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「飯田古墳群」が正式に国史跡に指定されました

ページID:0043734 印刷用ページを表示する 掲載日:2016年10月3日更新
 平成28年6月17日に国の文化審議会から出された答申を受けて、平成28年10月3日に文部科学大臣は「飯田古墳群」を正式に国史跡に指定しました。
 また、同日、「史跡 恒川官衙遺跡」が追加指定されました。

飯田古墳群について

名称

 飯田古墳群

よみがな

 いいだこふんぐん

指定の区分

 国史跡

所在地

 飯田市座光寺・上郷・松尾・竜丘

時代

 古墳時代(5世紀~6世紀)

史跡 飯田古墳群として指定された古墳

 座光寺  高岡第1号古墳(たかおかだいいちごうこふん)

 上 郷   飯沼天神塚(雲彩寺)古墳(いいぬまてんじんづか(うんさいじ)こふん

 松 尾   御射山獅子塚古墳(みさやまししづかこふん) 

        姫塚古墳(ひめづかこふん)

        上溝天神塚古墳(あげみぞてんじんづかこふん)

        おかん塚古墳(おかんづかこふん)

        水佐代獅子塚古墳(みさじろししづかこふん)

 竜 丘   大塚古墳(おおつかこふん)

        塚原二子塚古墳(つかばらふたごづかこふん)

        鏡塚古墳(かがみづかこふん)※

        鎧塚古墳(よろいづかこふん)※

        御猿堂古墳(おさるどうこふん)

        馬背塚古墳(ませづかこふん)

  ※印のある2基は帆立貝形古墳、その他11基は前方後円墳です。

指定された理由

1. 古墳群の構成

 飯田古墳群は、飯田市の天竜川右岸段丘上の南北約10Km、東西約2.5Kmの範囲に、 古墳時代中期から後期(5世紀後半から6世紀末)にかけて継続して築造された22基の前方後円墳と5基の帆立貝形古墳からなる古墳群です。このうち、18基の前方後円墳と4基の帆立貝形古墳が比較的良好な形で現存します。

 古墳群は、北から座光寺(ざこうじ)・上郷(かみさと)・松尾(まつお)・竜丘(たつおか)・川路(かわじ)の5つのグループ(単位群)からなります。

2. 前方後円墳の出現とヤマト王権との関わり

 5世紀後半に突如として古墳の築造が始まります。古墳築造の背景には、5世紀中頃に飯田地域にもたらされた馬の文化を通じたヤマト王権との関わりが考えられます。

 飯田地域は、内陸交通において東西地域を結ぶ交通の結節点に位置しており、独自に周辺地域との交流があったことを示すとともに、ヤマト王権による東国経営とも関わりがあったことを物語っています。また、6世紀後葉の前方後円墳の消長及び畿内系横穴式石室(きないけいよこあなしきせきしつ)受容の背景には、地域の再編成とヤマト王権の東国経営強化の過程を見ることができます。

3. 飯田古墳群の価値

 飯田古墳群は広範囲に及びますが、一体の古墳群として捉えることで、古墳時代中・後期にみられるヤマト王権による政治支配の状況や東国経営のあり方を知ることができるとともに、ヤマト王権を構成する地域社会の動向を知る上でも重要です。

 このことから、飯田古墳群を将来に保護を図るために、国史跡に指定されました。