東海地震。飯田で死者34名。32時間後に安政南海地震発生。

明治24年(1891) 10月28日 M8.0

濃尾地震。最大級の直下型地震。飯田でも地面の亀裂など。山崩れ多数。

大正12年(1923) 9月1日 M7.9

関東大震災。飯田地方で壁に亀裂。

昭和19年(1944) 12月7日 M7.9

東南海地震。飯田は震度4。落石で飯田線が不通になった。

飯田市周辺の地震災害の写真です