ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
ホーム > 文化財保護いいだ > 大河ドラマと飯田市 2
お知らせ
指定文化財等の紹介
文化財関連施設
埋蔵文化財(遺跡)の手続き等
指定文化財の管理・手続き等
リンク集1 (飯田市教育委員会等)
リンク集2 (文化財の紹介・見学・研究等)

大河ドラマと飯田市 2

ページID:0083399 印刷用ページを表示する 掲載日:2021年6月18日更新

“青天を衝け” 6月13日放送

アーネスト・サトウが登場しました。彼はイギリスの外交官で、幕末から明治の日本の変革期の日本に長らく滞在し、日本の動きを左右した事件などに大きく関わった人物として、また日本文化の研究者・理解者として知られています。

天竜川の舟下りを世界に発信

江戸時代の弘化4年(1847)、阪谷朗廬によって命名された“天龍峡”ですが、多くの人に知られるのはしばらく先になります。そのきっかけを作った一人が、サトウです。

明治14年(1881)、ガイドブック『日本旅行案内』(邦題)が刊行されます。これはアーネスト・サトウの旅行記をまとめて外国人向けのガイドブックとしたものですが、そこに時又港を出発する川下り舟の大きさや構造、運賃や日程などが事細かに記載されています。当時、中部高地から東海道・太平洋へ移動するには、天竜川の舟下りが最短・最速のルートでした。このガイドブックの紹介により、多くの外国人が山国信州を楽しんだ後(日本に“登山”という文化を持ち込んだのも彼らです)、天竜川の舟下りを利用して居留地へ帰ったのでした。そして、彼らの中から天竜川と川下り舟のエキサイティングな様子、船頭の操船技術を大いに評価し、新たに旅行記を出す者が現れ、極東の天竜川と川下り舟は知られることとなったのでした。

なお、サトウは明治14年当時、上伊那から飯田へ入り、小川路峠・遠山・青崩峠を経て浜松へ出ていますので、実際に彼が川下り舟を利用したかは不明です。

サトウのガイドブックの邦訳『明治日本旅行案内』は飯田市立図書館にも蔵書がありますので、一度ご覧になってはいかがでしょうか。

関連文化財等

飯田下伊那の近代観光業は、天龍峡と天竜川の舟下りから始まり、発展してきました。“天龍峡”は昭和9年に国から名勝に、“天竜川の舟下り”は、平成28年に飯田市無形文化財に指定されています。

名勝 天龍峡

天竜川の舟下り

よって館天龍峡(飯田市名勝天龍峡ガイダンス施設)