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ページID:0068192 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年5月27日更新
有形文化財(重要文化財〈彫刻・絵画・工芸品/建造物〉/登録有形文化財) / 民俗文化財 / 記念物(史跡/名勝/天然記念物)
※名称等にリンクがある場合は詳細をご覧頂けます。
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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阿弥陀如来坐像 | 久米311 光明寺 | 像の高さ1.38mで、上品下生の印を結び趺座する。洗練された藤原期の作風で、平安時代末期の作と推定される。 | 非公開 |
木造誉田別尊坐像 | 八幡町1999 鳩ヶ嶺八幡宮 | 高さ0.99mの冠束帯の坐像で、俗体の例は少なく造形も優れ、体内墨書により正応元年(1288)の作とされる。 | 非公開 |
絹本著色八相涅槃図 | 上川路1000 開善寺 | 鎌倉時代中期の作品とされ、涅槃図を中心に釈迦の生涯の7つのエピソードが色鮮やかに描かれている。 | 非公開 |
画文帯四仏四獣鏡 | 上川路1000 開善寺 | 直径23.7cmの白銅製で、中国六朝時代の製作、もしくは仿製鏡とする説がある。御猿堂古墳出土とされる。 | 非公開 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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下久堅南原1245-3 文永寺 | 鎌倉時代の五輪塔とそれを覆う石室で、弘安6年(1283)癸末12月29日の刻名があり、知久敦幸62歳の時に南都の石工に造らせたことが記されている。 | 公開 | |
白山社奥社本殿 |
上飯田(風越山頂付近) |
三間社流造、こけら葺、弁柄塗り。和様と禅宗様と大仏様の折衷様である。室町時代の永正6年(1509)の墨書がある。 |
外観のみ 海抜1490m |
旧小笠原家書院 | 伊豆木3942-1 | 懸造、一重入母屋造、こけら葺きで、桃山時代の建築様式が残る。寛永元年(1624)の建築とみられ、地方豪族の居館で江戸期に遡る書院は全国でも例がない。 | 有料、資料館併設 |
開善寺山門 | 上川路1000 開善寺 | 三間一戸楼門2階を欠く、切妻造、銅板葺、瑠璃閣ともいわれる単層唐様建築で、室町時代前期の建築といわれる。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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飯田市追手町小学校校舎 | 追手町2丁目673-1 | 昭和4年(1929)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建の校舎で、意匠的に優れている。 | 外観のみ、現役校舎 |
飯田市追手町小学校講堂 | 追手町2丁目673-1 | 昭和6年(1931)建築の鉄骨造平屋建の建物で、鉄骨造を感じさせない木造の内部構成が見どころである。 | |
旧山本中学校杵原校舎管理教室棟 | 竹佐377-1 | 昭和24年(1949)に建てられた木造平屋建、切妻造、桟瓦葺の建物で、当時の地方における学校校舎の姿をよくとどめている。 | 外観のみ、内部は山本自治振興センターへお問合せ下さい。 |
旧山本中学校杵原校舎教室棟 | 竹佐377-1 | 同上 | |
旧飯田測候所庁舎 | 馬場町3丁目441-1 | 大正11年(1922)に建てられた木造平屋建の擬洋風建築で、19世紀末にヨーロッパで流行した新様式を取り入れている。 | 当課へお問合せ下さい。 |
下伊那教育会館 | 仲ノ町303-1 | 昭和13年(1938)に建てられた木造2階建の洋風建築。正面屋根中央にマンサードの破風、左右にドーマー窓を配している。 | 外観のみ |
下伊那教育会土蔵 | 仲ノ町303-1 | 昭和13年(1938)に建てられた、切妻造、2階建の土蔵。桁行3間、梁間2間半とし、正面に下屋を設けている。 | |
下伊那教育会旧黒須家土蔵 | 仲ノ町358-3 | 土蔵造2階建で置屋根式の桟瓦葺である。武家屋敷の街並みを感じることができる。 | 外観のみ |
下伊那教育会旧黒須家門 | 仲ノ町358-3 | 間口2.4mの薬医門で、切妻造桟瓦葺である。武家屋敷の街並みを感じることができる。 | |
柳田國男館(旧喜談書屋) |
追手町2丁目655-7 飯田市美術博物館 |
日本民俗学の創始者である柳田國男が、東京都世田谷区に書斎(兼住居)として建てた建物で、昭和63年に移築された。イングリッシュ・コッテージの木骨様式をよく示している。 | 公開、飯田市美術博物館(外部リンク)へお問合せ下さい。 |
民俗文化財
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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遠山の霜月祭 | 上村・南信濃 | 12月(旧暦霜月)に遠山谷の各集落の神社で開催される湯立神楽で、鎌倉時代の荘園儀礼が起源と考えられる。神名帳を奉読する神事は全国的に稀で、昼夜にわたり湯立と舞を繰り返した後、神々の面が登場する。 | 神事につきマナーを守って見学して下さい。 |
名 称 | 所在地 | 概 要 | 見学・備考 |
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正月行事 | 1月1日を中心とした門松やお年取り、ほんやりなどの行事。日本の年中行事の最も中心的なもので、その年の繁栄を祈る行事であったが、現在は急速に信仰色が失われつつある。 | 家庭・地域での行事です。 | |
盆行事 | 送火、迎火、盆踊りなどの行事。仏教の影響を強く受けてはいるものの、民間の行事の実際には祖霊を祀って供養するという、日本固有の性格が伝えられている。 | 家庭・地域での行事です。 | |
長野県下の代表的民家の間取り・使い方 | 長野県 | 本棟造は、切妻造り妻入りで緩やかな勾配の屋根をもち、雀おどしと呼ばれる棟飾りがつくこともある。その間取りはほぼ正方形である。 | 個別の指定等はありません。 |
伊那の人形芝居 |
龍江(今田人形) 上郷(黒田人形)他 |
江戸時代、大阪を中心に栄えた人形浄瑠璃芝居が伝わり、伊那谷では最盛期に20座近くの芝居があったが、現在は3座が活動している。 |
4月(黒田)、10月(今田)奉納上演 |
遠山霜月祭の芸能 | 上村・南信濃 | 三遠南信地方に伝わる霜月の湯立神楽の一典型であり、芸能史の展開を考える上で重要な神事的な民俗資料である。 | 神事につきマナーを守って見学して下さい。 |
信濃の火鑚習俗 | 上村程野 |
木の棒を錐のように板の上で揉んで火を鑚りだす古来以来の発火法。程野正八幡宮の霜月祭のきしめ造り12月1日に行なわれる。 |
神事につきマナーを守って見学して下さい。 |
下伊那のかけ踊 | 上村下栗 | 他の場所へ練り込み、太鼓・鉦を主要楽器として踊りかける形式のもの。災厄や祖霊等を送り出すため、盆や虫送り、雨乞い行事等と結びついている。 | 神事につきマナーを守って見学して下さい。 |
伊那谷のコト八日行事 | 千代・上久堅他 | 2月8日や9日を中心に、無病息災や集落の安全を祈願する。子どもが禍をミコシや笹と共に集落の外に捨てる。 | 神事につきマナーを守って見学して下さい。 |
中馬制 | 長野県 | 塩などの必要な物資を馬を用いて運送するもので、特に大規模な輸送の組織として著名である。農民がこれに従事し、信濃と三河・尾張との間を往復運搬し、飯田はその中心地であった。江戸時代後期から明治年間にかけてがその最盛期であったが、近代の輸送機関の発達につれて衰退した。 | 現在は行われていません。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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下黒田の舞台 | 上郷黒田2346 下黒田諏訪神社 | 間口8間、奥行4間、木造2階建、入母屋造の舞台で、屋根裏の梁組に亀甲梁を採用している。天保11年(1840)に建築され、黒田人形の上演に使用される。 | 外観のみ |
記念物
名 称 | 所在地 | 概 要 | 見学・備考 | |
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恒川官衙遺跡 | 座光寺3446 他 | 7世紀後半から10世紀前半にかけて営まれた古代の役所「伊那郡衙」と考えられる遺跡。正倉院を構成する建物址、舘・厨とみられる建物址、祭祀が行われていた「恒川清水」が残り、和同開珎銀銭、硯、瓦、炭化米が出土している。 | 今後整備予定 | |
飯田古墳群 | 座光寺・上郷・松尾・竜丘 | 市内に現存する5~6世紀の前方後円墳と帆立貝形古墳22基のうち13基で、各地の単位群から成る。飯田下伊那は内陸交通に重要な馬の管理を通じて、ヤマト政権と密接な関係を持つに至った。 | ||
飯田古墳群 | 高岡第1号古墳 | 座光寺3338-1 他 | 墳丘長72.3mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。埋葬施設は横穴式石室で、入口両脇の石を立てる構造や、壁の一段目が平石を立てている構造に特徴があり、九州や朝鮮半島との関連が考えられる。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 |
飯沼天神塚(雲彩寺)古墳 | 上郷飯沼3334-1 | 墳丘長74.5m、飯田古墳群内では最大規模の前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。石室は細長い羨道部が特徴で、群馬県の古墳の石室に類例がある。 | お寺へ声をかけて下さい。 | |
御射山獅子塚古墳 | 松尾久井284 他 | 墳丘長58mの前方後円墳で、5世紀末から6世紀にかけて築造と考えられている。埋葬施設は確認されていない。 | 近隣へご配慮下さい。 | |
おかん塚古墳 | 松尾上溝2806 他 | 推定墳丘50mの前方後円墳で、6世紀後半の築造と考えられている。前方部と後円部の両方に石室があったが、現在は後円部のみ残されており、横穴式石室は内部が広い巨石積みで、近畿地方の石室に類似する。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
上溝天神塚古墳 | 松尾上溝3384 他 | 推定墳丘41.5mの前方後円墳で、6世紀中頃の築造と考えられている。無袖式とよばれる細長い形状の横穴式石室が後円部に残る。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
姫塚古墳 | 松尾上溝3366-1 他 | 墳丘長40mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられている。埋葬施設は横穴式石室で、内部に朱彩が残っている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
水佐代獅子塚古墳 | 松尾水城3458 他 | 墳丘長60mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は不明である。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
大塚古墳 | 桐林2024 他 | 推定墳丘長53mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
塚原二子塚古墳 | 桐林3046-1 他 | 墳丘長73mの前方後円墳で、5世紀末の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。本古墳を中心に、大小16基の古墳が存在したとされ、塚原古墳群と呼ばれている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
鏡塚古墳 | 桐林2886-1 | 墳丘長45mの帆立貝形古墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
鎧塚古墳 | 桐林2875-1 他 | 墳丘長40mの帆立貝形古墳で、5世紀後半の築造と考えられており、埋葬施設は竪穴式石室と推定されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 | |
馬背塚古墳 | 上川路284 他 | 推定墳丘長50m以上の前方後円墳で、6世紀末の築造と考えられている。前方部と後円部にそれぞれ形状の異なる横穴式石室がある。西側の石室は細長い形状で東海地方の石室と、東側の石室はおかん塚と同じ形状で、近畿地方の石室と形状が類似する。飯田古墳群の中では、最後に造られた前方後円墳と考えられている。 |
所有者・近隣へご配慮下さい。 西側石室一部崩落。 |
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御猿堂古墳 | 上川路882-1 他 | 墳丘長65.4mの前方後円墳で、6世紀中頃の築造と考えられている。石室は細長い形状をしており、東海地方の石室と類似点がある。重要文化財「画文帯四仏四獣鏡」が出土した。 |
所有者・近隣へご配慮下さい。 石室入口狭し。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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天龍峡 | 川路・龍江 | 弘化4年(1847)、漢学者阪谷朗蘆によって命名された奇岩断崖からなる狭隘な峡谷で、両岸のアカマツ林、サクラ、サツキ、カエデ等の草木と共に四季折々の峡谷美をなす。 | 遊歩道もありますが、舟下りにて観賞するのがおすすめです。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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ライチョウ |
地域を定めず (赤石山脈) |
キジ科の鳥で、赤石山脈(南アルプス)のハイマツ帯に生息する。赤石山脈は世界的に分布の南限にあたり、近年絶滅が危ぶまれる。 | |
カモシカ | 地域を定めず | 日本に住む唯一の野生ウシ科動物で、日本固有種である。東日本の山地帯から高山帯に生息する。 | 飯田市立動物園で飼育しています。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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柴犬 | 地域を定めず | 天然記念物に指定されている日本古来の犬種6種のうち唯一の小型犬で、日本犬の代表的犬種である。 | |
イヌワシ | 地域を定めず | 日本最大級の猛禽類で近畿地方以北の山岳地帯で繁殖している。当市では赤石山脈においての確認例がある。 | |
ヤマネ |
地域を定めず (標高500~1800mの山地) |
体長約7cmのネズミに似た小動物。げっ歯目ヤマネ科に属する一属一種の日本特産種で世界的にも珍しい。市内では、野底山、伊那山脈及び遠山地区山間部での確認例がある。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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高山彦九郎日記 |
飯田市美術博物館 |
幕末の志士高山彦九郎が安永7年(1778)3月18日より6月24日までの100日間を綴った日記である。江戸時代の世相を知ることができる。 | 非公開 |
後奈良天皇宸翰女房奉書 | 下久堅南原1142 文永寺 | 女房奉書とは天皇の考えを女官が独自の字配り「女消息体」で書いたもので、太元修法を行なうよう書かれている。紙本墨書。 | 非公開 |
後奈良天皇宸翰御懐紙 | 下久堅南原1142 文永寺 | 宸翰とは天皇自筆のこと。天皇の和歌で文永寺宗然が宮中で太元帥修法を修めた際に与えられたと伝わる。紙本墨書詠春色浮水和歌。 | 非公開 |
正親町天皇宸翰女房奉書 | 下久堅南原1142 文永寺 | 文永寺の本山京都理性院の国家鎮護と国土豊穣の祈祷を褒めたもの。紙本墨書太元八譬像。 | 非公開 |
木造十一面観音立像 | 立石140 立石寺 | 高さ1.05mの一木造りの像で、平安時代の古い様式を残している。 | 非公開 |
木造薬師如来座像 | 久米311 光明寺 | 像の高さ85cmで、保延6年(1140)3月3日の墨書がある。 | 非公開 |
鐘楼 | 上川路1000 開善寺 | 瓦葺、入母屋造りで、室町時代の作といわれている。 | 外観のみ、所有者へ声をかけて下さい。 |
門(旧飯田城八間門) | 松尾久井 2595-1 | 桁行5間、梁行4間、2階建、切妻造、桟瓦葺の三間一戸櫓門。文禄年間(1592~1596)に建立された現存する飯田城最古の建築で、廃城に伴い現在の場所へ移築された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
経蔵寺山門 | 上郷別府1768 経蔵寺 | 飯田城桜丸にあった桃山時代創建の薬医門で、宝暦年間(1751~1764)に現在の赤門が建てられるに際して移築した。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |