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「風越山の名前の由来」 ~その2~

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年3月12日更新

雲に覆われている風越山の風景

 だいぶ春めいてきましたね、と思っていたのもつかの間、また冬に逆戻りです。3月7日~8日未明にかけて風越山は麓近くまで積雪があり、8日の朝は雲の中でした。春に向かって「三寒四温」を重ねていく最中なのでしょうか。

 さて、「その1」では、風越山の名前の由来を記述させていただきましたが、それではいつ頃から「ふうえつざん」と呼ばれるようになったのでしょうか?実は、このことを明快に記述している書籍があります。「かざこしやま叢雲薫風~伊藤文男遺稿集~」という書籍です。この中に「風越山の呼名は<かざこしやま><ふうえつざん>か」という一説があります。前回「その1」の内容もその一説を参考にさせていただきましたが、風越山が「ふうえつざん」と呼ばれるようになったのは、「風越(ふうえつ)高校」の誕生が関係しているようです。以下、風越高校の校名を決めた際の逸話の部分をそのまま引用します。


 終戦後に学制改革が行われた新制高校が発足したのは昭和23年である。翌年の昭和24年4月に飯田西高等学校と飯田北高等学校(飯田市立高等学校が県立に移管され校名が変更)両校が統合し5月に長野県飯田風越高等学校と改称された。

 さて、統合による新しい校名をどうするかという問題で、職員会議、生徒会での話し合いで広く意見を聞くことにし、最終的には全校投票で校名を決定することに決まった。候補の校名桜ヶ丘高校、桜町高校、城北高校、白嶺高校、姫百合高校、風越高校に多くの支持があったので、全校の職員生徒が昭和24年4月19日講堂に集合して討議を開始して、次々と生徒、職員が登壇して自分の支持する校名を推薦して訴えて、みんな一生懸命であった。白嶺高校に相当の支持者があったが、当時「嶺」の時は当用漢字にないので「白根」か「白峰」になるといわれて支持者が減少し、桜町高校と風越高校の支持者が優位であった。4月20日に投票結果が発表され、絶対多数で、朝夕に仰ぐ郷土の山、風越山を象徴した「風越高校」に校名が決定した。

 呼名については「かざこし」か「ふうえつ」かと議論されたが「かざこし」は男性的でごつい感じがする。女子校らしいさわやかな明るい「ふうえつ」がよい。「風越」の漢字の読みは辞書には「かざこし」となっているが校名は固有名詞であるから「ふうえつ」が良いという意見が多数で「ふうえつ」に決定した。

 当時の辞書には「ふうえつ」の呼名は出ていなかった。


 風越高校は、今は共学となっていますが当時は女子校でした。校名を巡って白熱した議論が交わされていた様子が目に浮かびますね。名門女子校の校名が風越高校となるとその影響は大きく、それから程なくして風越が「ふうえつ」と呼ばれることが多くなり、昭和45年以降に出版された風越山を紹介する書籍等に「ふうえつざん」と紹介されて出版されたことや、テレビ放送のアナウンサーも「ふうえつざん」と放送されたことも大きかったようです。

 このような背景があって「かざこしやま」ではなく「ふうえつざん」と呼ばれることが多くなったようです。特に市外の方は「ふうえつざん」の呼び名が当たり前のように思われることが多いようですね。

 ここでお断りをさせていただきますが、飯田市内の「風越」を冠する事業所や保育園で「ふうえつ」と読む場合は多くあります。これらは皆それぞれ固有名詞ですので、その呼称は風越高校と同じように尊重されるべきものです。そのことは大切にしたいですね。それぞれの名前に様々な思いが込められていることは、風越高校の校名が決まった歴史と同じようにあるでしょうから。今回は、あくまで「風越山」は「かざこしやま」と呼ぶのが本来ですということだけご理解いただければと思います。

 以上、風越山の名前の由来は今回で完結いたします。長文におつきあいいただきありがとうございました。今回参考にした書籍「かざこしやま叢雲薫風」は、飯田市中央図書館に所蔵されています。風越山だけにとどまらず、飯田下伊那を中心にこの地域の歴史や自然、文化についてふんだんに解説されていますので、もし機会がありましたらご一読下さい。

 風越山四方山話は、これからも時々載せていきます。

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