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大河ドラマと飯田市 1

ページID:0083357 印刷用ページを表示する 掲載日:2021年6月18日更新

“青天を衝け” 6月13日放送

後に主人公 渋沢栄一に影響を与える人物として、阪谷朗廬(さかたにろうろ)が登場しました。実はこの阪谷は、名勝 天龍峡の命名者です。

天龍峡の命名

備中出身の阪谷は、父の転勤に伴い11歳で江戸に上がり、古賀侗庵(こがとうあん)に学びます。弘化4年(1847)、古賀が死去すると故郷の岡山へ帰りますが、その途中、学友の飯田藩出身丸山仲肅(まるやまちゅうしゅく)を訪ねます。丸山の案内で下川路村の郷医で文人であった百花園(ひゃっかえん)園主 関島松泉(せきじましょうせん)を訪問しました。関島の案内で天龍峡を訪れ、その風致景観に感銘を受けますが、峡谷に名がないことを知ると川より名を得て天龍峡と命名しました。弘化4年4月29日(1847年6月12日)、阪谷26歳のことです。阪谷らは関島の家に泊まりますが、翌朝、遊天龍峡記の一文を残して丸山邸へ帰ります。この一文を見た関島が、阪谷が一廉(ひとかど)の人物であることを悟り、上川路まで追いかけて呼び戻し、再び詩文について語り合ったことが伝わっています。

別説として、丸山の家へ戻り遊天龍峡記を書き上げて、5月5日に関島へ送ったともいわれています。

この命名の経過と峡谷美について記した『天龍峡記』は文学的にも優れており、天龍峡第二公園にこれを彫った石碑が建立されています。

関連文化財等

飯田下伊那の近代観光業は、天龍峡と天竜川の舟下りから始まり、発展してきました。“天龍峡”は昭和9年に国から名勝に、“天竜川の舟下り”は、平成28年に飯田市無形文化財に指定されています。

名勝 天龍峡

天竜川の舟下り

よって館天龍峡(飯田市名勝天龍峡ガイダンス施設)