歴史分野で探す(美術工芸品・建造物・史跡など)
ページID:0069798 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年9月20日更新
美術工芸品 (絵画・彫刻・工芸品・書籍・考古資料)
仏教・信仰関連
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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絹本著色八相涅槃図 | 重要文化財(国) | 上川路1000 開善寺 | 鎌倉時代中期の作品とされ、涅槃図を中心に釈迦の生涯の7つのエピソードが色鮮やかに描かれている。 | 非公開 |
絹本著色聖徳太子絵伝 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
鎌倉末~南北朝時代の製作で、宮ノ上太子堂に伝来した。損傷は大きいが聖徳太子絵伝の古様を示している。 | 非公開 |
絹本著色阿弥陀如来像 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 室町時代の作とされ、当地方の現存最古例で、全国でも古い作品である。立石の雌杉の下にあった杉の堂に伝来し、その跡地の個人宅に保管された。 | 非公開 |
阿弥陀如来坐像 | 重要文化財(国) | 久米311 光明寺 | 像の高さ1.38mで、上品下生の印を結び趺座する。洗練された藤原期の作風で、平安時代末期の作と推定される。 | 非公開 |
阿弥陀如来坐像 | 長野県宝 | 箕瀬町1丁目2464-1 柏心寺 | 像高51.8cmの木造漆箔の像で、鎌倉時代前半期の作とされる。運慶・快慶の流派である慶派仏師の作風の影響を受けている。 | 所有者へ申し出て下さい。 |
飯田市有形文化財 |
丸山町2丁目6728番地 阿弥陀寺 |
像高43.4cmを測る木造の阿弥陀如来坐像。12世紀後半から13世紀前半(鎌倉時代初期)の作とされる。指先や衣の一部などが後世に補修されている。 |
非公開 | |
木造薬師如来座像 | 重要美術品(国) | 久米311 光明寺 | 像の高さ85cmで、保延6年(1140)3月3日の墨書がある。 | 非公開 |
龍江大平薬師如来立像 | 飯田市有形文化財 | 龍江7533-1「大平薬師堂」内 | 像高61.5cmの一木造で、平安時代の制作とみられ、飯田下伊那でも最古級の仏像の一つとして重要である。所有者一族が代々伝えてきた。 |
格子越し。 屋内での見学は飯田市教育委員会までお問い合わせください。 |
木造十一面観音立像 | 長野県宝/重要美術品(国) | 立石140 立石寺 | 高さ1.05mの一木造りの像で、平安時代の古い様式を残している。立石寺の秘仏本尊となっている。 | 非公開 |
飯田市有形文化財 |
立石140 立石寺 |
像高95.1cm。10世紀後半(平安時代中期)の作とされる。立石寺の秘仏である木造十一面観音立像(長野県宝)と同じ種類の木を材料とする。 |
非公開 | |
釈迦涅槃像 | 飯田市有形文化財 | 座光寺2638 元善光寺 | 像長155cmの寄木造りの像で、江戸前期の作と推定される。釈迦入滅の場面を示している。 | 宝物館入館料 |
木造大鑑禅師坐像 | 長野県宝 | 上川路1000 開善寺 | 禅僧清拙正澄の坐像で、高さ72cmヒノキの寄せ木造りで、表面の文様などから鎌倉・南北朝時代の作と推定される。 | 非公開 |
木造誉田別尊坐像 | 重要文化財(国) | 八幡町1999 鳩ヶ嶺八幡宮 | 高さ0.99mの冠束帯の坐像で、俗体の例は少なく造形も優れ、体内墨書により正応元年(1288)の作とされる。 | 非公開 |
鳩ヶ嶺八幡宮獅子頭 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 檜製の古式の獅子頭で、高さより奥行きが長く扁平な箱形をしており、室町時代初期の特徴を示す。 | 入館料 |
菩薩面 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 鳩ヶ嶺八幡宮所蔵の面で、室町時代の作と考えられる。神宮寺に所属し、行道面として使用された。 | 入館料 |
鬼神面 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 鎌倉時代から桃山時代の作とみられ、八幡宮に付属した神宮寺に関わりがある。鳩ヶ嶺八幡宮所蔵。 | 入館料 |
鬼神面 | 飯田市有形文化財 |
南信濃和田1192 遠山郷土館 和田城 |
般若面が成立する以前の南北朝から室町初期の作と推定され、県内屈指の古面として貴重である。南信濃木沢青龍寺所蔵。 | 入館料 |
鬼神面 | 飯田市有形文化財 |
南信濃和田1192 遠山郷土館 和田城 |
鎌倉時代から南北朝時代の作と推定され、県内最古の古面として貴重である。南信濃木沢八幡神社所蔵。 | 入館料 |
梵鐘 | 長野県宝 | 下久堅南原1142 文永寺 | 弘安2年(1279)の銘を持つ類似型の鐘が小海町にあり、それに近い鎌倉時代後期の頃、文永寺創建当時の製作と推定される。 | |
法全寺の梵鐘 | 飯田市有形文化財 | 千代3268 法全禅寺 | 永亨11年(1439)に鋳造されたもので室町時代の特徴をよく示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
立石寺の梵鐘 | 飯田市有形文化財 | 立石140 立石寺 | 室町時代の嘉吉3年(1446)に鋳造されたもので、当時の特徴をよく示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
定継寺の雲板 | 飯田市有形文化財 | 龍江2372 定継寺 | 雲板とは、禅宗寺院で食事や起床の合図に叩かれる梵音具をいう。本件は永享2年(1430)の陰刻があり、室町時代の特徴を示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
尾林古窯の狛犬 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 慶長14年(1609)作の銘がある。高さ15cmの陶製で、県内最古の近世陶器である。 | 入館料 |
上黒田の五輪塔 | 飯田市有形文化財 | 上郷黒田3445-1 | 高さ128cm、最大幅49cmの大型の五輪塔であり、石材は花崗岩で梵字は刻まれていない。南北朝末期から室町前期のものと考えられる。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
千代(米川)の板碑 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 飯田市内では文永寺の石室・五輪塔に次いで古い永仁2年(1294)の記年銘を持つ石造物で、鎌倉時代中期の武蔵型板碑の特徴をよく示している。 | 入館料 |
中村八幡社の石造狛犬一対 | 飯田市有形文化財 | 中村1800-1 中村八幡社 | 制作年が判明する石造狛犬としては、市内最古の例である。前足が短く、全身が低く屈む姿勢で、江戸時代前期の石造狛犬の特徴を示している。延宝6年(1678)制作。 |
拝殿越しの見学になります。 |
史料・考古資料
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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木炭棺(黒田垣外遺跡出土) | 飯田市有形文化財 | 飯田市考古博物館 | 弥生時代後期の方形周溝墓の遺骸埋葬施設である。板状の炭化材で囲む構造になっている。 | 入館料 |
眉庇付冑 | 長野県宝 |
飯田市美術博物館 |
松尾の妙前大塚古墳より出土した古墳時代の冑で、地金銅装で総高32cm、鉢は下底で直径20.2cm、短径18.8cm、高さ13cmである。 | 入館料 |
溝口の塚古墳出土品 | 飯田市有形文化財 | 飯田市考古資料館 | 竪穴式石室および墳丘、周溝から出土した武具類、玉類、埴輪、土器などで、甲冑は埋葬者と大和政権との関係性を示している。 | 当課までお問い合わせください。 |
宮垣外遺跡 土坑64出土品 | 飯田市有形文化財 | 飯田市考古博物館 | 宮垣外遺跡から出土した馬具類で、古墳時代に馬の飼育・生産を通して、大和政権と密接につながっていたことを示している。 | 当課までお問い合わせください。 |
飯田古墳群馬匹関連遺物 | 飯田市有形文化財 | 飯田市考古博物館 他 | 飯田古墳群から出土した轡、杏葉等の馬具類。飯田地域の馬匹文化の受容の実態を示している。 | 当課までお問い合わせください。 |
画文帯四仏四獣鏡 | 重要文化財(国) | 上川路1000 開善寺 | 直径23.7cmの白銅製で、中国六朝時代の製作、もしくは仿製鏡とする説がある。御猿堂古墳出土とされる。 | 非公開 |
下伊那出土の富本銭、和同開珎銀銭 | 長野県宝 |
飯田市美術博物館 |
天武12年(683)鋳造の我が国最古の貨幣である富本銭と和銅元年(708)鋳造された和同銀銭で、当地方が大和朝廷との深い関係にあったことを示す貴重な資料である。 | 入館料 |
恒川遺跡群出土品 | 飯田市有形文化財 |
飯田市考古博物館・飯田市美術博物館 他 |
古代伊那郡衙の存在を示す恒川遺跡群の出土遺物110点。「厨」墨書土器や数多くの陶硯、瓦類がある。 | 入館料 |
後奈良天皇宸翰女房奉書 | 重要美術品(国) | 下久堅南原1142 文永寺 | 女房奉書とは天皇の考えを女官が独自の字配り「女消息体」で書いたもので、太元修法を行なうよう書かれている。紙本墨書。 | 非公開 |
後奈良天皇宸翰御懐紙 | 重要美術品(国) | 下久堅南原1142 文永寺 | 宸翰とは天皇自筆のこと。天皇の和歌で文永寺宗然が宮中で太元帥修法を修めた際に与えられたと伝わる。紙本墨書詠春色浮水和歌。 | 非公開 |
正親町天皇宸翰女房奉書 | 重要美術品(国) | 下久堅南原1142 文永寺 | 文永寺の本山京都理性院の国家鎮護と国土豊穣の祈祷を褒めたもの。紙本墨書太元八譬像。 | 非公開 |
尾林古窯の狛犬 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 慶長14年(1609)作の銘がある。高さ15cmの陶製で、県内最古の近世陶器である。 | 入館料 |
平沢文書 | 長野県宝 | 飯田市歴史研究所 | 戦国時代から江戸時代にかけて下久堅北原の庄屋平沢家に代々伝わった古文書で、村人の生活の様子や行政担当者の資料が一括で残っている。 | 非公開 |
信濃国飯田城絵図 | 長野県宝 | 仲ノ町303-1 下伊那教育会 |
江戸時代初期脇坂氏藩主時代の飯田城ならびに城下町の姿を描いた飯田城最古の絵図。堀氏に引き継がれると武家屋敷の配置に使用し、その際の付箋が残る。 |
非公開 |
信州伊奈郡之絵図 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 江戸時代初期正保年間に、江戸幕府が諸国に提出を命じた郡の絵図の副本とみられる。上・下伊那郡の様子を描いた最古で詳細な絵図として貴重。 | 非公開 |
高山彦九郎日記 | 重要美術品(国) | 飯田市美術博物館 | 幕末の志士高山彦九郎が安永7年(1778)3月18日より6月24日までの100日間を綴った日記である。江戸時代の世相を知ることができる。 | 非公開 |
菱田春草関連
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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絹本著色菊慈童 | 長野県宝 |
飯田市美術博物館 |
明治33年(1900)菱田春草26才の作で、日本画の革新を目指した朦朧体画風の代表作である。日本美術院の絵画共進会に出品した大作である。 | 展示予定は美術博物館へお問合せ下さい。 |
菱田春草の「白き猫」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
春草27才の作品で、明治34年(1901)、の帰郷後に東京へ戻り、1ヶ月後に完成させて春草が母校へ寄贈した。 | |
菱田春草筆「鎌倉時代闘牛の図」 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 東京美術学校時代の作品で、大和絵の伝統を学びながら、写実性があらわれ学習の成果が見える。現存する春草作品では最も早い出品受賞作である。 | |
菱田春草筆「武具の図」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
東京美術学校時代の作品で、大和絵の伝統を学びながら、写実性があらわれ学習の成果が見える。春草会が最も早くに所蔵した春草作品である。 | |
菱田春草筆「霊昭女」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
日本美術院の第16回絵画互評会で二等を受賞した作品で、重文「王昭君」と共通する表現が随所に見られる。 | |
菱田春草筆「鹿」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
第10回日本美術院連合絵画共進会で銀章となった作品で、写実性に主眼を置く朦朧体後期の画風をよく示す。 | |
菱田春草筆「夕の森」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
滞米期に描かれたことが明確な作品で、春草の米欧遊学期の作風をよく示し、この時期を代表する。 | |
菱田春草筆「夜桜」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
美術博物館開館にあわせて、菱田家から飯田市へ寄贈された作品で、滞米期の作品と伝えられている。 | |
菱田春草筆「帰樵」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
米欧から帰国後間もなくして描かれた作品で、朦朧体の空間性と鮮やかな色彩が両立し、朦朧体研究の成果が表れる。 | |
菱田春草筆「春秋」 | 飯田市有形文化財 |
飯田市美術博物館 |
装飾性のある作風が結実し、春草が高い評価を得た時期の作品で、重文「黒き猫」の作風に通ずる。 | |
菱田春草筆「富嶽」 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 欧米遊学後に描かれた作品で、朦朧体の画風が窺えるが色彩の混濁はみられず、朦朧体批判を受け、色彩研究に邁進していた時期の成果が良く表れている。 | |
菱田春草筆「雨中美人」(未完成) | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 菱田春草が亡くなる前年の明治43年(1910)制作を始めたものの、未完成に終わった作品。作品制作の様子を見ることのできる資料として、近代美術史的にも貴重な資料である。 | |
菱田春草書簡 菱田家宛 | 飯田市有形文化財 | 飯田市美術博物館 | 下伊那教育会所蔵の書簡で、春草が父や兄など親族に宛てたものであり、春草研究に欠かせない資料である。 |
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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文永寺 | 重要文化財(国) | 下久堅南原1245-3 文永寺 | 鎌倉時代の五輪塔とそれを覆う石室で、弘安6年(1283)癸末12月29日の刻名があり、知久敦幸62歳の時に南都の石工に造らせたことが記されている。 | 公開 |
白山社奥社本殿 | 重要文化財(国) | 上飯田(風越山頂付近) | 三間社流造、こけら葺、弁柄塗り。和様と禅宗様と大仏様の折衷様である。室町時代の永正6年(1509)の墨書がある。 |
外観のみ 海抜1490m |
開善寺山門 | 重要文化財(国) | 上川路1000 開善寺 | 三間一戸楼門2階を欠く、切妻造、銅板葺、瑠璃閣ともいわれる単層唐様建築で、室町時代前期の建築といわれる。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
鐘楼 | 重要美術品(国) | 上川路1000 開善寺 | 瓦葺、入母屋造りで、室町時代の作といわれている。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
経蔵寺山門 | 飯田市有形文化財/重要美術品(国) | 上郷別府1768 経蔵寺 | 飯田城桜丸にあった安土桃山時代創建の薬医門で、宝暦年間に現在の赤門が建てられるに際して移築した。 | |
鳩ヶ嶺八幡宮本殿 | 飯田市有形文化財 | 八幡町1999 鳩ヶ嶺八幡宮 | 木造三間社流造で、飯田城主脇坂氏によって、江戸時代前期の寛文2年(1662)頃に建立された。 | 外観の一部み |
柏心寺山門 | 飯田市有形文化財 | 箕瀬町1-2464-1 柏心寺 | 一間四脚門、切妻造、桟瓦葺、寛文10年(1670)以前の江戸前期の建立で、装飾などに桃山様式が残されている。 | |
阿弥陀寺の千体仏観音堂 | 飯田市有形文化財 |
丸山町2丁目6728 阿弥陀寺 |
方2間の宝形造瓦葺、寛文12年(1672)飯田城主脇坂安政の建立とみられ、江戸前期の古い様式が残る。 | 外観のみ |
神之峰久堅神社境内天神社本殿 | 飯田市有形文化財 |
上久堅8168 久堅神社 |
享保16年(1731)建造、小規模な一間社流造、こけら葺の社殿で、県内でも例の少ない個性の強い建築である。 | |
白山社里宮拝殿「旧護摩堂」 | 飯田市有形文化財 | 滝の沢6684 白山社 | 享保18年(1733)に建てられた白山寺の護摩堂で、廃仏毀釈での破壊を白山社の拝殿として免れた。 | 外観のみ |
運松寺鐘楼門 | 飯田市有形文化財 | 鼎名古熊1914 運松寺 | 享保20年(1735)建立された市内最古の鐘楼門で、18世紀の簡素な建築様式をよく示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
白山社奥社幣殿・拝殿、随身門 | 飯田市有形文化財 | 上飯田(風越山山頂付近) | 拝殿は本殿重文の正面に続き屋根の一部は向拝とつながり、向拝は本殿の扉などに描かれた絵を保護している。随身門も含めて江戸中期に建てられたものとみられる。 | 登山、標高1490m付近、外観のみ |
鳩ヶ嶺八幡宮随神門 | 飯田市有形文化財 | 八幡町1999 鳩ヶ嶺八幡宮 | 彩色された八脚門で、意匠的に優秀で大工の技術も高く、江戸時代中期の様式をよく示している。 | |
旧飯田城の桜丸西門(雲彩寺山門) | 飯田市有形文化財 | 上郷飯沼3335 雲彩寺 | 桜丸現県合同庁舎の西側の門とされる薬医門で、18世紀前半の建立と推定される。大正10年頃雲彩寺に寄進された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
耕雲寺の羅漢門 | 飯田市有形文化財 | 座光寺1708 耕雲寺 | 寛政7年(1795)建立、上層が高い二重門で、入母屋造、桟瓦葺き、当地域では珍しい竜宮門形式で、上層の組物や彫刻の意匠も優れている。 | |
毛賀諏訪神社本殿 | 飯田市有形文化財 | 毛賀885 毛賀諏訪神社 | 一間社流造、銅板葺元こけら葺で、木割りや彫刻に立川流の作風がみられる。文化12年(1815)建立された。 | 覆屋に覆われています。 |
白山社随身門 | 飯田市有形文化財 | 滝の沢6684 白山社 | 高さ11m、奥行き4m、間口7mの唐破風三間楼門造り、文政11年(1828)の建造で、多様で絢爛な彫刻が施されている。総欅造り。 | |
長石寺本堂 | 飯田市有形文化財 | 時又329 長石寺 | 方3間、入母屋造、桟瓦葺。明治3年(1870)の再建で、立川流の直系が請負った最後の大規模建築といわれる。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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旧小笠原家書院 | 重要文化財(国) | 伊豆木3942-1 | 懸造、一重入母屋造、こけら葺きで、桃山時代の建築様式が残る。寛永元年(1624)の建築とみられ、地方豪族の居館で江戸期に遡る書院は全国でも例がない。 | 有料、資料館併設 |
福島家住宅 | 飯田市有形文化財 | 本町4丁目53 | 江戸後期築造の飯田藩士の住居で、門・塀・主屋が揃って現地に残る唯一の武士住宅遺構である。 | 非公開 |
旧飯田城の八間門 | 飯田市有形文化財/重要美術品(国) | 松尾久井2595-1 | 桁行5間、梁行4間、2階建、切妻造、桟瓦葺の、三間一戸櫓門。文禄年間(1592~1596)に建立された現存する飯田城最古の建築で、飯田城廃城に伴い現在の場所に移築された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
飯田城桜丸御門(通称赤門) | 飯田市有形文化財 | 追手町2丁目678 長野県飯田合同庁舎 | 飯田城桜丸の入口に現存する、正面3間、側面3間の入母屋造りの門で、ベンガラ塗りのため赤門と呼ばれる。宝暦4年(1754)の建立である。 | |
経蔵寺山門 | 飯田市有形文化財/重要美術品(国) | 上郷別府1768 経蔵寺 | 飯田城桜丸にあった安土桃山時代創建の薬医門で、宝暦年間に現在の赤門が建てられるに際して移築した。 | |
飯田市有形文化財 | 上郷飯沼3335 雲彩寺 | 桜丸現県合同庁舎の西側の門とされる薬医門で、18世紀前半の建立と推定される。大正10年頃雲彩寺に寄進された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 | |
旧飯田藩馬場調練場の門通称 脇坂門 | 飯田市有形文化財 | 馬場町3丁目411 | 旧飯田藩馬場調練場にあったとされる寛政期頃の門で、明治2年に追手町、平成25年に現在地に移転した。 | |
下伊那教育会旧黒須家土蔵 | 登録有形文化財(国) | 仲ノ町358-3 | 土蔵造2階建で置屋根式の桟瓦葺である。武家屋敷の街並みを感じることができる。 | 外観のみ |
下伊那教育会旧黒須家門 | 登録有形文化財(国) | 仲ノ町358-3 | 間口2.4mの薬医門で、切妻造桟瓦葺である。武家屋敷の街並みを感じることができる。 | 外観のみ |
梁木島番所跡 | 飯田市有形文化財 | 南信濃八重河内998 | 満島番所とともに秋葉街道に置かれた関所で、慶長19年(1614)遠山景直が一族を置いたことに始まり、天明7年(1787)に現在地に移転した。 | 事前に遠山郷観光協会へお問合せ下さい。 |
近代・民俗資料
飯田市美術博物館
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 | |
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代田山狐塚古墳 | 長野県史跡 | 松尾代田1403-71 | 全長42mの前方後方墳で、4世紀代の築と考えられる。ヤマト政権より一足早くに東海地方泳力の影響があったことが示唆される。 | 遊歩道あり | |
飯田古墳群 | 史跡(国) | 座光寺・上郷・松尾・竜丘 | 市内に現存する5~6世紀の前方後円墳と帆立貝形古墳22基のうちの13基で、各地の単位群から成る。飯田下伊那は内陸交通に重要な馬の管理を通じて、ヤマト政権と密接な関係を持つに至った。 | ||
飯田古墳群 | 高岡第1号古墳 | 史跡(国) | 座光寺3338-1 他 | 墳丘長72.3mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。埋葬施設は横穴式石室で、入口両脇の石を立てる構造や、壁の一段目が平石を立てている構造に特徴があり、九州や朝鮮半島との関連が考えられる。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 |
飯沼天神塚(雲彩寺)古墳 | 史跡(国) | 上郷飯沼3334-1 他 | 墳丘長74.5m、飯田古墳群内では最大規模の前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。石室は細長い羨道部が特徴で、群馬県の古墳の石室に類例がある。 | お寺へ声をかけて下さい。 | |
御射山獅子塚古墳 | 史跡(国) | 松尾久井284 他 | 墳丘長58mの前方後円墳で、5世紀末から6世紀にかけての築造と考えられている。埋葬施設は現在確認されていない。 | 近隣へご配慮下さい。 | |
おかん塚古墳 | 史跡(国) | 松尾上溝2806 他 | 推定墳丘長50mの前方後円墳で、6世紀後半の築造と考えられている。前方部と後円部の両方に石室があったが、現在は後円部のみ残されている。横穴式石室は内部が広い巨石積みで、近畿地方の石室に類似する。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
上溝天神塚古墳 | 史跡(国) | 松尾上溝3384 他 | 推定墳丘長41.5mの前方後円墳で、6世紀中頃の築造と考えられている。無袖式とよばれる細長い形状の横穴式石室が後円部に残る。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
姫塚古墳 | 史跡(国) | 松尾上溝3366-1 他 | 墳丘長40mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。埋葬施設は横穴式石室で、内部に朱彩が残っている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
水佐代獅子塚古墳 | 史跡(国)/飯田市史跡 | 松尾水城3458 他 | 墳丘長60mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は不明である。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
大塚古墳 | 史跡(国) | 桐林2024 他 | 推定墳丘長53mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
塚原二子塚古墳 | 史跡(国) | 桐林3046-1 他 | 墳丘長73mの前方後円墳で、5世紀末の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。本古墳を中心に、大小16基古墳が存在したとされ、塚原古墳群と呼ばれている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
鏡塚古墳 | 史跡(国) | 桐林2886-1 他 | 墳丘長45mの帆立貝形古墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
鎧塚古墳 | 史跡(国) | 桐林2875-1 他 | 墳丘長40mの帆立貝形古墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
馬背塚古墳 | 史跡(国) | 上川路284 他 | 推定墳丘長50m以上の前方後円墳で、6世紀末の築造と考えられている。前方部と後円部にそれぞれ形状の異なる横穴式石室がある。西側の石室は細長い形状で、東海地方の石室と、東側の石室はおかん塚古墳と同じ形状で、近畿地方の石室と形状が類似する。飯田古墳群の中では最後に造られた前方後円墳と考えられている。 |
所有者・近隣へご配慮下さい。 西側石室立ち入り禁止。 |
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御猿堂古墳 | 史跡(国)/長野県史跡 | 上川路882-1 他 | 墳丘長65.4mの前方後円墳で、6世紀中頃の築造と考えられている。石室は細長い形状をしており、東海地方の石室との類似点がある。重要文化財「画文帯四仏四獣鏡」が出土した。 |
所有者・近隣へご配慮下さい。 石室入口狭し。 |
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畦地1号古墳 | 飯田市史跡 | 座光寺3296-4 | 南北方向19.8m、高さ5.5mの円墳で、6世紀前半の築造。横穴式石室や出土遺物から朝鮮半島からの影響が考えられる。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
恒川官衙遺跡 | 史跡(国) | 座光寺3446 他 | 7世紀後半から10世紀前半にかけて営まれた古代の役所「伊那郡衙」と考えられる遺跡。正倉院を構成する建物址、館・厨とみられる建物址、祭祀が行われていた「恒川清水」が残り、和同開珎銀銭、硯、瓦、炭化米等が出土している。 | 今後整備予定 | |
松尾城跡 | 長野県史跡 | 松尾代田1007-1 他 | 段丘突端の平山城。室町時代、信濃守護職松尾小笠原氏の本拠地として、信濃・伊那の中心であった。 | 公園・私有地あり | |
鈴岡城跡 | 長野県史跡 | 駄科1729 他 | 段丘突端の平山城。室町時代、小笠原氏は家督を巡り一族内で争った。鈴岡城はその一派が拠った白で、松尾城主などと対立した。 | 公園 | |
南本城城跡 | 長野県史跡 | 座光寺1849 他 | 大規模で複雑な縄張の山城。保存状態が大変良い。文献はないが、座光寺氏の他、戦国大名の関与が考えられる。 | 遊歩道あり | |
神の峰城跡 | 飯田市史跡 | 上久堅8166-3 他 | 旧族知久氏の居城で、峻険な山城である。天文23年(1554)に武田氏の下伊那侵攻により落城した。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
知久平城跡 | 飯田市史跡 | 下久堅知久平714-2 他 | 神の峰に移る前の知久氏居城の平山城。天正10年代に徳川家臣菅沼氏が普請し、その縄張が反映されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
日樹上人墓 | 飯田市史跡 | 羽場権現1190-9 元山白山神社境内 | 五輪石塔で、寛永20年(1643)の日樹上人十三回忌に仰円院日利により建立された。 | ||
飯田藩主堀家の墓所 | 飯田市史跡 | 諏訪町4166 長久寺 | 飯田藩6代藩主堀親蔵、9代親民、11代親義3基の笠塔婆のほか、藩主の妻や一族の墓がある。 | ||
遠山土佐守一族墓碑 | 飯田市史跡 | 南信濃和田1198 龍淵寺 | 龍淵寺境内にある遠山一族の墓所で、土佐守景直とその子加兵衛景重の墓碑がある。 | ||
白隠石 | 飯田市史跡 | 竹佐345-1 | 宝暦7年(1757)に白隠禅師が73歳で当地方を訪れた際に、山本地区の村人の要請により自然石に揮毫された立派なもの。 | ||
下茶屋の道標 | 飯田市史跡 | 鼎下茶屋994-6 | 宝暦10年(1760)に設置。遠州街道と伊久間街道の分岐点で秋葉街道の方向を示している。 | ||
八幡の道標 | 飯田市史跡 | 松尾八幡町1971-1 | 宝暦10年(1760)に設置。下条街道と秋葉街道の分岐点である鳩ヶ嶺八幡宮前に位置する。 | ||
風越山白山社奥社境内地 | 飯田市史跡 | 上飯田(風越山山頂付近) | 風越山は古来より信仰の対象で、山頂付近に建立された白山社奥社と参道周辺には、神仏習合の石造物が点在している。 | 登山、標高1490m | |
青崩峠 | 飯田市史跡 | 南信濃八重河内 | 信濃と遠江の国境にある峠で、秋葉街道の往時の姿をとどめている。 | 軽登山 | |
座光寺の石川除 | 長野県史跡 | 座光寺6710-2 他 | 文政11年から天保2年(1828~1831)に、天竜川と南大島川の合流点に築かれた石積みの堤防で、治水利水の様子をよく伝えられている。 | ||
観耕亭碑 | 飯田市史跡 | 追手町2丁目641 長姫神社境内 | 石碑の撰文は安積信、書は高橋豊桂が担当し、安政6年(1859)に建てられた。飯田藩主の徳を讃えるもので、内容・筆跡ともに優れている。 |
名 称 | 指定区分 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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天龍峡 | 名勝(国) | 龍江・川路 | 弘化4年(1847)、漢学者阪谷朗蘆によって命名された奇岩断崖からなる狭隘な峡谷で、両岸のアカマツ林、サクラ、サツキ、カエデ等の草木と共に四季折々の峡谷美をなす。 | 遊歩道もありますが、舟下りにて観賞するのがおすすめです。 |