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地域農業を歴史の文脈で見る-地域農業の歴史と現在-

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年6月3日更新

地域全体に視野を広げて

 歴史研究所では現在の地域に暮らす人々の生活に密着した研究活動を行っています。今回はその一例として、ある研究の経過を紹介します。

これまで飯田・下伊那地域では、農業や漁業、林業など、自然環境と深く関わる産業が人々の生活を支えていました。しかし農業人口の激減にみられるように、現在これらの産業は大きく転回を遂げつつあります。将来この地域が確かな展望を持つためには、これらの産業がどのような歴史を歩んできたかを急いで解明する必要があります。このような観点から、江戸時代の農業、特に農業技術に興味を持って調べ始めました。現在は飯田市の松尾新井(江戸時代は島田村、明治以後松尾村)を中心に調べています。

 江戸時代の島田村はこの地域では珍しく水田に恵まれ、稲作を基盤として元結製造業や養蚕業などが発達していました。また明治に入っても上伊那・下伊那全体で、単位面積あたりで最高の米収穫量を誇り、伊那谷でもっとも進んだ生産性を持っていました。このような農業がなぜ可能だったのか、島田村の農業技術自体を精査する必要があるのです。

森本家の農業技術

 地域史研究事業準備室(歴史研究所の前身)では、島田村で最大級の地主であった森本家の文書調査を継続してきました。その中に幕末期の農業記録が残っています。それによると森本家は多くの小作地を持つ一方で、直接田畑の耕作に携わり、米や麦のほかに豆、雑穀、野菜など様々な種類の作物を作っていました。その中心は米で、多い年で七~八十俵を作り、ついで二十俵前後の大麦を収穫していました。これらの作物は共通して、干粕・大玉・蓮花草・小糠・灰などの肥料を大量に用いていました。しかも肥料の多くは購入したものだったとみられます。島田村の生産力が高かったのは、平坦で水の利便性もよいという地理的原因が確かに重要でしたが、森本家の場合、このような経営努力とお金の投入を継続的に行った点を見逃すことはできないと思います。
 もう一つ、森本家の農業の特徴として、毎年千株前後という大量の里芋を水田に耕作していたことが記録からわかります。これらの多くは飯田の城下町やほかの農村に売られ、さらに贈答用としても用いられていたとみられます。森本家の里芋栽培の特色は二つあります。一点目はやはり大量の小糠・荏粕・灰などを施していたことです。これらについても多くはよそから買ったものだと考えられます。二点目は森本家が里芋を耕作する水田を毎年次々と変えていたことです。現在でも生産性の低下を防ぐため、里芋の同一地での連作は嫌うのが常識になっていると思いますが、江戸時代に全国で数多く書かれた農書の中にも、里芋は連作を避けて何年も間を開けて植えよと書いたものがいくつかあり、この知識が既に一般的になっていたことがわかります。森本家の動向は自らの経験やこのような知識の反映だと考えられます。そして以上の二点の方法を組み合わせる事によって、森本家は大量の里芋を栽培し、商品化することができたのだといえるでしょう。
 ただし江戸時代の場合、小規模農家が年貢米生産以外の目的で田地を利用することは困難であり、里芋栽培についてこのような方法をとるには大きな制約があった点も指摘しておかなければいけません。私は今のところ、多くの水田を持っていた森本家だからこそ可能な方法ではなかったかと考えています。近現代の飯田・下伊那地域では、松尾村は里芋の特産地としても広く知られていましたが、その歴史をみるためには江戸時代まで視野を広げることと、松尾村一般ではなく個別の家ごとの経営差をふまえて議論に組み込んでいくことが必要です。
 以上は農業の実態面に関する記録ですが、知識面ではどうだったのでしょうか。森本家には農業記録とは別に「農事萬覚帳」という史料が残されています。これは江戸時代後期の当主、森本信行が自ら書いたものであり、苗代の手入れや施肥の方法、野菜や穀物の作り方など、農業の心得が多く書いてあります。各項目に記された典拠によると、過去の農業記録や近隣の人々からの聞き取り、島田村やそれ以外の村々の事例などが多く盛り込まれています。信行はこの地域における農業関係の情報を積極的に収集してまとめていたのです。里芋に関する記述も多く、芋の商品化や贈答に関する記事も含まれています。森本家の農業の実態と知識の相互関係についても重要な研究課題です。

地域全体に視野を広げて

 多様な自然条件のそろった飯田・下伊那地域は様々な特色を持った村が並存し、互いに連関することによって成り立ってきました。それらの村はいずれも異なった農業技術に基づいていたとみられ、多くの事例を集めて比較することにより、地域全体の性格を解明する道が開けてくると思います。島田村の事例はほんの一端に過ぎませんが、今後研究を進める上で重要な指標になることはおわかりいただけるかと思います。
 今回述べたような問題意識を持つ場合、古い史料の解読から下る方法と現在の農業の実態調査からさかのぼっていく方法を組み合わせて研究する態度が大切です。ただし私はこの地域の農業技術についてはまだほとんど素人ですし、一人だけでできるはずもありません。常に研究経過を公表する一方で、地域の皆さんから過去や現在の様子をいろいろと教えていただきながら協力して進めていきたいと思います。よろしくお願いします。