第7回キャリア教育作文コンクール入賞作品(中学校・高等学校の部)
中学校・高等学校の部で入選した19作品を紹介します。
飯田市教育委員会主催、平成28年度「結いのまち飯田」第7回キャリア教育作文コンクール中学校・高等学校の部で入選した19作品をご紹介します。
この作文コンクールは、「家でのお手伝い、地域での行事やボランティア活動への参加、職場体験・農業体験・林業体験学習、インターンシップなどを通して学んだことや、将来への夢や希望、就きたい職業などを作文に書くことを通して、自分への理解を深めるとともに、将来へ向けて意欲をもって歩むことが出来るように」との願いで、平成22年度からスタートしたものです。
優秀賞
自分ができることを最大限に
長野市立西部中学校 1年 南澤 一真(みなみさわ かずま)
ぼくの住んでいるところ、長野市入山は、スーパーやコンビニはもちろん、信号機も自動販売機もない小さな集落です。日常生活に必要な米や野菜は、段々畑や斜面に作った水田を使い、自分たちで作っています。
しかし、だんだんとお年寄りが多くなってきて、長生きしている人は九十歳以上の人もいますが、今は人口の約四分の三が六十五歳以上の高齢化地域なのです。だから、地域には年々空き家が増えてきて、人口は減少傾向にあります。その上、若い人は町に移り住むだけで、町から引っ越してくるような人は全くありません。
ついにぼくの地域で二十歳以下の子どもは、中学一年のぼくと小学四年の妹の二人だけになってしまいました。
住む人が減っていくと、それまで耕作をしてきた畑や田が荒れ地へと変わっていきます。入山地区にも、昔は田畑でも、今では荒れ地になってしまったところがたくさんあります。
荒れたのは田畑だけではありません。山も荒れ始めてきています。以前は、人の手で間伐などの作業をしていました。しかし、人が減り、山に手を入れる人がいなくなると、木々がうっそうと茂ってきます。木々がうっそうとしてくると、山の方から獣が下がってきます。そうした獣たちは民家を荒らしたり、作物を食い荒らしたりと、被害を生み出します。
ぼくは、いろいろなニュースを聞いたり、これまでの学習を振り返ったりする中で、今の日本の「地方」は、みんな同じようではないかと思っています。今住んでいる地域のここ何年かを思い返すだけでも、とてもさびしい気がします。「この村は、あと何年もつのかなぁ」そんな気持ちにもなります。
では、ぼくはこの地域で、これからどう生きていったらいいのでしょう。学校を卒業したら、町に移り住んでしまうのは簡単です。でもそうしたら、この地域に未来はないでしょう。
「村おこし」という言葉はよく聞きます。「地域の活性化」というフレーズもよく耳にします。ご当地キャラクターを作ったり、PR活動を積極的に行ったりして、郡市や町から人を呼び、活力ある村にする……これもよく聞くことですが、今の入山でできるかというとちょっとすぐには結びつきません。
ぼくの家では、畑に生えている山椒を、善光寺の門前にある香辛料を専門に扱っている業者へ卸すことをしています。毎年、八月の上旬になると山椒の実がなります。大きい木は家族全員で、小さい木は祖母とぼくで実を取ります。そのあとは不純物を除き、袋詰めします。これも祖母とぼくの仕事です。入山では当たり前のように生えている山椒ですが、うちで取れる実はSランクだそうで、それが全国的に有名な香辛料の材料として役立っています。ここに、入山でしかできない地域おこしのヒントがある気がします。入山の特産物を地場産業として発展させるのです。
やはり一番の地域おこしは、僕自身が働くことから始まると思います。ぼくが、自分の進路を考えることは、この村でどう働くことができるのかを考えることと同じです。
村に残された最後の子どもとして、ぼくの頭とからだをフルに使って、村のために働ける自分になっていきたいです。
仕事という場所
諏訪市立諏訪南中学校 2年 松下 日和(まつした ひより)
私は中学二年になって初めて職場体験学習を行いました。私には将来の夢が無く、どの職業を選ぼうか悩みましたが、よく利用する身近にある職業で学習させていただいても良いかもしれない、と思い、近くにある雑貨店を選びました。
職場体験初日。私は足を引っ張らないか、ちゃんと仕事が出来るか等、心配事がたくさんあり、とても緊張していました。それでも、お店の方と初めて会った時はあいさつをしようと心がけていたため、元気な声ではきはきとあいさつが出来ました。するとお店の方が笑顔で案内して下さったので、あいさつをして良かったと思いました。そしていよいよ仕事をする時がやってきました。最初はモップがけで店内の半分を清掃しました。清掃し終わった後、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」等の発声練習をし、商品をきれいに並べてようやく開店しました。私はこの時初めてお店を開ける前から仕事は始まっているんだと気付きました。
営業開始から私が初めて頼まれた仕事は商品の値段シール張りでした。これは、商品に値段シールを付けていくという作業で、私は、最初、簡単だなぁと思いながら行っていたのですが、同じ作業をくり返しているとだんだん疲れてきてしまいました。でも、それと同時にシールを張るスピードが速くなっていき、どうすればよりスムーズに終わらせられるかを自然と考えて作業していました。そのおかげで、お店の方々に「もう仕事終わったの?速いね!」等と、ほめてもらえました。この時私は作業を終えた後の達成感からとても気持ちが良く、私もこの店に訪れる人達の役に立てるんだと思うと、とても嬉しく感じました。
職場体験二日目。私は昨日と同じ様に「笑顔」「あいさつ」そして「返事」を大切にし、職場体験をしていました。「返事」が大切だという事は、昨日気が付いた事でした。「返事」をしないと相手も自分も気付いたかどうか分からないし、何より「返事」をすると気持ちが良いと思ったからです。
私はまずトイレ清掃をしました。お店の方に「見えない所もきれいに」と教わっていたため、床の溝やすき間もきれいに清掃しました。清掃が終わった後、これらの事は意味のある事なんだなぁと思いました。
次に私は商品ディスプレイを並べました。これはコツが必要となってくる作業だそうで、お客さんから見やすい様に、かつオシャレに並べる事が大事だと言われたため、その事を意識して作業しました。途中でどうすればいいのか悩んだ時もお店の方々に聞いたり、自分なりに考えて解決していきました。特に、どういうふうに商品を並べればいいのか悩んだ時、自分がお客さんの立場になって一番最初にどこを見るかを考えて、工夫して作業していきました。
職場体験が終わり、私が今までお世話になったお店の方々に「今までありがとうございました。」と言うと、なんと皆さんが拍手をして下さいました。私はとても驚き、同時にとても嬉しかったです。お店の方々の力には及ばないけれど、今日まで頑張ってきて良かったと心から思いました。
そして私は、職場体験学習という貴重な時間の中で大切な事を教わりました。それは、「人の役に立つ仕事は自分にとって誇れる場所」という事です。誇れる場所をつくるのは難しいけれど、もしつくれたらそこは落ち着ける所だろうし、自分らしくなれると思います。誇れる場所があるからこそ笑顔で人のために行動出来る様になれるんだと思いました。ですから私も将来、「自分らしく居られる場所」「誇れる場所」をつくって、人の役に立つ仕事をしたいです。
職業体験を通して
飯田市立旭ヶ丘中学校 2年 沢頭 茉唯(さわがしら まい)
私は先日、職業体験をさせていただきました。体験では、初めて知ることばかりでした。
三日間の体験の中で一番感じたことは、仕事をすることの大変さでした。私が体験した製造ラインは、お昼の時以外はずっと立っていなければいけませんでした。普段、学校では座っているので立ち続けているだけでも大変でした。それに、ベルトコンベアーの流れが速くて目が回るし、仕事の分担が交代することもあったので、一つ一つの仕事を覚えるのも大変でした。一緒に仕事をしてくれた職場の方々は
「お金をかせぐことは、大変なことなんだよ。」
と、おっしゃっていて、本当にその通りだなと思いました。お父さんもお母さんも、私を支えてくれている方々もみんな、同じ大変さの中、お金を貯めて家族を幸せにしてくれているから、感謝しなければいけないなと思いました。
一方で、仕事をする中で楽しかったことや嬉しかったこともありました。体験初日、ガチガチに緊張していた私に笑顔を向けてくれた時、すごくホッとしました。笑顔の力ってすごいなと思いました。私一人のために何人もの方が仕事内容を教えてくれたり、時にはフォローしてくれました。仕事中は仕事をしながらもおもしろい話をしてくれて楽しかったです。仕事は大変だけど、楽しいこともたくさんあるんだなと実感しました。
職業体験を通して、仕事は家族を支えるためにする、ということを学び、こんな大変なことをしてまで働いてくれているということは、本当に私は愛されているんだなと、感謝の気持ちで一杯になりました。
「親は勉強しろってうるさいだろ。それは、自分の入りたい仕事に入ってほしいから、自分たちと同じになってほしいから言うんだに。」
この言葉がすごく心に残りました。私には、まだこれからがあります。だからこそ、これから先、何事にも挑戦して、努力して、必ず親孝行をします。恩返しをすること、これも仕事をし、お金をかせぐということの理由の一つだと思います。
今回の貴重な体験を通して学んだことを、学校生活や進路選択に生かし、私の将来につなげていきたいです。
入 選
将来につながる職場体験
飯田市立高陵中学校 2年 金田 真歩(かなだ まほ)
私は、7月の始めにあるホテルで職場体験をさせていただきました。ホテルの仕事というのは、私が興味を持っていた職業とは少し違う分野でした。分からないことばかりで不安もありましたが、一生懸命やれば何か得るものがあると思って臨みました。
体験させていただいた仕事は、部屋の掃除や準備などをする「裏方」の仕事です。普段はなかなか表に出ることがないので、知りませんでしたが、その仕事はやる作業がとても多く、思っていたよりも大変でした。部屋のカーテンを開けてまわるだけでも、上の階や下の階を行ったり来たりしなければならず、終わった時には座り込みたくなるくらいでした。部屋に置いてあるコップや湯呑み・きゅうすを洗ったりもしましたが、数が多く、しかも丁寧に洗わなければならないため、とても時間がかかりました。この仕事をされている方は毎日、しかもほぼ一人でされているので苦労することも多いだろうと思いました。でもその方にお話をうかがうと、「慣れたから苦労することはないよ」と、笑顔で話してくれました。苦労ではなく、むしろその言葉からは楽しさが感じられたのが印象に残っています。
従業員の方がお客様をお迎えするところも見せていただきましたが、段差のある場所で気をつけるように声をかけたり、荷物を持ったり、困っているお客様がいると丁寧に対応したりなど、こちらも思っていたよりもすごく多くのことをされていました。普段は一部しか見えていないけれど、実は接客する方もとても大変なんだなと思いました。でも、その方も、「普通だったら出会えない人と出会えるのが楽しく、やりがいがある」とおっしゃっていました。従業員の方々がみんな楽しそうに働いている姿から、たくさんのことを学びました。
私は今回の職場体験を通して、どんなに大変な仕事でも、続けていれば必ずやりがいがあるのではないかと考えるようになりました。家族にも仕事について聞いてみると、「大変だけど楽しくてやりがいがある」「『この仕事をやっていてよかった』と思うときがある」と言っていて、苦労することばかりではないとあらためて感じました。
そして、たとえ希望していた仕事に就けず興味のない仕事に就いたとしても、一生懸命働くことが大切だとも考えました。そうすれば最初は「嫌だな」と思っても、だんだん楽しみを見つけていけると思います。このことは普段の学校生活にもつながっています。まずは学校の中で自分に任された仕事から一生懸命やっていけるようにしたいです。
私は今までずっと、将来の夢を自分が興味ある職業だけに限定してしまっていたことに、職場体験をして初めて気づきました。世の中にはもっとたくさんの職業があるので、視野を広げて様々な職業のことを知り、これからの進路選択につなげていきたいです。
今はまだ将来の進路について迷っているところですが、職場体験で学んだ多くのことをこれからの学校生活・進路選択に生かし、自分に合っている道を見つけたいです。自分の将来のことについて考え直すいいきっかけになった職場体験でした。
職場体験学習で学んだこと
飯田市立飯田西中学校 2年 米澤 柚花(よねざわ ゆうか)
私は夏休み中の職場体験学習で、いいだ人形劇フェスタに行きました。そこで5日間、一人のスタッフとして働かせていただきました。たくさんの人と関わっていく中で強く感じたことがあります。
2日目のことです。2日目はワッペンやグッズを売るという仕事をしていました。あまりグッズが売れなかったこともありましたが、特にフェスタに来てくださった方々に挨拶をしても返してくれなかったことが悲しくて、仕事へのやる気がなくなってきていました。そんな中、スタッフの方の一人は大きな声で挨拶をして、グッズの宣伝をしていました。私は最初「すごいメンタルだな。」と思っていただけでしたが、あまりの一生懸命さに私もグッズの宣伝をはじめました。それに加えて挨拶も大きな声でするようにしました。たとえ挨拶を返してくれなくても、いちいち気にすることをやめ、次に来てくださった方に大きな声で挨拶をしました。何度も何度も挨拶をしていく中でとてもすがすがしい気持ちになってきました。そして、さっきまで嫌だった仕事を「楽しい」と感じるようになりました。私が楽しんで仕事ができるようになったのは、一生懸命仕事をしていた一人のスタッフの方のおかげです。その人は注意をしたり、アドバイスをしてくれた訳ではありません。行動で私に魅せてくれたのです。
このような出来事は職場体験学習をしている中で、他にも何度かありました。例えば、4日目に有料公演の受け付けをしていた時のことです。私と一緒に働いていた人もとても一生懸命にやっていました。子供などの受け付けをする時には姿勢を低くして同じ目線で話しをしていたり、私にも「疲れてない?」「そろそろ休憩する?」と声をかけてくれました。自分も仕事をしていて大変なはずなのに、私に気を使ってくれたのです。そして私も、もっと仕事を頑張らなければと思い、より一層やる気を出し真剣に仕事に取り組みました。この人が私に気を使ってくれたことで、私のモチベーションが上がりました。モチベーションが上がったことにより、仕事の進み具合も良くなりました。たった一言「疲れてない?」「そろそろ休憩する?」と言ってくれただけですが、私の気持ちは大きく変わり、仕事にも、良い影響を与えたのです。
私はこのような体験から、人を変えるのはその人の周りにいる人なのだと思いました。もちろん、それは良い意味でも悪い意味でも同じことです。ですが、今回私は、同じ職場のスタッフの方に良い意味で変えられました。ちなみに、いいだ人形劇フェスタのスタッフは全員がボランティアです。つまり、スタッフの方々は何の見返りも求めず「役に立ちたい」その気持ちだけでここまで一生懸命に働いていたのです。だれかの役に立ちたいと思い、一生懸命に仕事をしている人は、本当にカッコイイし輝いて見えました。その姿は人の心さえも変えてしまうのです。だから私も、姿で人を変えられるような「周りの人」になりたいと思いました。そのために、一生懸命に仕事をやったり、何かをやってもらったら「ありがとう」と言うことを心がけていきたいです。大人になっても輝いているために、今を精一杯頑張りたいです。
頼まれごとは試されごと
飯田市立竜東中学校 3年 西尾 直樹(にしお なおき)
「頼まれごとは試されごと」父はこの言葉を背に、二十七年間建設会社に勤めている。僕の父 西尾仁志 五十四才、父は二十五才のときに建設会社に入社し、今では社長を務めている。父が社長となったのは五年前、僕の祖父より任命され、それ以来会社を引っぱっていく立場として、一生懸命会社に勤めている。
父自身のモットーは「頼まれごとは試されごと」つまり、他人に頼まれたことに「これは自分という人間が試されているんだ」という意識を持ち、自分がやっていることが周りの人にどう思われているのかを考えながら行動するということだ。
さらに父は、「決して誰かに頼まれてなんかいなくても、このような考えを持って行動することが大切なんだ。」と話してくれた。誰にも見られていないのに「試されている」とはどういうことかと聞くと、父はこう話してくれた。「私がこの言葉を最も意識するときは、除雪車を運転するときだ。」冬の朝、雪が積もっていると、父は誰よりも早く起き、家の前の道の雪をかいてから除雪車に乗って出発する。そして、日が昇るまでの間に米川中を運転して回る。「この仕事は、ほとんど誰にも見られることはない。頼まれてはいるけど誰かに試されているということはない。だからこそ、自分自身を見つめ仕事に取り組むことが大切なんだ。つまり、自分で自分を試すことで仕事をより良いものにしていくことができるんだよ。」なるほど。僕は父を誇りに思った。
そんな父も、子供の頃は僕と同じように、社長として会社を引っぱる父親の姿を見ていた。そんな父親の姿を見て、どんなことを思ったのか聞くと、「父はゆったりした性格で家ではずっとごろごろしてたけれど、仕事のこととなると目つきが変わり、ものすごく熱を注いでいたなあ。あの表情を思い浮かべると、もしかしたら昔、家で色々頼まれていたことは全て私を試していたのかもしれないなあ。」僕の父はニコニコしながらそう答えてくれた。父は普段からそんな顔をしているが、この話を聞くと、もしかしたら僕は、今までたくさんのことを父に試されてきたのかもしれない。
今日も父は会社へ出勤し、一生懸命仕事をしている。一体父は今、どんな顔をしているのだろう。祖父のように、家ではなかなか見せないような真剣な顔をしているのだろうか。それとも、普段と同じようにニコニコしているのかもしれない。どちらにしても、父はきっと、自分自身を試し、そして、五十年以上見つめてきた父の背を追っているのだろう。
「頼まれごとは試されごと」僕も、自分自身を試し、高めていけるような人間になれるだろうか。
職業体験学習から学んだこと
飯田市立旭ヶ丘中学校 2年 長尾 美優季(ながお みゆき)
私は、竜丘保育園で三日間職業体験をさせて頂きました。私は、幼いころから「保育士」という仕事に憧れていたので、当日が待ち遠しくて仕方ありませんでした。でも、正直「保育士」の仕事は、こどもたちと一緒に遊んだり歌ったりすることだから、こどもが大好きな私にとって自分に合っていて、案外簡単な仕事かもしれないと思っていました。しかし、私はある出来事で気づきました。「保育士」は、そんなに甘くない、とても大変でとても大切な仕事だってことを。
その出来事は、緊急地震速報が流れたときです。ある日の給食の時間。騒しい教室に突然緊急地震速報が響き渡りました。わたしは必死で、こどもたちを机の中に潜り込ませました。地震は来なく、昼食に予定が戻りました。もしあのとき本当に地震が来ていたら、負傷者が出てしまっていたらどうなっていたのだろう。と考えてみました。もし本当にそうなったら。まず、その子の保護者と話す。自分は何度も謝るが、保護者はやはり簡単に納得できない。もし障害が残ってしまったら、一生責任を負わなければならない・・・と、だんだん考えていくうちに、何かあってからでは遅い、人の命の重さにたどり着きました。命を、大切な人の大切な命を預かる「保育士」の仕事は、とても責任の要るとても大切な仕事だと気づきました。大切な命を預かって少しずつ信頼を得ていく、大切な子一人ひとりと共に未来を見つめ、共に未来を築き上げていく「保育士」の仕事が、ものすごくかっこよく思えました。こんなにかっこいい「保育士」の仕事を、案外簡単だなんて思っていた自分が、とても恥ずかしくて、悔しくてたまりませんでした。
今回、体験させて頂いたことでうれしかったことが二つあります。一つ目は、みんなと仲良くなれたことです。今回私が担当した年中のパンダ組のみんなは、名前も顔も知らない私と、たった三日間で仲良くなれるなんて、思いもよりませんでした。仲良くなれたのは、竜丘保育園の先生方が、とても未熟な私に、優しく適切なアドバイスをしてくれたからです。ありがとうございました。そして二つ目は、パンダ組に通っているこどもたちの保護者の方々に褒められたことです。体験が終わった後にも、こどもたちと遊んでいたら、
「ありがとう。楽しいって保育園に行っているわ。本当にありがとう。」
「こんなに遊んでもらって幸せ者だわ。これからもがんばってね。」
と声をかけてくれました。初めて保育士として褒められたと思うと、嬉しくてうれしくてたまりませんでした。「保育士」としての達成感を少しでも味わえたような気がします。とてもやりがいを感じられました。
今回の職業体験でわかったことは、「誰かのためにしてきたことは、いつかその誰かの喜び、幸せとなり、自分のもとへ返ってくる」ということです。たとえどんなに大変なことがあったとしても、その人を想い、行動することで、その行動がその人にとって幸せを感じているかもしれない、と私は思います。これは、保育士に限らずだと思います。他の仕事でも同じことだし、日常生活でも同じだと思います。とてもいいことを学んだなと思いました。これからは日常生活でも、学んだことを意識していきたいです。
将来は、一人ひとりと真剣に向き合い、一人ひとりと共に未来を見つめ、共に未来を築き上げていく竜丘保育園の先生たちのような素適な先生になりたいです。
最後に、竜丘保育園の年中パンダ組のみんなにとって、私と過ごした時間が、かけがえのないものになっていたら、嬉しいです。
職場という場所
飯田市立緑ヶ丘中学校 2年 伊東 沙弥香(いとう さやか)
職場とはどんな場所なのか。行く前は自分なりの考えを持とうともせず、ただ楽しみでした。
私は小売・販売業の職場で体験をしたいと思っていました。それは、私が買い物についていくのが好きだから、という理由とお店に入ると、商品や空間、店員さんの笑顔までもキラキラと輝いているから、という理由からです。お店に行くと、買おうと思っていなかった物までも欲しくなってしまうような事は結構ありませんか?そう思ってしまう位、活気のある空間にいると、そこにいるだけで幸せになれるし、元気をもらえます。こんな空間で働くことができたら、きっと毎日もキラキラと輝くだろうなと、私は考えていました。だから、小売・販売業のユニー(株)ピアゴ飯田駅前店さんに行かせてもらえると決まったとき、うれしく、職場体験がとても楽しみだったのを覚えています。
そんな、私の甘い考えは、初日にして大きく覆されました。私は、鮮魚・一般食品売場の配属で、商品の陳列や補充などが仕事でした。そこでまず知ったのは、スーパーでは常に売場でお客さんと接している店員さんは、ほとんどいないという事です。つまり、大半の仕事を売場ではない所でする、という事でした。売場の空間に憧れていたのに、そこでない所での仕事が多いなんて、と正直私は、ガッカリしました。さらに、売場からは想像できない程の仕事量でした。入荷した商品をそのまま並べるだけの仕事かと思っていましたが、魚などパックづめされていない物は、パックにつめ、ラップをかけ、値札のシールを貼り、干し海老や明太子などパックづめされていないうえに、重さが量られていない物は、決まった重さに量り分けるのも仕事でした。そして魚などは、パックの中身を2個入りを作ったり3個入りを作ったり、と色々な種類のパックを作ったり、同じ部位を同じパックにするなどの工夫もされていました。
最初は売場に長くいる事ができないと知りガッカリしました。ですがあの売場を作り出している場所は、売場ではない所での動きがあってこそだと分かり、見えない所での努力も無駄にはならないと感じました。そして改めてお店の凄さを実感しました。
2日目、3日目は、主に商品の品出しをしました。そこで、売場の工夫を見つける事ができました。例えば、豆腐売場のすぐ近くに、麻婆豆腐の素が置かれていたり、冷やし中華の麺のすぐ近くに錦糸玉子が置かれていたり、ラーメンの麺のすぐ近くにメンマや焼豚が置かれていたりと、当たり前のようでいて気付かない工夫であり、これは買い物のしやすさとつながっていると感じました。
私はこの文章の最初に、
「買おうと思っていなかった物までも欲しくなってしまうような事は結構ありませんか」と書きましたが、お店がされている工夫によってこのように思うことがよくあるのだと感じました。私は3日目にしてお客さんに挨拶できるようになりました。それはお店の工夫や凄さを知っていくうちに、この空間にいる事ができるチャンスを逃がしたくないという思いとお客さんが見てる店員の1人の自分がお店のマイナスになる事はしたくないという思いを行動に表す事ができたからです。するとお客さんから、
「錦糸玉子はどこ。」「このうどんはいいよ。」などと声をかけて下さる事が増えました。人の心の中で思っていることは見えません。ですが行動に変える事で自然と伝わる事があると初めて思いました。職場体験が終わりしばらく経った今でも職場という場所は分かりませんが考え方は大きく変わりました。見えない努力、人の為に動く、思いを行動に。職場体験があったからこそ学べました。私にとっての職場は自分を考えさせられる場所でした。
佳 作
駅掃除
飯島町立飯島中学校 1年 宮下 竜輝(みやした りゅうき)
今から3年前、僕が4年生の時。遠足で隣町まで歩いて行きました。公園で楽しく遊び、美味しいお弁当を食べ、大満足で帰路につきました。あまりのらない電車にワクワクしているとそこにまっていたのは、汚れた無人駅。まるでゴミ箱の中にいるようでした。担任の先生が、「駅は町の玄関である」と話してくれました。僕はその時「玄関がゴミ箱でいいんだろうか」と思いました。なぜゴミ箱の様に汚くなってしまうのか。こんなに汚いのに、誰もきれいにしようとは思わないのかと思いました。
遠足から帰り僕たちの住む七久保駅につきました。七久保駅は無人駅ですが、そこまで汚れていませんでした。しかし、ガムが床にこびりついていたり、花壇の土がかわいていたり、誰かが放置した自転車があったりしました。僕たちの町の玄関。汚れていると、この町も汚れているイメージになります。
そんなことでいいのでしょうか。これがきっかけで駅の掃除がはじまりました。
最初は大変でした。どんな掃除をすればいいのか。ごみの分別、取り切れないほどの草、どう改善していけばいいのか話し合いました。みんなで考えながら駅掃除していくうちに駅はだんだんきれいになっていきました。駅にごみを捨てる人がすくなくなったのか、ごみの量が減った気がしました。
違う町へ外出すると、「汚い」そんなふうに思う時が出てきました。ほかの町へいく時、ごみを拾いながら目的地にいったこともありました。学校行事のクリーン作戦は、特に念入りにやるようになりました。しかし、このような事をしても、一日や、二日で町は変わりません。また三日もたてば、とても汚れます。一体ごみを捨てる人はどんな気持ちで捨てているのだろうか、ごみを持ち帰ればいいだけなのに。この町を、美しくするには、続けてごみを捨てる人の心を変えるぐらいの事をしないと町は変わりません。そんなある日。一通の張り紙が張られていました。内容は掃除のことでした。
「地域の子供が駅掃除をしてくれています。ごみを捨てないように協力しましょう。」
僕は、この張り紙を読んで、地域の人が僕たちの駅掃除にきづき、応援してくれることを知りました。そして、ある日、担任の先生から、「JRから表彰される事になった」と報告がはいりました。僕は、「神様は見てるんだな」と思いました。感謝状と副賞を受け取り、感謝状は、飾られ、副賞は卒業記念品を購入。全校で喜びを分け合いました。
これからも、後輩たちに受け継いでもらいこの町がいつまでも、美しく、また観光客がきた時きれいで、気持ちのいい玄関でお迎えする事ができて、きれいで、気持ちのいい玄関で帰ることが出来る、そんな町でいてほしいと思いました。
職場体験を通して
飯田市立飯田西中学校 2年 仲田 莉子(なかた りこ)
八月一日から五日までの五日間、私は飯田市立山本保育園へ職場体験に行きました。保育園というと小さな子のめんどうを見るところ、というイメージを持っている人が多いかもしれません。でも実際には、そのような保育補助の他にも様々な仕事があることを知りました。
仕事をやっていく中で、私は挨拶や返事があまりできていないことに気づきました。職場の方からの評価もあまりよくなかったです。それなので、まずは何か頼まれた時の返事をハキハキと大きな声ですることを心がけました。すると、「意欲・一生懸命さが良いですよ。」とコメントしていただけました。また担当していたクラスの子以外の子達にも積極的に話しかけたりすることで、遊びに誘ってくれるようになったり、声をかけてくれたりと今までより仲良くなることができて、とてもうれしかったです。
一番苦しかったのは、三日目の午後からでした。職場の方に「マイナスな気持ちを表に出さないように気をつけよう。」と注意されてしまいました。夏場での草取りやプール掃除は確かにとても疲れました。その後、園児の子達と触れ合う時にも知らず知らずのうちに疲労が顔に表れてしまっていたのかもしれません。また、「保育園の仕事は自分達のためではなく、子ども達のためにやるんだよ。」と教えていただきました。この言葉が私の作業に対する「嫌だな」という思いをなくしてくれました。いつも私に元気をくれる園児の子達が気持ちよく過ごせるようにと思い、やっていくうちに、草取りなどの大変な作業も苦にならなくなりました。そして、職場の方から「草取り、いつもありがとうね。お疲れ様。」と声をかけていただいて、私の「園児の皆のために」という気持ちが伝わったのかな、と思い、達成感を感じることができました。
そして五日間の職場体験で職場の方から学んだことはもう一つあります。それは、「小さな子の目線になって考えること」です。当然、中学生と保育園児の考え方は全く違います。中学生の方が小さな子達に比べれば生きている時間も学んだことも多いのですから、考えることも少し複雑になることが多いでしょう。でも、だからといって園児の子達は、考えもせずに会話をしているかというと、それは違うと思います。一生懸命考えて、それを訴えているのだと思います。だから、私は自分より小さな子は、これを見てどのように思うだろう、どのようにとらえるだろう、と考えてみることにしました。そうすることで、園児の子達との会話が、さらに楽しくなりました。
この五日間で、挨拶や返事が大きく成長したと思います。通学路、または学校で、地域の方や先生に会った時も、ためらわず、挨拶をしていきたいと思います。そして、小さな子の目線を大切にしたことで、人の気持ちを思いやる力が前よりも向上したと思います。これは、日々の友達との会話や生徒会などでの話し合いに活かしていきたいです。たくさんのことを学べた、有意義な職場体験でした。
美しく生きる
飯田市立緑ヶ丘中学校 3年 三嶋 らな(みしま らな)
私は最初、福祉体験が楽しみだった。なぜなら、経験したことがないことだったからだ。私は学ぶことが好きだ。自分の知らないことを知ることほど面白いことはない。もちろん不安もあったが、楽しみだという気持ちの方が大きかった。
施設で紙をもらった。実習にあたっての説明書のようなものだ。そこには職員の方の優しい気持ちが表れていた。私たちは利用される方のことを「利用者さん」と呼んでいたが、そこには「利用者さま」と表記してあったのだ。利用してくださる方なのだから当然のことなのだろうが、私は、利用される方を大切に思っている職員の方の気持ちだと感じた。難聴の方についての説明は、「人によって聞こえやすい角度がある。」と書いてあった。利用される方をよく見ているのだなあと感じた。
利用者さまが来ると、一気に慌ただしくなった。もらった紙に書いてあったように、大きな声でしっかり目を見てあいさつをした。すると、にっこり微笑んで、
「おはようございます。」
と返してくれた。なんだか気が抜けたような気分になった。ほっこりした気分になったと言った方が正しいかもしれない。初めてで、まだ緊張がほぐれていない心を一気に溶かされた感じだ。この瞬間、もっと笑顔にしたいという思いが生まれた。
お昼になった。私は百歳を超える女の方のお食事を見守っていた。その利用者さんは元気にお肉を食べていたが、向かい側にいる方は、見たことのないドロドロしたものを食べさせてもらっていた。すると、百歳を超える利用者さんが、
「嫌だねえ。食べさせてもらってるのに、感想も言えなくなるなんて。」
と言った。あ、そうか。この利用者さんたちは介護されたくて来ているわけではない。ただ、ここに来て、誰かと交流して、少しでも楽しんで帰ろうとしているんだと気がついた。福祉とは「介護する」ことではなく、「楽しく生きるお手伝いをする」ことなのだと強く感じた。
二日目。得るものが多くあった昨日を思い出しながら施設に入った。
職員の方の準備を手伝っていると、
「準備はすごく大切なんです。利用者さんにもっと楽しんでもらうために、こうしてすごく丁寧に準備するんです。」
と微笑みながら説明してくれた。確かに準備は大切なことだが、利用者さんの姿を思い浮かべると、大変な準備も楽しく感じられた。
「あの方は手術で足の長さが違ってしまったので、靴の高さが左右で違うんです。」
と一人一人丁寧に紹介してくださる職員の方を見ると、私ももっと利用者さんのことを知りたくなった。
「あの方と、筆談してみませんか。」
職員の方の一言に、私は心が躍った。今日はたくさんの方と話してみたいと思っていたからだ。その方は耳が遠くなってしまい、通常の会話では、ほぼ聞き取れないのだという。「お花が好き」という職員の方の情報を頼りに、何とか会話を試みる。実際に書いてみると、字が不鮮明で読みにくくなってしまった。それをゆっくり読んで、くだらない質問にも
「そうだねぇ。普通だよ、普通。」
とかわいらしく微笑みながら答えてくれる。その姿を見て、何だか悲しくなってしまった。一生懸命生きている。その姿から、そんな思いを受け取ったような気がした。
この二日間、たくさんの人に触れて、たくさんの思いを抱いた。ここに来るまで知りもしなかった自分の気持ちに気づくことができた、良い二日間だったと思う。
この施設の目標は「美しく生きるお手伝い」というものだ。「福祉とは?」の答えはこれだと思う。
身近な自然を想う
茅野市立東部中学校 3年 矢島 満圭(やじま みつよし)
僕は、三年前から家の近くに住むニホンリスの観察、撮影を続けてきました。リスを撮影することにより、リスの愛嬌のある姿や様々な栄養をとるために、骨をかじったりする驚くような生態を見ることができました。
そういった観察を続けるうちに、車に轢かれるリスや、建物にぶつかって死んでしまうフクロウなど人間の都合により命を落とす動物がいることを知りました。
また、リスのかわいさのあまり餌付けをしてしまう人もいます。餌付けは、まいた餌でリスの天敵をおびきよせることになります。その他に、リスが自分で餌を探す能力をうばってしまう可能性もあります。
ここは、野生のリスが身近に観察できるとても、貴重な場所です。なので、この自然を大切にして、守っていきたいと考えているのですが、現時点ではリスは減少しているので、僕にはどうしたらいいのか、分かりません。
ただ、市でもリス専用の橋を設置したり、リスがいることを伝える看板なども設置しています。
僕は、実を結んでいないものの、リスの橋をもう一本設置してくれるように市長に手紙を送ったり、中高生の集まりで広くリスについて知ってもらおうと提案したりと行動は、おこしています。しかし、自分でもどのようにすれば、リスの数が増え、この貴重な自然環境を守っていけるのか、なかなか難しいことだなと思っています。
また、新聞で読んだのですが、僕の住んでいる地域に生息するミヤマシロチョウというチョウの卵が越冬できなかったそうです。もともと涼しいところに住んでいるチョウなので温暖化の影響でこのようなことになっていると考えられています。
このように知らない間に自分の住んでいる地域の自然環境が変化していってしまいます。
リスやミヤマシロチョウのように身近な自然だけでなく、日本国内、さらには世界でもこのような人間による自然破壊がおこっています。
今の僕には、このような問題をくいとめる力はありません。しかし、世界でどのようなことが起っているのか、どうすればいいのかを考え、学ぶことはできます。そして、人間と自然の関係をいつも心にとめながら、将来は、自然の美しさ、重要性を広く知らせたり、自然を守ったりすることができる仕事に就きたいです。
縁の下の力持ち
山ノ内町立山ノ内中学校 3年 湯本 祐女(ゆもと ゆめ)
私の家は旅館業を営んでいます。休日や連休になると、たくさんのお客さんが来ます。私も忙しい時にはよくお手伝いをします。そんなときに学んだことを紹介します。
一つ目は、お客さんのことを第一に考えて取り組むことが大切だということです。例えば、お客さんの食事を運ぶ際、客室の前に着いたらお膳を音を立てずに置くことなどです。従業員の方に
「部屋にお客様がいらっしゃるから、静かにお願いね。」
と言われて、「気遣いがすごいな。」と思いました。私は今まで「お客さんが目の前にいるわけじゃないから別にいいや。」などと思っていたけれど、見えない所での気遣いがお客さんの快適につながっていると知って、考えさせられました。客室の掃除の時もそうでした。お客さんが帰られて、従業員の方と部屋の拭き掃除をしていた時でした。突然
「部屋の端から拭いていってね。」
と言われてびっくりしました。部屋の床は畳だし、私はてっきり机や棚だけを拭くのかと思っていました。しかし、
「端って汚れやすいしごみが溜まりやすいんだよね。」
という言葉を聞いて「あーなるほど。」と思いました。お客さんが見ないような所にまで目を向けて仕事に取り組んでいて、見習いたいと思いました。
二つ目は、仕事をどれだけ早く確実にやるかということです。お手伝いの中に、「食器の洗浄と片付け」というのがありました。家で使っている洗浄機は熱湯で食器をきれいにするものなので、取り出す時にガラス製の食器は特に熱くて触れない時があります。しかし慣れている従業員さんがやるとあっという間に取り出してしまいます。食器をしまう所も私より知っているので、結果的に私の倍ぐらいの早さで片付けが終わります。お客さんがたくさん入った日には尚更大変になります。特に部屋掃除が大変です。掃除する部屋がたくさんあるからといって、一つの部屋を雑に済ますわけにはいきません。だからといってていねいにやり過ぎると時間が足りなくなります。そんなときは、素早くやりつつていねいにやります。いつもより手を早く動かして通常の掃除メニューをこなします。仕事は時間との勝負だなと思いました。
今回家でお手伝いをしてみて、「毎日この仕事をしている人はすごいな。」と思いました。ただやっているのではなく、色んなことに気を配って動いていて、「どうすればお客様が快適に利用してくれるか。」というのをいつも考えて働いているように見えました。いつも陰で見ているだけだったけれど、実際にやってみて改めて大変なんだということを知りました。
そんな仕事を毎日続けている従業員さん達は仕事中休むことがなく、なおかつお手伝いで入ってきた私に優しくていねいに手順などを教えて下さったので「かっこ良いな。見習いたいな。」と強く思いました。不慣れな私が入って「役に立てるかな。仕事の邪魔にならないかな。」と最初は不安だったけれど一緒にやっていた従業員の方に
「すごい助かってる。二人でやればすぐ終わるね。ありがとう。」
と言われたので嬉しかったです。旅館をいつも陰で支えてくれている人達はまさに「縁の下の力持ち」だと思います。そして感謝したいと思いました。
私もいつかこの家で働きたいと思っているので、今から少しずつお手伝いを増やしていって、できることを増やしていきたいです。そして、「縁の下の力持ち」のような存在になれるように頑張りたいです。
将来、私は何になる?
茅野市立東部中学校 1年 藤澤 歩夢(ふじさわ あゆむ)
これから、私の将来の夢についてお話したいと思います。
私の将来の夢は、バレーボール選手としてオリンピックで活躍する事です。私は小学校三年生の時からバレーボールを始めました。最初はわからない事だらけで、少し怖い上級生もいて「やっぱり、入らなければよかったな。」と思う事もありました。けれど、今までバレーボールを辞めずに続けてこれたのは、たくさんの方々の支えがあったからです。特に家族の支えがあった事が一番大きいのではないかと、私は思っています。そんな家族に喜んでもらうためにも、オリンピックで活躍したいと思います。
けれど、本当は人の役に立つ仕事をしたかったのです。私が小学生の時は、バレーボール選手になってオリンピックで活躍しても、人の役にはたたず、ただ自分だけのためにやっているのではないかと思っていました。けれど、その考えを変えてくれたのは、父でした。父に、「将来の夢はなんだ?。」と聞かれた時に私は、「人の役に立つ仕事。」と言いました。でも本当はバレーボール選手でオリンピックに出て活躍したいという事も言いました。すると父は「バレーボール選手でオリンピックに出て活躍する事は人の役にも立つんだよ。」と言ってくれました。理由を聞けば、その映像を全国、または世界の人が見て一つひとつのプレーから勇気をもらうからだと、教えてくれたのです。今、思えば父にはとても感謝しなければいけないなと思います。もちろん母にも感謝しています。毎日、毎日弱音を吐かずに、諏訪まで送りむかえをしてくれました。週末は遠征に行く事も多い中、子供達のために車を走らせてくれました。そんな家族のためにもオリンピックで活躍して、少しでも勇気をあたえられたら、私はとても嬉しいです。大会の日には、見に来なかった事が一度もありませんでした。そんなバレーボールマニアの両親がいたからこそ、今まで頑張ってこれました。時には、泣かせられるまで父と母に怒られ、「バレーボールなんか、もう辞めよう。」と思った時もありましたが、チームの仲間にはげまされ、クラスメイトにもはげまされ、私は幸せ者だなと感じました。イヤでも怒ってくれる人がいて、はげましてくれる人がいて。「産まれてきて良かった!。」と思える、そんな瞬間でした。
ここで、少し私の名前の由来について、お話します。私の名前は「歩夢」です。だいたい女の子で「歩夢」という名前の人はなかなかいないと思います。なぜ両親は、いかにも男の子を想像してしまうような名前にしたのでしょうか。両親にたずねてみると、漢字に意味がこめられているとの事。その意味は、「夢に向かってまっすぐ歩け。」です。夢に向かって突き進んでいる時は、うまくいく事もあれば、うまくいかない事もあり、歩んでいく道は苦しいけど、それを乗りこえた人だけが味わえるものがあると教えてくれたのです。楽な道を歩んでいけば、その後、必ず苦しい思いをします。そんな事を両親は名前という形で、私に伝えてくれました。本当にありがたいです。私も最初は「こんな男の子らしい名前なんてイヤだ。」と思っていました。でも、私の名前の意味を知った時、とても嬉しかったです。今まであったイヤな気持ちはどこかへ飛んでいきました。
こんな家族、仲間がいたからこそ、私はここまで成長してこれました。これから、さらに成長していきたいです。もしかすると、途中で夢がかわるかもしれません。でも今は、バレーボール選手としてオリンピックで活躍するという夢を持ち、仲間を大切にして、プライドのあるバレーボールマンを目指して頑張っていきたいと思います。
人と繋がって
上田市長和町中学校組合立依田窪南部中学校 2年 中原 寛子(なかはら ひろこ)
私は、職場体験で「青空市場」に行きました。私は名前と、それが農産物直売所ということは知っていたけれど、実際に行ったこともなかったので、どんな所か分かりませんでした。でも私はこの職場体験で、人と関わる仕事を体験したいと思い選びました。市場ってどんな工夫がされているのかな。店員さんはどんな気持ちでお客さんを迎えているのかな。といくつか疑問をもって職場体験に臨みました。
実際に体験してみて学んだことや思ったことがたくさんあります。一つ目は、仕事の大変さです。人と関わる仕事は、人と繋がれて楽しいと思っていたけれど、実際はレジうちや商品に貼るバーコード作りなど失敗してばかりで、お客さんに迷惑をかけてしまいました。迷惑をかけてしまうと、自分のことをダメだなと思って落ち込んでしまいます。それはとてもつらい気持ちでした。でも、成功したときには、やったぁという気持ちになり、お客さんにも店長さんにもほめられて、嬉しくなりました。でも、いつも仕事も成功させ、ほめられるということはありません。自分なりに努力や工夫をした結果が評価してもらえるのです。評価してもらうまでは、少しつらいこともあることを知りました。
二つ目は、人と繋がることの素晴らしさです。掃除をしているときやレジうちをしているときなど、私たちが仕事をしていると、「頑張ってね。」とか「ありがとう。」とか声をかけられます。このように声をかけられると頑張れる気がして、つらいときでも「よし。頑張ろう。」と元気がでます。それに、この仕事をしていて良かったと思えます。そう思うと人と人と力ってすごいと思いませんか。
そして三つ目は、地域の良さです。私が行った市場は、地域の方が作った野菜などを売っているところです。それを、この地域以外のお客さんが買っていくところを見ると、私が作ったものではないけれど、「この地域の野菜だぞ。」と自慢したくなります。このように商品のことや、いままでの人との繋がりのことを全部含めて、地域っていいなと改めて思いました。
これらのようなことを職場体験を通して学び、これからの将来に目を向けたいと思います。私は今、ハッキリ夢は決まっていません。でも一つ決めていることがあります。それは、人と繋がる・触れあう仕事に就きたいということです。体験で学んだこと、「仕事がうまくいくと嬉しいけど、そこに行くまでが大変だということ」「人と人との繋がりは素晴らしいということ」「地域はとてもいいということ」は、人と人との繋がりがなくてはなりません。私は、そういう関係っていいなと思うし、仕事だとやってて良かったと思えると思うので、将来は人と関わる仕事に就きたいと思います。みなさんも、人と人との繋がりは素晴らしいとは思いませんか。私はこの体験を通して、みんなが繋がる社会になってほしいと思っています。
人のために出来ること
飯田市立飯田西中学校 2年 奥村 佳子(おくむら けいこ)
今年の八月一日から八月五日までの五日間、私は美容室卑弥呼イオン飯田店へ職場体験に行きました。ここでは、タオルをたたんだり洗濯やそうじを手伝ったり、カラー・パーマのロッド・カップ洗いなどを体験させていただきました。初日は、立ちっぱなしで足が痛くなったり気を利かせてそうじをすることなど、慣れない仕事ばかりでとても大変でした。さらに、仕事をしている間にお客さんにあいさつするのが、1番大変でした。でも、スタッフの皆さんが、笑顔で仕事をしていらっしゃるのを見て、「私も頑張ろう。」という気持ちになり、初日から最後の日まで、一生懸命仕事をやり切ることができました。もちろん、つらいことばかりではありません。シャンプー体験では、シャンプーを人にやる側になって、スタッフの方に教えていただき、本当にシャンプーをする体験ができました。パーマの体験では、マネキンに実際にパーマをかけ、どのようにパーマが巻かれているのか知ることができ、とても楽しかったです。
5日間の間、分からないことがたくさんある中で、スタッフの皆さんが優しく教えてくださったおかげで、美容室ではどんなお仕事をされているのかがよく分かりました。あいさつなども、最初は苦手だったけれども、大きな声で一生懸命あいさつをしていると、スタッフの方が「あいさつ頑張ってるね。」と声をかけて下さり、苦手だったことができるようになったと改めて実感しました。同じくらいつかれていても、笑顔でそのつかれを出さずに人のために働いている。そんなスタッフの皆さんの姿を見て、人のためにできる仕事ってかっこいいと感じました。もちろん、人のために出来る事は、美容室だけではないと思います。日常生活の中にも、人のためにできる事は山ほどあると感じます。
今回の職場体験を通じて、人のためになる仕事は、とてもすばらしい仕事だと思います。自分のためだけでなく、人の支えになる仕事をしてくださっている、多くの先パイの方たちを見習い、自分も人のためになる事をどんどん進んでしていきたいです。まだ、将来のことは分かりません。だからこそ、人のためになれるようなことを、考え、見つけていきたいです。今回行った職場のような、すばらしい仕事を、自分も将来したいです。
働くということ
飯田市立飯田西中学校 2年 田邊 綾音(たなべ あやね)
みなさんは、働くことについて、どう思って、何を感じて働いていますか?私は、「幸せを運ぶ」ということだと思っています。
私は将来福祉関係の仕事に就きたいと思っています。なので私は、5日間の職場体験では、乳児院にいかせていただきました。はじめてあう子たちで、とてもドキドキしていました。はじめは、よく分からなくて、全然動けていなくて、全然楽しくなかったです。ですが、「こんな時は、こうするんだよ。」とか、「こんなふうにやってね。」とかやさしく一から教えてもらい、2日目からはなんとなく分かってきました。自分から仕事を見つけたり、聞いたりして、動くのは、とても楽しくて、時間がたつのがとてもはやく感じました。いつもあってないような子たちと、一日中、遊んだり、勉強、ご飯を食べたりするのは、何をはなしていいのかも分からないけど、やさしく、アドバイスをしてくれて、次からはこうやってはなせばいいんだなと思って3日目からはやろう!と思いました。
私が行った乳児院では、未満児は「コアラ、ラビット」といって、未満児より少し大きい子を「ビックラビット」と呼んでいます。そして、年中と年長が一緒になって、「ドラゴン・ジーブラ」といっています。私が、かよっていた、保育園では、「S組」だったので、はじめはよく分かりませんでした。ですが、日に日になれていき、先生たちが「ジーブラさんSへいくよ。」といったら、しっかり私はどの人なのかがわかりました。あともう一つその乳児院では、子どもたちからすると先生という人が、乳児院では、名字や名前で「Sさん」と呼んでいます。はじめて乳児院に行った時に園児がそう呼んでいるのを聞いて、すごいなと思いました。そう感じたわけは、私のときは「S先生、○○だったよ~」とかいう敬語ぽいものがなかったけど、乳児院では、「○○さん、Sでもいいですか?」という感じで、すごいと思いました。〇~5才のうちから、しっかりとした土台、木でいうなら根をしっかりとつくらないと、ちゃんとした大人になれないということを副園長先生が教えてくれました。私はそれを聞き、小さいうちからの、しっかりした教えが大きくなってからの自分の将来につながるんだと思いました。
私は、はじめに、「私にとって働くとは幸せを運ぶこと」と書きました。5日間をふり返り、私は「幸せを運ぶだけではなく、幸せを運んでもらう。」ということだとあらためて思いました。その理由は次の事です。
5日間働いて、私は、幸せ=(イコール)笑顔と感じました。私たちが、子どもたちとプールで遊んだり、英語の勉強、おやつなどを食べている時、子どもたちに「あやねさん、あそんでください。」っていってもらった時に私は笑顔になります。それだけではなく、おいしそうに、ごはんをたべていたり、している時にも私は笑顔になります。皆でプールで遊んでいる時、一緒に遊んでいると、子どもたちが笑顔になってくれていてとてもうれしいという事がありました。
自分が関わった何かでだれかが笑顔になってくれるのは、とてもうれしい事です。大人がやっている仕事のほとんど全部が人を笑顔にする仕事だと思っています。たくさんの人を笑顔にする、できるような人に私はこの5日間の体験でなっていきたいと思いました。将来、福祉系の仕事に就いて、たくさんの子どもや高齢者の人々を笑顔にできるような人になりたいと思うようになった職場体験でした。
ボランティアから学んだこと
伊那市立高遠中学校 3年 清水 菜音(しみず なお)
ボランティアの意味、あなたは知っていますか?ボランティアは日本語で「志願者」という意味になります。志願、つまり志や願いをもつ人のことです。私は、ある体験からこのボランティアの意味を考えさせられることになりました。
私たちの町には、「さくらの里」という老人ホームがあり、私の中学校では、今年、さくらの里の利用者のみなさんと月に一回のペースで交流することになりました。そこで、希望者を募ったところ十人程集まりました。私も、ボランティアは参加しないよりしたほうがいいよな、というような理由で参加しました。そして、さくらの里に着くと職員の方から「今日は来てくれてありがとう。」と言われました。しかし、私は心のどこかに罪悪感がありました。なぜなら私は、自分の意志をもってボランティアに参加していなかったからです。そんな気持ちのまま、交流がはじまりました。内容は、利用者の方々とお話したり、ゲームをしたりすることでした。いきなり、一対一でお話するのは大変だからと一人の利用者さんに二人の中学生がついてお話をすることになりました。私は八十代のおばあちゃんとお話しました。おばあちゃんは、戦争中のことや昔流行っていた遊びなどたくさんのことを話してくれました。そして最後に、これからたくさん勉強して頑張ってね、と言ってくれました。自分たちも大変なのに私たちの未来まで心配してくれて、心があたたかくなりました。その後は、体操やゲームの時間になりました。その際に、中学生が一人ずつ自己紹介をすることになりました。自分の名前と所属している部活、そして住んでいる地区を言いました。すると、さっきお話したおばあちゃんと同じ地区で、しかも私のおばあちゃんと知り合いだったことがわかりました。とてもびっくりしましたが、人との縁に感動しました。その後は、一緒に指の体操をしたり、ボーリングをして楽しみました。最後に肩もみをして交流終了の時間がきました。おじいちゃんおばあちゃんは、「ありがとう」と何度も言って、私の手を握ってくれました。しわくちゃな手から命の温かさと、感謝の気持ちが伝わってきました。そして、玄関に向かおうとした時、「清水さーん」と呼ぶ声がきこえました。ふり返ると、さっきお話したおばあちゃんの姿がありました。急いでかけよっていくと手を握られ、おばあちゃんによろしく、元気で頑張ってね、と言われました。そして、また来ますねと言うと満面の笑みを返してくれました。私は、この日一番の嬉しさと感動をもらいました。
私はこの体験から、ボランティアの本当の意味を知りました。私はこれを機に、志願者になることができたのです。ボランティアときくと、嫌だなとか面倒くさそうと思ってしまいがちだと思います。しかし、実際はそんなことありません。ボランティアは、された人もする人も笑顔になれる素晴らしい活動です。また、今の日本は高齢化が進んでいます。しかし、介護する人が少ないという問題もあります。そんな時に、私達学生がボランティアに参加すれば、介護する人の手助けができ、必ずや社会に貢献できると思います。今、自分を必要としてくれている人がいる、そう思うだけで自信がみなぎってきませんか。そんな気持ちにさせてくれるボランティアは、私達の未来をつくる希望ある活動なのです。
ボランティアを通じて
松本市立信明中学校 3年 見知 果歩(みしり かほ)
私は五月七日にある児童園でボランティアをしました。注意してほしいと言われたのは親の話題をさけるということでした。
児童園には5才くらいの子や、私より年上の高校生くらいの人もいました。そして何より一人一人がとても明るく、楽しい子でした。畑仕事でも、自分からすすんでやる子達でスムーズにすすみました。時間が余ったので、遊具で遊んだり鬼ごっこをしたりと休む暇もなく、たくさん遊びました。その子たちは、とても笑顔で、笑ってくれて、私たちの方が笑顔をもらっている感じがしました。
その後、お昼は私たちの分まで用意してくださり、いただくことにしました。
食堂へ行くと、さっきの子が、手まねきをして、
「ここに座って」
と言ってくれました。そして私のことを名前でよんでくれたので本当に嬉しかったです。
ですが、辛いこともありました。その子に
「お母さんいるの?」
と聞かれました。私にしか聞こえていないようで、他の人は普通に話をしていました。なるべく親の話題はさける。そう言われていたのを思い出しました。さっきまでは忘れて、とても楽しんでいました。私は児童園の子に聞かれると思っていなかったので驚いてしまいました。ですが、話をそらすことはしたくない、嘘をついてもどうしようもないと思って、私はその子に
「いるよ。今日ここには来てないけどね」
と話をしました。その子は「そうなんだ」と返事をし、少し暗い表情になりました。とても辛かったです。
でも、その後もその子は私に話したりすることができました。次に一緒に行った、バルーンアートでは風船をわってしまったりとしましたが、協力したり、とても楽しく友達になったようでした。
帰る時、その子は私にバルーンアートで作った犬の風船をくれました。
「楽しかったよ。ありがとう。またね」
と笑って言ってくれました。
児童園の子たちには色々な事情があります。
私はボランティアをする前、寂しい子達なんだろうな、と勝手に思っていました。今となればとても失礼なことです。でも私は、そういう子に会ったことも聞いたこともなくて、勝手にイメージした寂しい子、というように考えていました。でも、実際に会ってみてとても明るい子たちでした。さっきの子も、私の親のことを聞いて悲しさはあったかもしれませんが「寂しくない」と言っていました。強い子たちだと思います。あの子たちは、何事も協力が大事、感謝が大事ということを分かっていました。私より大人かもしれない。そう思いました。私は恥かしさもあり、ありがとう、と言えないことがあります。しかしこのボランティアを通して、その子たちから色々と教えてもらいました。
この経験を通して、協力、感謝がどれだけ大切なのかがよく分かりました。
私は帰る時その子に、
「また会おうね」
と言いました。その子にまた会えることを願っています。