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市長エッセー(散歩道)その11~20

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年9月11日更新

飯田市長・牧野光朗が日々感じたことを記していきます

11 錦織りなす地域文化 (広報いいだ平成17年11月1日号より)

 10月16日、合併記念行事の一つとして「第1回全日本実業団サイクルロードレースin飯田」が開催され、全国から集まった300人以上の選手たちが、秋晴れの中、龍江、千代地区に設定された天竜峡周回コースを全力で駆け抜けていきました。
 私も彼らについて周回する自動車に同乗させてもらいましたが、下り坂では時速80キロ以上になる自転車のスピードについて行けず、改めてこの競技の奥深さを垣間見ました。 また表彰台に立ったある選手が「5月のツアー・オブ・ジャパン南信州ステージをテレビで観て、ここで走りたいと思った。来年もぜひ来たい。」と感想を述べているのを聞き、私たちの地域は「自転車のまち」という新しい宝物を見つけたように感じました。
 丁度この日の夜は、選手たちがその前を通り抜けた今田人形の館で「ろうそく公演」もありました。和ろうそくの灯の光だけで演じられる幽玄な人形浄瑠璃を観ていると、いつしか300年前の江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚に捕らわれました。 同じ日に同じ地域で堪能した「静」と「動」。「昔から守り伝えてきた地域の伝統文化」と「新しく地域の宝になるもの」が錦を織りなしたような1日でした。

12 「地域の物語」を紡ぎ続ける別府 (広報いいだ平成17年12月1日号より)

 先日、別府で開催された「全国まちづくり大会」に参加した折に、この9月に復元された旧浜田温泉館を視察しました。 この建物は昭和13年に建設され、全国でも最も古い温泉館の一つでしたが、私が大分に赴任した平成14年春には既に閉鎖されていました。
 今回初めてその中に入り、この温泉館を巡って、これまで紡ぎ続けられた別府の「地域の物語」に改めて感じ入りました。
 さまざまな事情から別府の誰もが取り壊されると思っていた旧浜田温泉館を、「これこそ別府の宝物の一つ」として、その保存をずっと呼びかけ通したのは4人のママたちでした。 この保存運動は幾多の紆余曲折を繰り返し、その度に私はママたちの「もう駄目」と言う嘆きを聞きました。
しかし私自身はこの「物語」は必ず実を結ぶと信じ、「絶対あきらめてはいけない」と励ましていました。 別府の宝物を守るために、内外のさまざまな人々が思いを込めて紡いだこの「地域の物語」が、尻切れとんぼに終わるとはとても思えなかったからです。
 果たして私が飯田に戻る直前の平成16年3月に旧浜田温泉館は一旦解体されましたが、市民の中から復元のために寄付金を出す篤志家が現れ、夢の実現への道が開かれたのでした。

13  伝統文化芸能の交流 (広報いいだ平成18年1月1日号より)

 昨年12月15日、遠山郷を「おわら風の盆保存会」の皆さんが訪れ、約1,000人の観客(2回公演計)を前に優美で幽玄な踊りを披露してくれました。
 B&G海洋センターの会場で、川路竹宵の会・麻績の里振興委員会の皆さんが用意してくれた竹宵の灯りの列の中を、編み笠を目深に被った男女の踊り手がゆっくりと進んでいく様は、おわらの故郷八尾町での街流しを彷彿させるものでした。 公演後、風の盆保存会長の福島さんたちと尾野島正八幡神社の霜月祭を見に行きました。湯立をして、その周りをさまざまな面をつけた「神様たち」が入れ代わり立ち代わり舞う様子に、福島さんは「素朴でとても素晴らしい」と感激されていました。
 他の八尾の皆さんもそれぞれ楽しまれたようです。 風の盆と霜月祭は歴史も風情も異なりますが、故郷の伝統文化芸能を大切に守り継承していく想いは、共通しているように感じました。
 なお、当地の霜月祭保存会のお計らいで、私も「遠山さま」の面をつけて湯釜の周りを歩かせていただきました。 面の小さな穴から煙が入って来て痛く目にしみましたが、内外から集まった皆さんと遠山郷ならではの一体感を味わうことができました。

14 海を越える市田柿 (広報いいだ平成18年2月1日号より)

 台湾では旧正月前の1月下旬が「歳末セール」の時期にあたるそうです。今年は、この時期に台北の主要デパートで「日本の干し柿フェア」が開催され、台湾初お目見えの市田柿も好評を博しました。
 柿はドイツでも「Kaki」と表示されて店先に並んでいます。かつてドイツの食文化は「ソーセージとビールくらいしかない」と揶揄されたものでしたが、1990年代にEUの経済統合が進んだおかげで、市場には驚くほどさまざまな食物が溢れるようになりました。
 しかしドイツの農産物も捨てたものではなく、中でもとびきりおいしく感じるのは春にしか出回らない白アスパラガスです。 ドイツのレストランのメニューでも野菜類は魚肉の添え物として扱われますが、白アスパラだけは別で「牛肉を添えた白アスパラガス」のように主役扱いになります。耕作するのも料理するのも相当手間がかかる白アスパラですが、取れたてのおいしさは2日程度しか保たないため、商魂たくましい日本の商社でさえ輸入をあきらめているほどの典型的な「域産域消」の農産物です。
 つくるのに手間がかかることでは白アスパラに負けていない市田柿も、近い将来「Ichidagaki」として国際的に認められるようになるかもしれません。

15 地域のセールスマン (広報いいだ平成18年3月1日号より)

 昨年の人形劇フェスタにおいて、ドイツの人形劇人ラファエル・ミューレさんと打ち合わせをしていたときのことです。「出身地はどちらですか?」との私の問いに対して、彼は「フォルツハイムです」と答えながら、その街のPRリーフレットを差し出しました。
 A4の紙をポケットサイズに折り曲げたくらいの簡易なものでしたが、持ち運びに便利でカラー刷りの写真が多く、しかもその説明は全て日本語で書かれていました。
 フォルツハイムは飯田市と同程度の人口(11万6千人)を擁するドイツ南部の街で、私は訪れたことがありませんでしたが、このリーフレットによって興味がわき、その後の会話も弾みました。 地方分権社会の欧州ではこうした地域のPRは一般的に行われていて、ミューレさんのように民間の方であっても、ごく自然に「地域のセールスマン」の役割を果たしている人が大勢います。
 ミューレさんとの出会いから半年、こうしたPRツールをわたしたちの地域でも何とかつくれないものかと検討を重ね、この度、ポケットサイズのリーフレット『飯田に住もう』を作成しました。 今後これを用いて、欧州の街にも負けないくらい飯田のセールスを展開できればと考えています。

16 チャレンジ!南信州の「桜名人」 (広報いいだ平成18年4月1日号より)

 桜の開花宣言を耳にすると、本格的な春の訪れを感じます。南信州地域には樹齢300年以上といわれる桜の古木が80本ほど点在しています。
 当地域では、こうした桜の見頃に合わせて「桜守」と呼ばれるガイドの方が案内してくれますので、開花時期が異なる各地の桜を、時期を逃さずに鑑賞できます。
 今年から、桜守と一緒に40カ所以上の桜を巡った方を南信州の「桜名人」として認定する企画がスタートします。 桜名人にチャレンジする人はあらかじめ登録していただき、鑑賞した名桜の写真をご提供いただければ、それをフォトアルバムにしたCDが「デジタル認定証」付きで発行されます。
 この4月3日には大分県別府市で「全国桜シンポジウム」が開催されますが、ここには市内88カ所の温泉を巡った方に与えられる「別府八湯温泉名人」という称号があります。温泉名人は開始当初「年間数人出るかどうか」くらいに予想されていましたが、わずか1週間ほどで第1号名人が誕生し、以後全国からチャレンジが相次ぎ、これまでの5年間で981人が温泉名人に認定されています。
 南信州の「桜名人」は、いつ頃何人くらい誕生するのでしょうか。今から楽しみです。

17 「昭和の町」との連携 (広報いいだ平成18年5月1日号より)

 4月6日に、「昭和の町」でまちなか再生に取り組む大分県豊後高田市から永松市長ら関係者をお迎えして、両市が相補いながら官民一体の地域づくりを進めることを目的とした「パワーアップ協定」を締結しました。
 私の「昭和の町」とのご縁は、平成14年9月に別府で開催されたシンポジウムで豊後高田商工会議所の金谷俊樹さんにお会いしたときから始まります。人通りが絶えて久しい中心市街地を再生すべく、「7人の商人」と共に「昭和の町」を立ち上げた奮戦記を熱く語る金谷さんと意気投合した私は、翌月早速豊後高田市を訪れました。
 ちょうど「駄菓子屋の夢博物館」がオープンしたばかりで、日本一の駄菓子屋おもちゃコレクターの小宮館長にお会いすることができました。 小宮館長は福岡在住でしたが、豊後高田の皆さんから「昭和の町」を一緒にやらないかと口説かれたそうです。
 当時は未だ海のものとも山のものとも分からない構想でしたが、関係者の熱意にほだされ、豊後高田へのIターンを決意されたとのことでした。 現在、日に50台もの観光バスが訪れ、市民から「奇跡が起きた」と驚嘆される「昭和の町」は、こうした夢を語り合う人と人との出会いによって生まれたのです。

18 TOJ南信州ステージの魅力 (広報いいだ平成18年6月1日号より)

 5月17日に開催された第10回ツアー・オブ・ジャパン(TOJ)南信州ステージは、「全ステージ中、最も地元の応援が熱烈」との前評判どおりのものになりました。
 沿道に子どもから大人までがずらりと並び、手旗を振りながら精一杯の声援を送る姿を見て、あるマスコミの方は「皆、本当に楽しんで応援しているので驚いた」との感想を漏らしていました。
 野球やサッカーのように、選手や競技内容を詳しく知っている訳でもないのに、何故こんなに応援をするのか? そんな疑問を素朴に持つのも、無理からぬことかも知れません。
 昨年のTOJまでは、それまで私たちの地域に縁の無かった「トップレベルの国際スポーツ競技」が開催できること自体を喜んでいたように思います。そして、目の当たりに見た「世界トップレベル」は、「こんな急峻な中山間地を自転車で走れるはずがない」という、私たちの常識をあっさり打ち破りました。
 過酷な山岳コースを驚異的なスピードで長時間疾走する選手たちの姿は、まさに圧巻でした。そして、こんな過酷なコースを「本場欧州に匹敵する」と評価してくれて、今年も一所懸命走る選手の皆さんに、私たちは「元気の源」を感じ、熱烈に喝采を送ったのでした。

19  「静かさ」を大事にするまち (広報いいだ平成18年7月1日号より)

 サッカーのワールドカップ・ドイツ大会が開幕し、連日白熱した試合の模様と共に、現地のお祭り騒ぎが報道されています。こうした光景を見ると、ドイツのまちなかはさぞ騒々しいと思われるかも知れませんが、実際の日常生活は至って静かなものです。
 特に日曜日は人通りもまばらで、昼間でも驚くほどしんとしています。
 「静かさ」を大事にするお国柄は、日常生活の端々に現れていて、住居の賃貸契約書でもお昼寝時間と就寝時間に音をたてることは特に慎むよう強調されていました。ドイツの音楽家は飯田でも「アフィニス夏の音楽祭」で馴染みがありますが、彼の国が多くの音楽家を輩出してきたのも、こうした音への敏感さと無関係ではないように思われます。
 そんな訳で、今回のワールドカップの喧噪を嫌って、スイスあたりに脱出するドイツ人も結構いるようです。私自身、帰国して大分に赴任したばかりの頃は、様々な音に溢れる休日の商店街を、いささか戸惑いながら歩いたものでした。 これに対し、これまでも紹介してきました毎月第2日曜日の「モーニング・ウオーク」は、早朝の静かなまちの佇まいを存分に堪能できるので、毎回楽しみにしています。

20 環境首都への道を共に歩む (広報いいだ平成18年8月1日号より)

 7月7日に開催された座談会「挑戦!環境首都への道」では、この4月に愛知県安城市助役に就任された山田朝夫さんをお迎えしました。山田さんとは、私が大分に赴任していた時からのご縁で、昨年10月の日独地域国際化サミットでは、大分県臼杵市の理事者として後藤市長と共に来飯されました。
 そのとき、飯田の代表的エコツーリズムである農家民泊を体験していただいたところ、すっかり気に入ってくれたようで、今回も同じ所に泊まられました。
 山田さんは東京で生まれ育った総務省官僚でありながら、ここ10年ほど、「流しの公務員」と称して大分県久住町、臼杵市、そして安城市と一貫して市町村に出向し続けており、まさに現場感覚で政策を立案実行している方です。
 そのような方から「飯田市は環境首都への道を共に歩むよきライバルです」と言われると、こちらも気持ちが盛り上がってきます。 安城市だけでなく、環境首都を目指している地域は私たちのまわりにいくつもあります。愛知県新城市、岐阜県多治見市、愛知県田原市なども環境首都コンテストの上位に入っており、先の座談会では、こうした地域と連携を強めて「環境首都圏域」を目指したいと提唱したところです。