「天竜川の舟下り」が飯田市民俗文化財に指定されました!!

平成28年6月6日開催の飯田市文化財審議委員会から文化財指定の答申を受け、平成28年7月14日(木曜日)に開催された教育委員会定例会において、「天竜川の舟下り」を飯田市民俗文化財に指定することが決定しました。
天竜川の舟下りについて
名称
天竜川の舟下り
よみがな
てんりゅうがわのふなくだり
指定の区分
飯田市民俗文化財
所在地
飯田市松尾新井7170番地(信南交通株式会社天竜舟下り事業部)
飯田市龍江7115番地1(天龍ライン遊舟有限会社)
舟下りの価値
天竜川の舟下りが指定された理由について、以下の四つの価値を見出すことができます。
1. 日本における観光川下り舟の草分けの一つであること
天竜川の舟下りは、江戸時代から続く天竜川での物資輸送の歴史を継承しつつ発展し、大正6年(1917)に遊覧専門の舟下りが開始されました。観光川下り舟としては、全国で6番目に歴史が古く、事業者の変更や戦争での中断はあるものの、およそ100年の歴史を有しています。
2. 操船・造船技術に地域的な特徴が認められ、その技術が継承されたこと
天竜川の舟下りに使われる舟は、設計図を使わず、船頭の長年の勘によって作られます。操舟技術も、マニュアルなどはなく船頭の先輩の動作を見て身体で覚えます。現在、全国的に合成樹脂製の舟が主流を占め、木造船の造船・操船技術が失われつつある中で、伝統的な木造船の造・操船技術を継承していることも天竜川の舟下りの価値ある点といえます。
3. 天竜川の舟下りが生んだ文化が存在すること
天竜川の舟下りには数多くの文人墨客(ぶんじんぼっかく)が乗船し、名勝天龍峡をはじめとする天竜川の景観を楽しみ、それを題材にした作品を数多く残しています。紀行文や短歌、日本画や映画の主題歌まで、天竜川の川下りによって生まれた文芸作品等は数多く、加えて、飯田といえば天竜川の舟下りが連想されるように、当地域を広く宣伝することになりました。
4. 名勝天龍峡を楽しむためのもっともすぐれた手段であること
国指定の名勝天龍峡と天竜川の舟下りは密接な関係にあります。遊覧船としての舟下りは、激流を下るスリルと鵞流峡(がりゅうきょう)や天龍峡の峡谷美を川面から眺めることを目玉としていました。昭和9年(1934)に出された文部省(当時)による名勝指定の説明にも川下り舟は記され、奇岩断崖とともに名勝天龍峡の価値のひとつとして位置づけられています。また、巌谷小波(いわやさざなみ、児童文学者)の紀行文では「是非とも舟で遊ぶべき所である」と舟下りの良さが強調されています。このように天竜川の舟下りは、名勝天龍峡や鵞流峡といった峡谷部をはじめ、伊那谷の変化に富んだ景観と天竜川の流れを安全にかつ存分に味わうことができます。
以上に示したとおり、天竜川の舟下りには、河川の遊覧船として日本で屈指の歴史と伝統があり、またその中で紀行文や短歌などの文芸作品や書画なども生み出されました。これらは名勝天龍峡を活用する上でも重要な位置づけにあるものです。また、造船・操船技術は観光川下り舟の存在はなくして存続はありえず、個々に民俗技術として切り出して指定しても意味はありません。このため、業(なりわい)としての舟下りと、技術の一体性の観点から、併せて「天竜川の舟下り」として飯田市民俗文化財に指定します。
