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第6回飯田市地域史研究集会 内容紹介

ページID:0020386 更新日:2008年10月3日更新 印刷ページ表示

第6回飯田市地域史研究集会 9月20日(土曜日)・21日(日曜日)

「伊那谷の古墳と古代の舎人軍団」をテーマにシンポジウム開催

 今回の地域史研究集会は、古墳時代後期を中心に、古代の飯田・下伊那地域が果たした役割・実像に、考古学・古代史学(文献史学)の双方から迫りました。「遺跡・遺物など残された物から過去を考える」考古学と、「文字史料を土台にした」文献史学という異なる分野の研究者が同一のシンポジウムで同一の時代を討論する点でも画期的な研究集会となり、9月20日・21日を通して延べ約200名と、多くの方に参加していただきました。

シンポジウム講師 吉村武彦さん
 シンポジウム講師 吉村武彦さん

 今回のシンポジウムは考古学・古代史ともに「馬」をテーマとしました。古墳時代の飯田・下伊那地域は馬の生産地であり、「牧(まき)」と呼ばれる馬を育てる牧場のようなものが多くありました。牧の経営をする舎人の存在も確認されています。古墳時代の交通手段であり、軍事とも密接に関わって馬を考えることは、東日本と西日本の交流の様子、ヤマト政権が勢力を拡大しようとする姿を考えることにもつながってきます。また、馬をもたらした渡来人との関係を考えることにもつながります。
 セッション1「古代の牧と宮号舎人(きゅうごうとねり)氏族」では、伊那谷の牧とその経営者である宮号舎人について、文献史学の側から山口英男さん(東京大学史料編纂所教授)と田島公さん(東京大学史料編纂所教授)の報告がありました。残された数少ない古代の史料を綿密に解釈することにより、牧を通して伊那谷の古代史像を再構築しようとするところに特徴がありました。
 吉村武彦さんの記念講演「東国の国造」は、東国、科野(信濃)との関係から、ヤマト王権の地域支配のあり様を考えようとするものでした。
 セッション2・3「古墳と騎馬集団1・2」では、考古学の側から4本の報告がありました。セッション2の土生田純之さん(専修大学教授)、鈴木一有さん(浜松市)の報告は、東日本や東海地方から伊那谷の古墳の形態を見ることによって、ヤマト王権と時に対抗し、時に共鳴する独自性を持った飯田・下伊那の姿を浮かび上がらせました。セッション3の風間栄一さん(長野市教育委員会)、渋谷恵美子さん(飯田市教育委員会)の報告は、長野県内、飯田・下伊那地域内の遺跡・遺物を丹念に見ながら、長野県内各地の交流、小地域ごとに独自性を保ちつつも、全体を支えている飯田・下伊那の地域的特徴を示しました。
 古墳時代の飯田・下伊那は古代日本を考える上で重要な意味を持っていることが確認され、考古学と文献史学との交流の中から、異なる研究分野の人にも大きな刺激を与える報告でした。

シンポジウム質疑応答 地域史研究報告
 集会の様子 (左)シンポジウム質疑応答 (右)地域史研究報告

地域史研究の成果も発表

 21日午後からの研究報告会では、飯田・下伊那地域を中心とした様々な時代、分野の地域史の報告4本がありました。清内路の中老(壮年を中心に結成された村の集団)を取り上げた坂本広徳さん、総合的な学習の時間に古代の生活の復元・体験に取り組んでいる飯田市立竜丘小学校6年2組の皆さん、伊那層に埋没したシカマシフゾウの化石を発掘した飯田市美術博物館 小泉明裕学芸員、鳩ヶ嶺八幡宮(飯田市松尾)を通して寺社領の社会構造を見ようとした歴史研究所 竹ノ内雅人研究員の報告がありました。竜丘小学校の松澤和憲教諭は、「発表することで、自分たちの活動が社会的に位置づいていることが子どもたちにわかるきっかけになれば」と話されました。