ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
ホーム > 分類でさがす > くらしの情報 > 教育 > 文化財 > 文化財保護いいだ > 150年近く座光寺を守った堤防
ホーム > 分類でさがす > 地区情報 > 地区情報 > 座光寺 > 文化財保護いいだ > 150年近く座光寺を守った堤防
お知らせ
指定文化財等の紹介
文化財関連施設
埋蔵文化財(遺跡)の手続き等
指定文化財の管理・手続き等
リンク集1 (飯田市教育委員会等)
リンク集2 (文化財の紹介・見学・研究等)

150年近く座光寺を守った堤防

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月8日更新

座光寺の石川除(堤防・中水門・水見台)(ざこうじのいしかわよけ ていぼう・なかすいもん・みずみだい)

  平成25年2月15日 飯田市史跡指定

川除とは、洪水を防ぐ施設のことで、蛇籠(じゃかご)、聖牛(うし、堤防などのことです。

石川除とは、石で造った川除のことで、割石積(わりいしづみ)の本格的な堤防をいいます。

※石川/除ではなく、石/川除です。


座光寺の石川除は、南大島川が天竜川と合流する地点にあります。

延長215.5m、高さ3.1mの割石二段積の堤防です。

江戸時代後期の文政11年(1828)に着工し、天保2年(1831)に竣工しました。

洪水の度に改修され、明治元年(1868)の大改修で現在の姿になりました。

かわよけ

中水門
すいもん
治水だけでなく、田に水を引くために水門を設けて水を管理しました。

間口は2.9mもあります。

現在は埋まっています。


九尺水門
9尺水門

9尺とは約2.7mです。水門の間口はちょうど同じ寸法です。

堤防の北端にあり、現在は道路の下になっています。


中羽根
中羽根

建物の後ろにある石垣が中羽根です。

羽根は「刎(は)ね」ともいわれ、堤防から張り出した施設で、水勢を弱める役割があります。


水見台
水見大

半鐘がありますが、設置年代は不明です。

洪水多発地帯

下伊那では天正元年(1573)から昭和35年(1960)までの388年間に、大きな洪水が51回、中小規模の洪水が131回記録されています。

およそ2年に1度、洪水が起きていた計算になります。

水防略史

江戸時代の正徳5年(1715)の未満水(ひつじまんすい)は、下伊那に大きな被害をもたらしました。

下市田村では、宝暦2年(1752)に惣兵衛堤防(そうべえていぼう)を完成させました。

ところが、惣兵衛堤防に跳ね返された水流が、対岸の伴野村を襲いました。

そこで、文化6年(1809)に伴野村でも堤防をさせました。

すると、やはり伴野堤防に跳ね返された水流が、今度は座光寺村を襲うようになりました。

そこで、座光寺村では文政3年(1820)までに、長さ350間(630m)にわたり、聖牛などによる護岸を行いました。

さらに頑丈な石積み堤防を考えた村では、文政10年(1827)に資金集めを開始し、翌年から4年間で完成しました。

この時、九尺水門、中水門も築かれました。

慶応3年(1867)から明治元年(1868)にかけて改修され、中羽根、水見台が設けられました。

以降、各堤防の間を堤防で結ぶなどして、下伊那の堤防は順次強化されていきました。

明治24年(1891)に、南大島川に新しく堤防が築かれて河道が変わり、現在に至っています。


未満水 300年

満水とは洪水のことで、湖のように水が満ちたことからいうようです。

(ひつじ)とは、干支(えと)の未年のことです。

伊那谷は、たまたまですが、未年に洪水が多かったようです。

正徳5年6月17日から24日(1715年7月17日~24日)にかけて、すさまじい豪雨となり雷鳴がとどろき、伊那谷で有史以来の大洪水となったそうです。

上郷地区別府には、この時に押し流されてきたといわる7mもの巨石「夜泣石(よなきいし)」が残っています。

座光寺地区では、高岡の恒川遺跡群(ごんがいせきぐん)でその痕跡をみることができます。

未

上の写真は、恒川遺跡群の地層を写したものです。

こげ茶色い土の上にかぶさる黄土色の土が、未満水の南大島川の洪水砂といわれています。

こげ茶色の土が波のような形をしているのは、当時の畑の畝(うね)がそのまま埋まっているからです。

厚いところでは1mも洪水砂が堆積しており、大規模な土石流であったかがわかります。

今年は2015年、ちょうど未満水から300年の未年、間もなく梅雨入りです。

伊那谷で最も警戒すべき災害は土砂災害ですが、災害の歴史や気象情報に注意すれば、事前対策も立てやすい災害でもあります。