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ページID:0069796 印刷用ページを表示する 掲載日:2023年1月5日更新
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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絹本著色聖徳太子絵伝 | 飯田市美術博物館 | 鎌倉末~南北朝時代の製作で、宮ノ上太子堂に伝来した。損傷は大きいが聖徳太子絵伝の古様を示している。 | 非公開 |
絹本著色阿弥陀如来像 | 飯田市美術博物館 | 室町時代の作とされ、当地方の現存最古例で、全国でも古い作品である。立石の雌杉の下にあった杉の堂に伝来し、その跡地の個人宅に保管された。 | 非公開 |
信州伊奈郡之絵図 | 飯田市美術博物館 | 江戸時代初期正保年間に、江戸幕府が諸国に提出を命じた郡の絵図の副本とみられる。上・下伊那郡の様子を描いた最古で詳細な絵図として貴重。 | 非公開 |
菱田春草筆「鎌倉時代闘牛の図」 | 飯田市美術博物館 | 東京美術学校時代の作品で、大和絵の伝統を学びながら、写実性があらわれ学習の成果が見える。現存する春草作品では最も早い出品受賞作である。 | 展示予定は美術博物館へお問合せ下さい。 |
菱田春草筆「武具の図」 | 飯田市美術博物館 | 東京美術学校時代の作品で、大和絵の伝統を学びながら、写実性があらわれ学習の成果が見える。春草会が最も早くに所蔵した春草作品である。 | |
菱田春草の「白き猫」 | 飯田市美術博物館 | 春草27才の作品で、明治34年(1901)、の帰郷後に東京へ戻り、1ヶ月後に完成させて春草が母校へ寄贈した。 | |
菱田春草筆「霊昭女」 | 飯田市美術博物館 | 日本美術院の第16回絵画互評会で二等を受賞した作品で、重文「王昭君」と共通する表現が随所に見られる。 | |
菱田春草筆「鹿」 | 飯田市美術博物館 | 第10回日本美術院連合絵画共進会で銀章となった作品で、写実性に主眼を置く朦朧体後期の画風をよく示す。 | |
菱田春草筆「夕の森」 | 飯田市美術博物館 | 滞米期に描かれたことが明確な作品で、春草の米欧遊学期の作風をよく示し、この時期を代表する。 | |
菱田春草筆「夜桜」 | 飯田市美術博物館 | 美術博物館開館にあわせて、菱田家から飯田市へ寄贈された作品で、滞米期の作品と伝えられている。 | |
菱田春草筆「帰樵」 | 飯田市美術博物館 | 米欧から帰国後間もなくして描かれた作品で、朦朧体の空間性と鮮やかな色彩が両立し、朦朧体研究の成果が表れる。 | |
菱田春草筆「富嶽」 | 飯田市美術博物館 | 欧米遊学後に描かれた作品で、朦朧体の画風が窺えるが色彩の混濁はみられず、朦朧体批判を受け、色彩研究に邁進していた時期の成果が良く表れている。 | |
菱田春草筆「春秋」 | 飯田市美術博物館 | 装飾性のある作風が結実し、春草が高い評価を得た時期の作品で、重文「黒き猫」の作風に通ずる。 | |
菱田春草筆「雨中美人」(未完成) | 飯田市美術博物館 | 菱田春草が亡くなる前年の明治43年(1910)、第4回文部省美術展覧会出品のため制作を始めたものの、未完成に終わった作品。未完成だが、下絵や色の塗り方など、作品制作の様子を見ることのできる資料として、近代美術史的にも貴重な資料である。 | |
菱田春草書簡 菱田家宛 | 飯田市美術博物館 | 下伊那教育会所蔵の書簡で、春草が父や兄など親族に宛てたものであり、春草研究に欠かせない資料である。 | |
法全寺の梵鐘 | 千代3268 法全禅寺 | 永亨11年(1439)に鋳造されたもので室町時代の特徴をよく示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
立石寺の梵鐘 | 立石140 立石寺 | 室町時代の嘉吉3年(1446)に鋳造されたもので、当時の特徴をよく示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
定継寺の雲板 | 龍江2372 定継寺 | 雲板とは、禅宗寺院で食事や起床の合図に叩かれる梵音具をいう。本件は永享2年(1430)の陰刻があり、室町時代の特徴を示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
尾林古窯の狛犬 | 飯田市美術博物館 | 慶長14年(1609)作の銘がある。高さ15cmの陶製で、県内最古の近世陶器である。 | 入館料 |
龍江大平薬師如来立像 | 龍江7533-1 | 像高61.5cmの一木造で、平安時代の制作とみられ、飯田下伊那でも最古級の仏像の一つとして重要である。所有者一族が代々伝えてきた。 |
格子越しに見学可能。 屋内での見学は飯田市教育委員会までお問い合わせください。 |
釈迦涅槃像 | 座光寺2638 元善光寺 | 像長155cmの寄木造りの像で、江戸前期の作と推定される。釈迦入滅の場面を示している。 | 宝物館入館料 |
木造天部形立像 | 立石140 立石寺 | 像高95.1cm。10世紀後半(平安時代中期)の作とされる。立石寺の秘仏である木造十一面観音立像(長野県宝)と同じ種類の木を材料とする。 | 非公開 |
木造阿弥陀如来坐像 | 丸山町2丁目6728番地 阿弥陀寺 | 像高43.4cmを測る木造の阿弥陀如来坐像。12世紀後半から13世紀前半(鎌倉時代初期)の作とされる。指先や衣の一部などが後世に補修されている。 | 非公開 |
鬼神面 |
南信濃和田1192 遠山郷土館 和田城 |
般若面が成立する以前の南北朝から室町初期の作と推定され、県内屈指の古面として貴重である。南信濃木沢青龍寺所蔵。 | 入館料 |
鬼神面 |
南信濃和田1192 遠山郷土館 和田城 |
鎌倉時代から南北朝時代の作と推定され、県内最古の古面として貴重である。南信濃木沢八幡神社所蔵。 | 入館料 |
鳩ヶ嶺八幡宮獅子頭 | 飯田市美術博物館 | 檜製の古式の獅子頭で、高さより奥行きが長く扁平な箱形をしており、室町時代初期の特徴を示す。 | 入館料 |
鬼神面 | 飯田市美術博物館 | 鎌倉時代から桃山時代の作とみられ、八幡宮に付属した神宮寺に関わりがある。鳩ヶ嶺八幡宮所蔵。 | 入館料 |
菩薩面 | 飯田市美術博物館 | 鳩ヶ嶺八幡宮所蔵の面で、室町時代の作と考えられる。神宮寺に所属し、行道面として使用された。 | 入館料 |
木炭棺(黒田垣外遺跡出土) |
飯田市考古博物館 |
弥生時代後期の方形周溝墓の遺骸埋葬施設である。板状の炭化材で囲む構造になっている。 | 入館料 |
溝口の塚古墳出土品 | 飯田市考古博物館 | 竪穴式石室および墳丘、周溝から出土した武具類、玉類、埴輪、土器などで、甲冑は埋葬者と大和政権との関係性を示している。 | 当課までお問合せ下さい |
宮垣外遺跡 土坑64出土品 | 飯田市考古博物館 | 宮垣外遺跡から出土した馬具類で、古墳時代に馬の飼育・生産を通して、大和政権と密接につながっていたことを示している。 | |
恒川遺跡群出土品 |
飯田市考古博物館 飯田市美術博物館 |
古代伊那郡衙の存在を示す恒川遺跡群の出土遺物110点。「厨」墨書土器や数多くの陶硯、瓦類がある。 | |
飯田古墳群馬匹関連遺物 | 飯田市考古博物館 | 飯田古墳群から出土した轡、杏葉等の馬具類。飯田地域の馬匹文化の受容の実態を示している。 | 当課までお問合せ下さい |
上黒田の五輪塔 | 上郷黒田3445-1 | 高さ128cm、最大幅49cmの大型の五輪塔であり、石材は花崗岩で梵字は刻まれていない。南北朝末期から室町前期のものと考えられる。 | 所有者へ声をかけて下さい |
千代(米川)の板碑 | 飯田市美術博物館 | 飯田市内では文永寺の石室・五輪塔に次いで古い永仁2年(1294)の記年銘を持つ石造物で、鎌倉時代中期の武蔵型板碑の特徴をよく示している。 | 入館料 |
中村八幡社の石造狛犬一対 | 中村1800-1 | 制作年が判明する石造狛犬としては、市内最古の例である。前足が短く、全身が低く屈む姿勢で、江戸時代前期の石造狛犬の特徴を示している。延宝6年(1678)制作。 |
拝殿越しの見学になります。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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旧飯田城の八間門 | 松尾久井2595-1 | 桁行5間、梁行4間、2階建、切妻造、桟瓦葺の、三間一戸櫓門。文禄年間(1592~1596)に建立された現存する飯田城最古の建築で、飯田城廃城に伴い現在の場所に移築された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
経蔵寺山門 | 上郷別府1768 経蔵寺 | 飯田城桜丸にあった安土桃山時代創建の薬医門で、宝暦年間に現在の赤門が建てられるに際して移築した。 | |
鳩ヶ嶺八幡宮本殿 |
八幡町1999 鳩ヶ嶺八幡宮 |
木造三間社流造で、飯田城主脇坂氏によって、江戸時代前期の寛文2年(1662)頃に建立された。 | 外観の一部み |
柏心寺山門 | 箕瀬町1-2464-1 柏心寺 | 一間四脚門、切妻造、桟瓦葺、寛文10年(1670)以前の江戸前期の建立で、装飾などに桃山様式が残されている。 | |
阿弥陀寺の千体仏観音堂 | 丸山町2丁目6728 阿弥陀寺 | 方2間の宝形造瓦葺、寛文12年(1672)飯田城主脇坂安政の建立とみられ、江戸前期の古い様式が残る。 | 外観のみ |
神之峰久堅神社境内天神社本殿 | 上久堅8168 久堅神社 | 享保16年(1731)建造、小規模な一間社流造、こけら葺の社殿で、県内でも例の少ない個性の強い建築である。 | |
白山社奥社幣殿・拝殿、随身門 | 上飯田(風越山山頂付近) | 拝殿は本殿重文の正面に続き屋根の一部は向拝とつながり、向拝は本殿の扉などに描かれた絵を保護している。随身門も含めて江戸中期に建てられたものとみられる。 | 登山、標高1490m付近、外観のみ |
白山社里宮拝殿「旧護摩堂」 | 滝の沢6684 白山社 | 享保18年(1733)に建てられた白山寺の護摩堂で、廃仏毀釈での破壊を白山社の拝殿として免れた。 | 外観のみ |
運松寺鐘楼門 | 鼎名古熊1914 運松寺 | 享保20年(1735)建立された市内最古の鐘楼門で、18世紀の簡素な建築様式をよく示している。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
鳩ヶ嶺八幡宮随神門 | 八幡町1999 鳩ヶ嶺八幡宮 | 彩色された八脚門で、意匠的に優秀で大工の技術も高く、江戸時代中期の様式をよく示している。 | |
飯田城桜丸御門(通称赤門) | 追手町2丁目678 長野県飯田合同庁舎 | 飯田城桜丸の入口に現存する、正面3間、側面3間の入母屋造りの門で、ベンガラ塗りのため赤門と呼ばれる。宝暦4年(1754)の建立である。 | |
旧飯田城の桜丸西門(雲彩寺山門) | 上郷飯沼3335 雲彩寺 | 桜丸現県合同庁舎の西側の門とされる薬医門で、18世紀前半の建立と推定される。大正10年頃雲彩寺に寄進された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
梁木島番所跡 | 南信濃八重河内998 | 満島番所とともに秋葉街道に置かれた関所で、慶長19年(1614)遠山景直が一族を置いたことに始まり、天明7年(1787)に現在地に移転した。 | 事前に遠山郷観光協会へお問合せ下さい。 |
耕雲寺の羅漢門 | 座光寺1708 耕雲寺 | 寛政7年(1795)建立、上層が高い二重門で、入母屋造、桟瓦葺き、当地域では珍しい竜宮門形式で、上層の組物や彫刻の意匠も優れている。 | |
旧飯田藩馬場調練場の門通称 脇坂門 | 馬場町3丁目411 | 旧飯田藩馬場調練場にあったとされる寛政期頃の門で、明治2年に追手町、平成25年に現在地に移転した。 | |
毛賀諏訪神社本殿 | 毛賀885 毛賀諏訪神社 | 一間社流造、銅板葺元こけら葺で、木割りや彫刻に立川流の作風がみられる。文化12年(1815)建立された。 | 覆屋に覆われています。 |
白山社随身門 | 滝の沢6684 白山社 | 高さ11m、奥行き4m、間口7mの唐破風三間楼門造り、文政11年(1828)の建造で、多様で絢爛な彫刻が施されている。総欅造り。 | |
福島家住宅 | 本町4丁目53 | 江戸後期築造の飯田藩士の住居で、門・塀・主屋が揃って現地に残る唯一の武士住宅遺構である。 | 非公開 |
長石寺本堂 | 時又329 長石寺 | 方3間、入母屋造、桟瓦葺。明治3年(1870)の再建で、立川流の直系が請負った最後の大規模建築といわれる。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
伊豆木天満宮神楽殿 | 伊豆木619-2 伊豆木天満宮 | 明治11年(1879)再建された、間口6間、奥行3間半、屋根は切妻造、桟瓦葺の人形舞台と歌舞伎舞台の併用舞台。 | 外観のみ |
旧瀧澤医院 | 虎岩734-1 | 明治28年(1895)竣工の木造2階建擬洋風の病院建築で、明治期の病院建築で現存するものは少なく、全国的にも貴重な建造物である。 | 外観一部のみ |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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大名行列 | 本町3丁目 | 大宮神社の式年祭に演じられ、江戸時代の大名行列の所作をよく伝承している。 | お練まつり(寅・申年の3月下旬) |
今田人形芝居 | 龍江 | 三人遣いの人形浄瑠璃で、宝永元年(1704)より伝わるとされる。 | 10月第3日曜日奉納上演 |
黒田人形芝居 | 上郷黒田 | 三人遣いの人形浄瑠璃で、元禄年間(1688~1704)より伝わるといわれる。人形の操法に手と呼ばれる古い型を伝える。 | 4月第2日曜日奉納上演 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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操人形「老女形の首」 |
上郷黒田2344‐2 黒田人形浄瑠璃伝承館 保存会 |
元文2年(1737)作で、製作年の判明する操人形首としては国内最古のものである。 | 保存会へお問合せ下さい。 |
立石寺立石柿絵馬 | 立石140 立石寺 | 江戸時代後期に立石寺へ奉納された絵馬。当時特産品だった立石柿や天竜川の水運を物語る。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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ことの神送り | 上村上町 | 2月8日前後の日曜に行われる。禰宜や村人が太鼓や鉦の囃子に合わせて謡い、悪疫を村から外に追い出す。 | 上村自治振興センターへお問合せ下さい。 |
御祝棒 | 上村上町 | 前年に結婚した夫婦の家へ子どもたちが訪れ、子孫繁栄・五穀豊穣を願い、男性を象った棒で縁側を叩いて祝う。 | 1月、上村自治振興センターへお問合せ下さい。 |
正調「絵島」 | 上村 | 江戸で流行した絵島節が、高遠から伝えられ、秋葉街道の宿々で唄い継がれたが、現在では上村にのみ盆踊り唄として残る。 | 実施未定 |
下栗掛踊り | 上村下栗 | 8月15日の午後に行なわれる、はやしと唄にあわせて踊る雨乞い踊りで、400年ほど前から伝わるといわれている。 | 神事につきマナーを守って見学して下さい。 |
中郷獅子舞 | 上村中郷 | 悪疫・飢饉・その他の災害を逃れ、その年の安泰を祈願するために、獅子の太神楽舞を氏神様に奉納する。 | 実施未定 |
此田神楽 | 南信濃八重河内 | 八重河内の此田地区に伝わる雌獅子一頭による獅子神楽で、笛と太鼓の囃子に合わせて舞う。 | 1月2日、遠山郷観光協会へお問合せ下さい。 |
天竜川の舟下り |
松尾・龍江 |
日本における観光川下り舟の草分けの一つであり、操船・造船技術に地域的な特徴が認められ、その技術が継承されている。 |
松尾:信南交通株式会社天竜舟下り事業部 龍江:天龍ライン遊船有限会社 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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水城の水佐代獅子塚古墳 | 松尾水城3457 他 | 墳丘長60mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と考えられている。埋葬施設は不明である。主要部は史跡「飯田古墳群」に指定されており、一部が飯田市史跡となる。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 |
畦地1号古墳 | 座光寺3296-4 | 南北方向19.8m・高さ5.5 mの円墳で、6世紀前半の築造。横穴式石室や出土遺物から朝鮮半島からの影響が考えられる。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 |
神の峰城跡 | 上久堅8166-3 他 | 旧族知久氏の居城で、峻嶮な山城である。天文23年(1554)に武田氏の下伊那侵攻により落城した。 | |
知久平城跡 | 下久堅知久平714-2 他 | 神の峰に移る前の知久氏居城の平山城。天正十年代に徳川家臣菅沼氏が普請し、その縄張が反映されている。 | 所有者・近隣へご配慮下さい。 |
遠山土佐守一族墓碑 | 南信濃和田1198 龍淵寺 | 龍淵寺境内にある遠山一族の墓所で、土佐守景直とその子加兵衛景重の墓碑がある。 | |
日樹上人墓 | 羽場権現1190-9 元山白山神社境内 | 五輪石塔で、寛永20年(1643)の日樹上人13回忌に仰円院日利により建立された。 | |
飯田藩主堀家の墓所 | 諏訪町4166 長久寺 | 飯田藩6代藩主堀親蔵、9代親民、11代親義3基の笠塔婆のほか、藩主の妻や一族の墓がある。 | |
白隠石 | 山本竹佐345-1 | 宝暦7年(1757)に白隠禅師が73歳で当地方を訪れた際に、山本地区の村人の要請により自然石に揮毫された立派なもの。 | |
下茶屋の道標 | 鼎下茶屋994-6 | 宝暦10年(1760)に設置。遠州街道と伊久間街道の分岐点で秋葉街道の方向を示している。 | |
八幡の道標 | 松尾八幡町1971-1 | 宝暦10年(1760)に設置。下条街道と秋葉街道の分岐点である鳩ヶ嶺八幡宮前に位置する。 | |
青崩峠 | 南信濃八重河内 | 信濃と遠江の国境にある峠で、秋葉街道の往時の姿をとどめる。 | 軽登山となります。 |
風越山白山社奥社境内地 | 上飯田(風越山山頂付近) | 風越山は古来より信仰の対象で、山頂付近約1490mに建立された白山社奥社と参道周辺には神仏習合の石造物等が点在している。 |
登山、海抜1490m |
観耕亭碑 | 追手町2丁目641 長姫神社境内 | 石碑の撰文は安積信、書は高橋豊桂が担当し、安政6年(1859)に建てられた。飯田藩主の徳を讃えるもので、内容・筆跡ともに優れている。 |
名 称 | 所在地等 | 概 要 | 見学・備考 |
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羽場の大柊 | 羽場町3丁目18-6 | モクセイ科の常緑広葉樹で、本件は胸高周囲3.4m、中央自動車道建設に伴い昭和45年4月10日に現在の位置に移植された。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
龍江大屋敷のイワテヤマナシ | 龍江9637-1 | 東北地方原産の北方種で、南限として貴重なものである。胸高周囲2.6m、樹高15mにおよぶ。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
正永寺原の公孫樹 | 正永町2-1499-3 | 中国が原産で、薬用として伝来したとされる。本件は胸高周囲6.1m、樹高30mので、かつての正永寺境内にある。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
愛宕神社の清秀桜 | 愛宕町2781 愛宕神社 | 清秀法印が仁治年間鎌倉時代に手植したとされる。胸高周囲6.5m、樹高約10 mの紅彼岸桜で、当地方で最古と考えられる。 | |
鳥屋同志のカヤの木 |
大瀬木3530 旭ケ丘中学校 |
イチイ科の常緑針葉樹で、種子は食用になる。本件は旭ヶ丘中学校敷地内にあり、胸高周囲4.0m、樹高20mの巨木である。 | 学校へ声をかけて下さい。 |
鼎一色の大杉 | 鼎一色15 一色諏訪神社 | スギ科の日本固有種で、本件は一色神社の社叢中にあり、胸高周囲約4.9m、樹高40mの大木である。 | |
遠山土佐守一族墓碑裏方杉の木 | 南信濃和田1198 龍淵寺 | 龍淵寺境内にある遠山一族の墓所裏手にある杉の老木である。4本の巨木が並んでそびえている。樹高約50m。 | |
阿弥陀寺のシダレザクラ | 丸山町2丁目6728 阿弥陀寺 | 枝垂れ桜は、枝が柔らかく垂れるサクラの総称。本件は千体仏観音堂前面にあり、胸高周囲4.2m、樹高11mで、樹勢・樹形とも良好な古木である。 | |
千代のアベマキ | 千代1252-2 | ブナ科のクヌギに似た落葉広葉樹で、本件は胸高周囲3.9m、樹高約16.0mで、本樹種としては巨木である。 | |
嵯峨坂ざぜん草自生地 | 虎岩 | サトイモ科の多年草で、湿地を好み早春に花をつける。本件は市内最大の自生地で、500株余りが自生する。 | 3月中旬~下旬開花、遊歩道からご覧下さい。 |
万古の栃の木 | 千代(法全寺万古) | トチノキ科の落葉高木で、樹高25m、胸高周囲8.7mで、栃の木としては当地方屈指の巨木である。 | 登山、林道より15分下る。 |
水佐代獅子塚のエドヒガン | 松尾水城3457 | 胸高周囲5.0m、樹高約17mで、市史跡水佐代獅子塚古墳墳丘上にあり、「おたちふの桜」とも呼ばれる。 | 近隣へご配慮下さい。 |
黄梅院の紅しだれ桜 | 江戸町3丁目251 黄梅院 | 胸高周囲5.5m、樹高約18mで、紅色の濃い花に特徴がある。 | 近隣へご配慮下さい。 |
毛賀くよとのシダレザクラ | 毛賀685 | 胸高周囲3.8m、樹高約15mで、その名称は供養塔からの転訛と考えられる。 | 近隣へご配慮下さい。 |
浅間塚の一本杉 | 上郷黒田4233 | 胸高周囲4.2m、樹高約22mで、表日本型の杉樹形の特徴を示している。 | |
立石寺前のシダレザクラ | 立石97-5 | 胸高周囲3.5m、樹高8mの老木ではあるが、春先には美しい花をつける。 | |
風折のエノキ | 上村 風折 | ニレ科の落葉高木で、胸高周囲5.6mと市内では巨樹であり、岩上に生えているため根が板状に発達している。 | |
丸山の早生赤梨 | 滝の沢6994 | 推定樹齢約120年で、梨の栽培樹としては伊那谷で最も古く、飯田下伊那の梨栽培の原点となった梨の木である。 | 所有者へ声をかけて下さい。 |
麻績の里舞台桜 | 座光寺2535 | 樹高12m、幹周4mのエドヒガンの枝変りの枝垂桜で、花弁数が不安定で5から10枚の変異がある。 | |
風越山山頂のブナ林・ミズナラ・イワウチワ等の自生地及び花崗岩露頭 | 上飯田(風越山山頂) | 風越山頂に残るブナ林とミズナラの混生林で、植林が進み市内でもブナ林は少ない他、イワウチワ等希少種の自生地であり、また花崗岩の巨石が造る風穴がある。 | 登山、標高1530m |
ギフチョウ(卵、幼虫、さなぎ、成虫) | 飯田市全域 | アゲハチョウ科の日本固有種で、桜の咲く頃に出現する。幼虫はヒメカンアオイ・ウスバサイシンを食す。市内生息のギフチョウは翅紋の黒帯が広いという形態的な特徴がある。 | 4月中旬~5月に飛翔が見られる |
中央構造線程野露頭 | 上村程野 | 中央構造線の露頭で、水平・垂直方向のズレを観察することができる。破砕帯の状況は活断層であることを示している。 | |
中郷流宮岩 | 上村中郷 | 御池山付近から崩落してきた巨大な岩塊で、褶曲構造をはっきり見ることができる。2億年以上前に遠洋で堆積した地層が、3000m級の赤石山脈に成長する過程を身近に観察することができる。 |