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研究報告「村の新聞「時報」、その役割」2

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年6月3日更新

竜丘時報

号数

  • 通し号数無し 昭和5年5月1日~昭和15年10月20日
  • 推定発行号数126号 収集号数72号

発行期

  月1回

編輯人

  1号 中島比佐夫(青年会)

発行所

  竜丘青年会時報発行部

印刷所

  • 1~5号 飯田町木下活版所
  • 昭和8年~9年 江戸町猶興社
  • 昭和9年~13年 竜丘村龍共印刷所
  • 昭和14年~15年 追手町676 信濃産業新報社

頁数

 4~6ページ

紙型

 A3

 最終号に『10月12日飯田警察署において管内に於ける時報村報発行につき懇談会が開かれその結果新体制下における物資節約の折柄用紙制限、防諜、無駄廃除、その他各方面に関し今回一切廃刊致す事に申合わせるにいたった。』と廃刊理由がある。

主な内容

昭和5年

  • 発刊にさいし、時報は青年の仕事ではあるが村の事情を知り村を良くするための新聞である。村民全員で育ててほしい、とのべている。
  • 小林洋吉(宗教家)はじめ個人名の論説がおおい。
  • 森本州平が勧めていた東京での青年幹部講習会の様子、感想がある。
  • 詩・短歌の掲載がおおい。

昭和6~7年

  • 青年会の行事・図書館からのお知らせ
  • ニワトリ・豚・野菜作りの奨励
  • 組合製糸について

昭和8年

  • 副業に、ニワトリ・漆・菜種
  • 「芸妓問題に就いて」論文、研究討論号
  • 村議選について青年会で声明書をだす
  • 「恵那山に登るの記」「松本兵営見学記」の紀行文

昭和9年

  • 組合製糸合同問題についての論説多い
  • 初午祭り・母の学校10周年
  • 農会よりのお知らせはじめて・果樹剪定(柿)・農芸品評会

昭和10~11年

  • 「家庭」欄毎号載る 子どもの育てかたや料理の方法
  • 女子消防団・青年学校・奉安殿設立
  • 経済更生…水引製造、軍手製造、凍豆腐ずくり、傘つくり
  • 蚕飼育臨時号
  • 行け!満洲の新天地

昭和12~13年

  • 大日本国防婦人会発足・松島自由移民の記事
  • 中堅青年講習会記(下農にて5日間 138名)連続掲載
  • 小林伍長戦死  満州農業移民地視察記(代田市郎村長)
  • 龍西館(天竜社第5工場)便り

昭和14~15年

  • 村長年頭所感・戦線の将兵へ
  • 戦線か銃後の守りの記事が多い
  • 満洲勤労奉仕隊よりの便り
  • 【祈武運長久】皇軍将士慰問特輯号
  • 警防団 このころ戦争の記事が多い
  • 農村の労働力不足のため・米作の管理の記事

 竜丘時報にはたびたび広告がはいる。

下久堅時報

号数

  • 1号~99号 昭和7年2月20日~昭和15年10月10日
  • 収集号数 99号分

発行期

 月1回

編輯人 

 1号 牧野内国夫

発行所

 下久堅青年会

印刷所 

  • 1~23号まで 飯田町199天竜蚕糸社
  •  24号~99号 江戸町猶興社

頁数

 4 ~6ページ   

紙型

 A3

主な内容

昭和7年~9年

  • 発刊の祝辞に丸山東一(小学校長・図書館長)
  • 第3年度発刊の辞に羽生一善の『文化機関を農村の手へ村の時報を出す事のみが文化運動でないが文化の発揚に重大なる影響を持つ新聞を閑却しては一般社会事像に対する我々の知識の発揚性を停滞せしめる、世の一般的なる報道機関は資本主義組織下において営利的に欺瞞せる報道が行なわれて居りはしないか。然らば我々の新聞とは何か、よりよき村の建設を目的として飽く迄農村大衆の立場を守り主意の下に地方文化発揚の為に愛村の至誠に燃ゆる若き村民の情熱に依って発刊される啓蒙機関としての自主的新聞たる時報のガッチリしたものだ。(以後略)』を第3年度初版に際して掲載。青年傾向調査の発表
  • 信濃愛国号飛行機献金の部落別金額計122円5銭
  • 橋梁の歴史・美濃紙・青年会・出征兵士の記事
  • 橋爪生「燈火可親」(5~7号)、宮川静男の倫理観・社会評論は他紙にみられない。
  • 詩・短歌・図書館の記事が多い。

昭和10~11年

  • 文芸欄に創作小説・俳句・詩・短歌を毎号1頁載せる。
  • 農村恐慌に善処・養蚕・経済更生
  • 満州信濃村建設 募集

昭和12~13年

  • 産業組合
  • 満州移民募集・満洲移民後援会規約など移民の記事が多い。
  • 防空演習・国民精神総動員と戦時色強くなる

昭和14~15年

  • 村葬・満洲青少年義勇軍
  • 【祈武運長久】皇軍慰問特輯号
  • 非常時村政予算

鼎時報・鼎公報

号数

  • 鼎時報1号~85号 昭和8年10月20日~15年10月15日
  • 鼎公報86号~104号 昭和15年12月1日~18年9月
  • 収集できたもの94号分 未収集10号分

編輯人

 1号 北原政重郎(村長)

発行期 

 月1回

発行所 

 鼎村役場

印刷所 

  • 1~53号 飯田町199天竜蚕糸社
  • 54~85号 追手町676 信濃産業新報社
  • 86号以後記載無し

頁数  

 4~8ページ

紙型 

 A4

 時報発行に際し「昭和8年事務報告」では、村報「鼎時報」発行の項で次の様に報告している。「役場・学校・農会・産業組合その他各種団体ニ於テ、一般ニ周知徹底ヲ要スル事項並ニ活動状態等ヲ収録、各戸へ配布スル様村報ヲ発行ニ決シ9月27日編輯委員会ニ農会須山技手、産業組合小松技手、役場桜井書記ヲ属託並ニ任命左記ノ通リ新聞紙ニ依ル村報ヲ10月ヨリ発行スル事トナレリ」とあり

  • 須山技手…長野県農林技手鼎駐在 須山賢逸氏
  • 小松技手…産業組合の職員
  • 桜井書記…役場庶務 桜井弘司氏

 「印刷部数は昭和11年は1600部で無料にて全戸配布・在営・在満・出世兵士におくる。予算は1年220~250円85号の最終号に新聞紙法による村報の廃刊。公報と改題して12月より発行」

主な内容

 昭和9~12年

  • 毎年新年号に村長の「年頭の辞」がのっている。
  • 農会からのお知らせ統計・視察記
  • 青年会の傾向調査結果・青年団の記事
  • 11年より満州移民の記事がではじめる。
  • 北原痴山人(上郷 北原阿智之助)選の俳句20~30句毎月掲載

昭和13~14年

  • 国民精神総動員・行け 拓け満蒙を
  • 貯蓄増強運動
  • 青年幹部講習会(下農にて中原講演)
  • 農会からのお知らせ・警防団・村葬

昭和15年

  • 銃後の赤誠・在郷軍人会・国民健康保険について
  • 国勢調査・税制・国債

 鼎公報 昭和16年

  • 発行者・編輯者記入無し、村長の言葉無し
  • 農業に関する記事・代用食の調理法

昭和17~18年

  • 宣戦・貯蓄増強
  • 海軍志願兵徴募
  • 繊維製品配給制度

山本時報

号数     

  • 1号~49号 昭和11年10月28日~昭和15年10月1日
  • 収集号数47号、未収集3号、1号重複あり

発行期    

 月1回

編輯兼発行人 

 坂井準二(村長)

発行所    

 山本村農会

印刷所    

 会地村駒場印刷所

頁数     

 6~8ページ

紙型 

 A4

主な内容

昭和11年

  • 村長(農会長)発刊の辞 時報をくまなくよんで村の方針をよく知ってもらい一致協力を願う…とあいさつ
  • 産業組合概況・蚕糸他農業の記事が殆どをしめる。

昭和12年

  • 満州信濃村建設先遣隊募集
  • 家畜飼料の自給・緬羊の飼育のすすめ
  • 第6回中堅青年講習会(下農にて)5日間動的訓練、静的訓練、講義
  • 組合製糸
  • 毎回軍人会報掲載・国防婦人会発会

昭和13年

  • 岡本終一君名誉の戦死
  • 初めて写真入る「慰問袋発送」「保育所記念撮影」
  • 畜産だより……緬羊

昭和14年

  • 青少年義勇軍募集
  • 組合製糸報
  • 県知事訓示……天皇陛下よりはげましとねぎらいの言葉を頂いたこと。
  • 農倉便り・興亜奉公日設定 村長会宣言決議

昭和15年

  • 紀元2600年 紀元節祝・証書
  • 全国市町村長大会宣言決議
  • 奉公供米運動・軍用保護馬の検査
  • 村税賦課徴収条令

考察

  1. 時報は昭和初期から昭和15年10月まで各村で発行されていたと予測できる。ただ上飯田町、飯田町やがて飯田市が誕生した(昭和12年)後も旧市街地はどうであったろうか。何等かの伝達紙があったのではないか。伊賀良村(昭和13年より青年会で村報編輯会議をしている)については村の規模から発行されていたはずで発見できることを期待している。鼎公報については他村で15年10月をもって終刊したのに名前をかえただけで内容は同じ傾向で発行できたことは疑問である。
  2. 時報は全戸に無料で配布されたことが鼎時報などからわかる。又村からの出世中の兵士満州移民の人達にも送られていた。発行費用については鼎村は村で予算化しているが竜丘時報は、竜丘の商店などから広告をとっている。その他の村でも何等かの形で村の費用がだされていたのではなかろうか。
  3. 上郷村の北原亀二、鼎村の羽生三七等LYLや自由大学で昭和初期まで活躍していた青年の影響は時報に何等みられない。昭和13年に北原亀二の「国民健康保険に就いて」、と横田憲治の「図書館について」が上郷時報に載っているだけである。羽生三七は昭和8年から15年まで村会議員をしており昭和13年には他村の村長と満州へ視察にいっているのに時報にはなにものせていない。昭和8年原紙元結有害流出事件で宣言文等書いて活躍していたのにかかわらず12年間の村内の活動はどうであったのであろうか。(羽生三七…21~22年村長、22年~参議院議員)
  4. 時報は村の出来事を伝え村の建設に役立てたいと出発したがそうした努力がされていたのだろうか。当時ラジオの所有台数も少なく新聞も全国紙はあまり入っていなかったとおもわれる。その1つとして上郷小学校では昭和8年1月28日児童の半数が感冒のため学校を休んでいる(南信新聞)。村内でも罹災者は相当数にのぼったと思われるがその件については何の記述もない。その2として上郷村時報にみる昭和8年2月4日の治安維持法違反事件の伝達方法である。この事件で上郷小学校の教師3名実業補習学校の教師1名が逮捕されるが、時報にはこの事件について2月~5月号まで何の記事ものっていない。事件は村をあげて大事件であったはずであるし学校便りも毎号あるがこれについてはふれていない。6月1日号に『時局と教育』の見出しで「教育上の唱導鼓吹を要する点」「教育者の自省すべき点」と論文があるのみで事件の内容についてはふれられていない。
  5. 印刷所は信濃産業新報社(現中央図書館東)が多い。当時にしては大量の印刷物であったはずであるがどの村も村内の印刷所では刷っていないのは何故だろうか。(龍共印刷所のみは別)竜丘・下久堅が猶興社(信州郷軍発行所)で印刷していたことは、発行者が青年会のところであり何等かのつながりをもっていたのであろうか。
  6. 大正時代飯田・下伊那地方で発行された時報は見つからない。長野県内では上小地方で青年会が各村単位に発行していたにもかかわらず下伊那ではその姿がみえない。しかし青年会が不活発だったわけではない。大正時代下伊那の青年は青年団の自主化運動、青年訓練所反対運動などをし、「夕樺」「第一線」「政治と青年」など思想運動を目的とした新聞や、雑誌をだしていた。そしてLYLや自由大学で学んでいた。しかし青年は村単位に時報を大正時代には発行しなかった。できなかったのかもしれない。そして昭和時代に入り竜丘・下久堅の青年会が頑張ろうと発行するがまもなく戦時体制にくみこまれ、やがて青年会自体が戦時体制を推進していったのである。
  7. 時報は政治・社会のながれとともにその持つ意義が変わっていった。農村が不況になるとどの村も副業を奨励したり農産物価格など農業の記事がおもだった。しかし11年になると満州移民の記事・経済更生の記事が多くなり、12年以後には村葬・銃後の守り・防空訓練・紀元節2600年へと戦争の記事でうめられていく。時報は昭和11年を境に村の自治から県や国の政策の伝達方法として変わっていく。発行者が青年会でも農会でも役場であっても同じであった。 

 ※各時報の号数別発行日は省略しました。