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古島敏雄著作集

ページID:0005721 更新日:2010年12月7日更新 印刷ページ表示

古島敏雄著作集 復刻版(全10巻セット)

古島敏雄著作集 全10巻 

古島敏雄著作集 全10巻
A5判上製本
10巻セット(専用箱入)
販売価格:50,000円
発行:(財)東京大学出版会
販売:飯田市歴史研究所

 飯田市出身の農業史学者古島敏雄(1912~95)が遺した、農村史、農業技術史研究における孤高の業績は『古島敏雄著作集』全10巻に収められています。しかし、歴史研究者には必読の書といわれながら、長期にわたり絶版となっていました。歴史研究所では、古島の没後10年となる2005年、この著作集全10巻を100セット限定で復刊しました。ご希望の方へ実費(1セット5万円)で販売しています。

復刊に当たって

岩本純明(顧問研究員・東京大学名誉教授)

 長い間品切れとなっていた『古島敏雄著作集』が、関係各位のご尽力により復刊されることになった。このことをまずは喜びたい。本著作集に収録されている著作の大部分は、古島敏雄先生が研究生活を開始してほぼ10年余の間に刊行されるか、あるいはその骨格ができあがっていた仕事である。古島先生の言葉によれば、「戦時下に若さと戦争の焦燥のなかで書き急いだもの」(著作集序)である。しかし、このことが、本著作集にいまなお瑞々しさと魅力を保たせる理由ともなっている。
 (中略)古島先生の著作は、豊富な史料をもとに自らの思考・論証過程を丹念に記述していくというスタイルをとっている。そのため、概説的な記述や結論の再整理といった部分は省略されていることが多い。このことが、若い研究者に取っつきにくい印象を与えるかも知れない。しかしながら、最初のこの困難を克服してもらえば、確かな仮説設定を踏まえた緻密な史料分析の醍醐味を味わうことができるはずだと思う。
 (中略)本著作集の復刊を契機にして、古島先生の仕事が若い世代の読者に読み継がれていくことを期待したい。(『古島史学の現在』序文-『古島敏雄著作集』復刊にあたって-より)

第1巻「徭役労働制の崩壊過程」

 近世の長野県伊那地方でみられた農業経営形態である御館被官制度が、商品流通の発達によって崩壊していった様相を解明。古島の研究の出発点ともいうべき著作

第2巻「日本封建農業史 家族形態と農業の発達」

 日本封建時代の農業に関するはじめての本格的な通史。土地制度や農業技術、家族形態の変遷など、村と農業に関する史実が体系的にまとめられた基本的文献

第3巻「近世日本農業の構造」

「典型的に徳川時代的なものとして」の近世の農業構造について明らかにした、古島の代表作。豊富な事例を素材に、村落階層、共同体的土地慣行、農業技術、農業経営の四側面から農業の構造を追求

第4巻「信州中馬の研究」

 近世の伊那地方でみられた運輸慣行、中馬の発展過程を解明。商品流通の展開が、伊那地方にいかなる変容をもたらしたのかを追求した本書は、戦後の近世史研究に大きな影響を与えた。

第5巻「日本農学史」

 古代から近世前期にかけて、農学がどのように展開したかを解明した重要文献。本書に刺激されて、戦後になって農書の発掘と研究が全国で活発に行われた。

第6巻「日本農業技術史」

 古代から近世にかけての日本の農業技術の発展について、あらゆる史料を発掘して全面的に解明した、他に例を見ない大著。昭和24年度毎日出版文化賞受賞

第7巻「共同体の研究」

山林、牧野、用水など、村落共同体の再生産にとって、いずれも不可欠な諸条件について解明した論文9本を収める。

第8巻「地主制史研究」

 古島は戦後、地主制史研究者として活躍し、学界に大きな影響を与えた。本書は江戸時代から明治時代にかけての日本でみられた地主制度について書かれた論文10本を収める。

第9巻「近代農学史研究」

 明治以降の洋学の導入により、日本農学がいかなる変遷を遂げたのかを解明した論文集。古島自身による「年表農業百年」も収載

第10巻「地方史研究法」

 地方史をいかなる課題設定により、どのように研究すればよいのか、古島は自らの体験を基に、折に触れ語っている。古島史学への理解を深める上で、本書は必読の1冊といえよう。

特典
  • 特典その1
    購入者全員に『古島史学の現在』を贈呈
    旧刊付録の「月報」を再録し、さらに現在の歴史研究者による新原稿を収録しました。
  • 特典その2(終了しました) 
    先着35名様に 『私たちに刻まれた歴史』を贈呈
    古島夫妻が亡くなられた際に、当時の門下生らを中心に執筆した追悼文集

 

古島敏雄について

 古島敏雄さんのお名前をご存知の方は飯田・下伊那には大勢いらっしゃると思います。
 古島さんは明治45(1912)年に飯田町(現在の飯田市)主税町で生まれ、のち東京大学農学部、専修大学経済学部で農業技術史や経済史の研究を進めた学者です。生涯の間に膨大な量の著作を発表し、「古島史学」と呼ばれる体系を築き、戦後歴史学にはかりしれない影響を与えましたが、平成7(1995)年8月、不慮の火災によりお亡くなりになりました。下伊那に関する研究も多くなさっており、なかでも御自分の子供のころの記憶をたよりに書いた『子供たちの大正時代』(平凡社、1982年)は、地元の人々にとって親しみやすい地名などが多くみられ、お読みになった方も多いかと思います。ところがそれでは古島さんが戦後歴史学の発展の上でいかに大きな位置を占めたか、その点で伊那地方の歴史資料がどのような役割を果たしたかとなると、正確に説明できる方は、必ずしも多くはないのではないかと思います。

古島史学と伊那地方 

  一般に学者の世界はとかく専門的であるため、当然かもしれません。特に古島さんは「早わかり」的な物言いをするタイプの学者ではありませんでした。しかし私は、この地域に暮らす多くの方々がその学問の意義をご存知ないままでいるとしたら、非常にもったいないと考えています。というのも古島さんの研究対象は、過去の伊那地方において営まれた農業や商工業、運輸業などの日常的な経済活動―しかも地域のすべての人々の生活に関連したであろう経済活動―に目をつけ、その変化の過程を具体的に分析することによって、封建的な前近代から近現代社会にかけての日本史全体の普遍的な流れを解明する上で大きな学問的貢献を果たしたからです。みなさんが日常接する地域固有の事柄が、より大きな世界や歴史全体の中でどのような位置を占めるかを知る上で、古島さんの研究が大きな意味を持ってくるのです。

古島史学の問題関心

 古島さんが伊那地方の研究をもっとも重点的に行ったのは戦前であり、戦災で御自宅とともに膨大な資料やデータを失い、諸事情の変化もあって、そのまま研究を継続することが困難になってしまいました。戦後は、戦前の名著である『近世日本農業の構造』や『信州中馬の研究』など(ともに伊那地方を題材としています)に感化されて集まった若い研究者とともに、全国的に視野を広げて共同研究を行うようになり、また農地改革の影響もあって、地主制研究から近代の産業資本確立の研究に没頭していきました。伊那地方の研究については、多くの課題が積み残されることになったといえます。

 そもそも古島さんが研究を開始したきっかけは、下伊那の地域経済の根幹であった養蚕業が昭和初頭に衰退し、農村問題が深刻化したことに衝撃をうけたためです(古島著『社会を見る眼・歴史を見る眼』農文協、2000年)。そこで郷里の経済が発展から衰退へと向かう過程について、史料をもとに実証的にあとづけようとしていったのだと思います。古島さんの研究は戦後にかけて、農業史から交通史・商品流通史→地主制史→産業史へと展開しましたが、研究を開始した昭和十年代初頭、それらのすべてについてすでにあらかたの関心をもっていたことが、当時書かれた『社会経済史学』や『山邨』などの論文からうかがえ、驚かされます。伊那地方にそれだけの材料がそろっていたのです。

未来の地域にむけて

 古島さんは、偉大な郷土史家であった市村咸人さんに史料読解を教わり(政治史や文化史に力量を発揮した市村さんと社会経済史の古島さんとでは対象は異なりますが、実証的・科学的に史料を読む方法はよく引き継がれたと思います)、同じく偉大な郷土史家の平沢清人さんらとも親交を結んで研究を進めましたが、史料の利用条件は今とは比べ物にならないくらい悪いものでした。むしろこれらの方々の努力を基盤として、戦後の史料利用条件が整備されたのです。今その恩恵にあずかり、都市とすべての農村を包括した地域全体を対象として、古島さんが積み残した課題をもう一度見直し、新たな研究を開始することが可能となりつつありますし、そうすべきだといえるのです。

 戦後60年を経て、下伊那の都市と農村をめぐる状況はガラリと変わってしまいました。歴史研究は過去を対象としますが、問題関心は現代の社会状況に大きく規定されます。今我々は未来の地域にむけて、いかなる研究課題を設定すべきなのかという点から始める必要があります。しかし古島さんの歴史分析はとても優れており、時を越えた普遍性を持っているため、いずれにせよ常にそこに立ち帰る必要があるといえます。

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