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在留外国人の増加と飯田下伊那地域 1 本島和人

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年6月3日更新

在留外国人の増加と飯田下伊那地域

図1 飯田下伊那地域/自然増減と社会増減(80~04年)
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図2 飯田下伊那地域の在留外国人人口(55~04年)
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 団塊世代の一人である私は、ときおり同世代の知人の訃報に接し小さな動揺を覚え、人生の残り時間について考えることがある。いやおうなく自分自身が人生を俯瞰する地平に至っていることを意識する。
 そのような私が地域研究に関ろうとするのは、自分が生まれ育った土地、そこに生きる私たちと未来に対して希望をつないでいきたいと考えるからである。
 関心の中心は、飯田下伊那という地域と自身が生きてきた20世紀後半から現在にある。この地域が、日本と世界のなかでどのような位置を占めているのか考えていきたいと思う。

地域の現代史、未来に希望をつなぐ営み 

  飯田出身の農業経済学者の古島敏雄氏は晩年の1985年、農村と農業の変貌を目の当たりにして「父祖とは異なった生き方を模索する農村の人々とともに生きぬく道を探し求めることを問題とせざるをえなくさせる」(「農村調査から地域調査へ」)と現代史研究の重要性を述べ、自らも『秦野市史通史4現代』を著している。
 団塊世代は敗北のあとの物資が不足した時代を記憶にとどめ、高度成長とともに育った。そして日本という国の平和と繁栄のなかで羽を伸ばし、前の世代までとは異なる生き方を選ぶことになった。経済社会が変貌する中で役割を担い、人生の折り返し点を過ぎたところで世界構造が転換した。そして平成大不況と構造改革のなかで、まもなく一線を退いていく。しかし役割が終わるわけではない。
 いささか大仰であるが、敗戦後の復興、繁栄、転換、そして現在の混迷を体験している世代だからこそ、変容し続ける地域に生きているからこそ、21世紀への希望をつないでいくことができるのではないか。

続いた人口の社会減 13年前から自然減

 飯田下伊那の現代史を研究する時、一つの出発点となるのが人口の動向である。 敗戦直後の昭和22年には約21万5千人の人口が、20余年後の45年には17万3千余人と、20%4万人以上減少し、ほぼ50年にわたって転出が転入を上回る人口の社会減が進行してきた。高卒までに多くの若者がこの地を離れていった。団塊世代を含む敗戦直後に生まれた世代では10人のうち6人が転出しUターンしたのは、その6人のうち1人にすぎなかった。
 自然増減はどうか。先頃発表された人口動態統計の年間推計によれば、全国では05年から死亡数が出生数を上回る自然減に転じている。飯田下伊那地域では、すでに平成5(1993)年から人口の自然減がはじまっている。一口に飯田下伊那といっても地域内部での違いは大きいが、戦後から高度成長期を通じて人口の社会減が進み、日本全体を先取りする形ですでに十年余前から自然減がはじまっている。(図1)

 図1 飯田下伊那地域/自然増減と社会増減(80~04年)

 また05年国勢調査速報値によれば、飯田下伊那地域の総人口は17万5553人である。これは1970年の17万3千余人に次ぐ低い水準である。

日本人人口は大正期と同じ水準

 ここで注意すべきことは、最近の外国人人口の増加である。外国人人口は毎年12月末の統計が県国際課から公表される。04年末現在4066人である。17万5千人から4千人の外国人人口を除いて日本人人口に限れば17万1千人。これは大正9(1920)年とほぼ同じ水準である。人口の社会減から自然減、これと前後して外国人人口が増加している。(図2)

 図2 飯田下伊那地域の在留外国人人口(55~04年)

移民送出から外国人受け入れへ

 飯田下伊那は昭和前期には満洲移民を全国一送出した。明治期にはハワイ・北米、第一次大戦後はブラジルに移民を送出してきた地域でもある。 人口減少が進むなかで、近年外国人人口の増加が目立つのはなぜだろうか。
 このシリーズでは在留外国人の増加と、そこから見えてくる地域の現状と課題について考えてみる。(つづく)