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市長エッセー(散歩道)その41~50

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年9月11日更新

飯田市長・牧野光朗が日々感じたことを記していきます

41 自転車に乗って一本桜巡り (広報いいだ平成20年5月1日号より)

 昨年当地で開催された桜シンポジウム以来、全国の愛好家に知れ渡った飯田・南信州の一本桜は、今年の春も地域内外から訪れた数多くの花見客を楽しませてくれました。
 私自身も、夜桜巡りでライトアップされた美術博物館前の安富桜や、愛宕神社の清秀桜を眺めたり、毎月第2日曜日に行われているモーニングウオークに参加して早朝の桜の佇まいを楽しんだりしました。
 特に印象的だったのは自転車好きの皆さんと一緒にサイクリングで桜巡りをしたことです。今回改めて自転車で回ってみると、その距離感の違いにいささか驚かされました。
 実際にサイクリングをした時間は1時間ほどでしたが、これは徒歩なら丘の上の一本桜をいくつか見て回る程度ですが、自転車では麻績の里舞台桜から毛賀のくよとの桜まで、旧道を走りながら巡ることができました。
旧道はクルマの通行量も少ないうえ、雄大な南アルプスを望みながら走れるので、大変爽快でした。
 また、桜の名所が旧道でつながっていることを「発見」し、三百年以上にわたって毎年花を咲かせている一本桜に、今では「桜守」と呼ばれる方々が、代を継いで手入れをしてきたことに改めて思いをはせることができました。

42 三遠南信地域の本格的始動 (広報いいだ平成20年6月1日号より)

 この春は、三遠南信地域の将来を切り開く出来事が二つ続きました。一つは4月13日に三遠南信自動車道の山本・天龍峡間が供用開始されたことです。
 3月末に1万人以上の方が参加して当区間を自転車や徒歩で通行するプレイベントがありましたが、私も1時間余りかけて素晴らしい景観を楽しみながら歩いて、この道が近い将来、浜松、豊橋につながることに胸をふくらませたところです。
 もう一つは5月13日に豊橋市の公会堂で三遠南信地域連携ビジョンの策定を踏まえて、浜松・豊橋・飯田三市の市長、商工会議所会頭によるトップ対談が開催されたことです。
 15年にわたる三遠南信サミットの積み重ねを経て、県境を越えた広域計画が行政のみならず、経済界や住民の皆さんも参加して策定されたことだけでも、他に例がない画期的なことですが、さらに、当ビジョンを実現するための推進体制を構築することが、このトップ対談で確認されました。
 三遠南信道は当ビジョン実現に不可欠な社会資本ですし、当ビジョンは三遠南信道の必要性を確たるものにしています。
 すなわち、今回の二つの出来事は、三遠南信地域が一体的発展に向けていよいよ本格的に始動したことを示すものと言えるでしょう

43 環境モデル都市への挑戦 (広報いいだ平成20年7月1日号より)

 7月の洞爺湖サミットにおけるメインテーマは地球温暖化への対応になると言われています。
 これに先立って国は、2050年までに温室効果ガスを60~80%削減すると表明し、低炭素社会実現に向けて先駆的にチャレンジする環境モデル都市の募集を行いました。
 全国82地域から応募がありましたが、「環境」という言葉にまだなじみがなかった頃から「環境文化都市」を掲げ、「環境首都コンテスト」でも好成績を収めてきた飯田市もノミネートしています。
 選考結果はまだ出ていませんが、いずれにしましても、国の掲げる温室効果ガスの大幅削減を実現するのは並大抵のことではありません。行政はもちろん、企業やNPO、地域住民の皆さんを含めた地域ぐるみの取り組みが必要不可欠ですし、こうした超長期的な政策を遂行するためには、代を継いでも取り組み可能なものにしていかなければなりません。地域の将来を担う人材は低炭素社会を実現できる人材でもある、ということです。
 こうした人材は、50年以上前から子どもたちがりんご並木の世話をするまちであり、これから何十年たってもそうあり続けるであろう、飯田のような地域から輩出されるのではないか、と期待しているところです。

44 天竜川から過去へ、未来へ (広報いいだ平成20年8月1日号より)

 最近、天竜川に関連して二つのうれしい出来事がありました。
 去る6月22日に天龍峡の観光案内所が「天龍峡百年再生館」としてリニューアルオープンしました。ここの2階には、昭和初期の大観光時代の天龍峡の様子を伝える写真などが展示されています。国の内外に知れ渡った当時の天龍峡の繁栄には驚くばかりですが、百年前の元気な天龍峡に百年かけても戻していこうとする金谷地域再生マネージャーの呼びかけに応える形で、地元の旅館や商店の女将さんたちが「昭和乙女の会」を結成し、天龍峡のご案内人になるための準備を進めています。
 一方、子どものころから天竜川でお父さんの指導のもと、カヌーの練習を地道に続けた矢澤一輝選手が、このたび北京五輪の日本代表選手に選ばれました。7月12日に壮行会が市役所と羽場公民館で開催されましたが、飯田市初の五輪選手を応援しようと多くの方が駆けつけてくれました。矢澤選手の北京での活躍を大いに期待しているところです。
 これらの出来事はたまたま重なっただけですが、あたかも天竜川から過去にさかのぼる昇り龍と、未来に駆け上がる昇り龍が交錯したような感覚を持ちました。天竜川を舞台にした新たな二つの物語が生まれそうです。

45 10年に一度の世界人形劇フェスティバル開催 (広報いいだ平成20年9月1日号より)

 去る8月2日から10日まで、世界人形劇フェスティバルが10年ぶりに開催されました。
 この、2500人以上の市民ボランティアが支える日本最大の人形劇の祭典は、国内や海外の劇人たちとの横のつながりを広めるだけでなく、親と子など世代間の縦のつながりを深める大変よい契機になったと思います。
 10年に一度の開催と言えば、南ドイツのアルペン街道に位置する人口約5000人の中山間地の村、オーバーアマガウにおいて村人総出で上演されるキリストの受難劇を思い出します。350年以上の歴史を誇り「世界一の市民劇」と称されるこの受難劇の上演年には、50万人の観光客が世界中から集まります。私がドイツに駐在していた8年前がちょうど上演年にあたっており、取材する機会を得たのですが、この村の若者は大学進学などのために一旦は村を出ても必ず帰ってくるため、過疎の問題は無いとのことでした。この村で育った人は受難劇が自分の一部になり、他で暮らそうとは思わなくなるからだそうです。
 まさに地域の文化が若者を惹き付け、人材のサイクルを構築する事例と言えますが、飯田の人形劇フェスタもこうした役割を果たしてくれるようになれば、と願うところです。

46 フィナーレのアフィニスにみる飯田の「市民参画力」 (広報いいだ平成20年10月1日号より)

 8月24日、20年間にわたって飯田で開催されてきました「アフィニス夏の音楽祭」がフィナーレとなりました。
 アフィニス文化財団をはじめ参加されたすべての皆さんに深く感謝いたします。「飯田はアフィニスのふるさと」と言われるようになりましたが、これは飯田の「市民参画力」のたまもののように思います。関連したエピソードを一つ紹介します。
 昨年ウルム市から飯田市に招聘された都市計画専門家のペーター・リンメレさんが、アフィニスにおいて、あるドイツの演奏家の方から「ウルムが飯田に学ぶことは」と聞かれたとき、彼は即座に「それは市民参画だ。飯田の市民参画はウルムも及ばない程だ。」と答えたのです。自主自立の精神がとても強いウルムのことを知っていた私は、この答えに少々驚いたのですが、同時にそうした評価をいただいたことをうれしくも思いました。
 来年からは市民がプロオーケストラと協働して新しい音楽祭を行おうと、市民主体の「創る会」で構想がまとめられています。「人形劇カーニバル」が20年を区切りに市民主体の「人形劇フェスタ」に進化したように「アフィニス夏の音楽祭」も飯田ならではの音楽祭に進化していくことを期待してやみません。

47 深呼吸の必要 (広報いいだ平成20年12月1日号より)

 去る10月19日に行われた選挙において、多くの市民の皆さんのご支持をいただき、二期目の市長の任に就かせていただきました。あらためてこれまでのご厚情に感謝いたしますと共に、今後も宜しくお願い申し上げます。
 28日の初登庁の訓辞で、長田弘の詩集「深呼吸の必要」より「散歩」の一節を紹介させていただきました。
 街にかくされた、みえないあみだ籤の折り目を
 するするとひろげていくように、
 曲がり角をいくつも曲がって、
 どこかへゆくためではなく、
 歩くことをたのしむために街を歩く。
 とても簡単なことだ。
 とても簡単なようなのだが、
 そうだろうか。
 どこかへ何かをしにいくことはできても、
 歩くことをたのしむために歩くこと。
 それがなかなかできない。
 この世でいちばん難しいのは、
 いちばん簡単なこと。
 思い起こせば4年ほど前、このエッセーの連載を始めるにあたり、タイトルをどうしようか結構悩みました。結局、私が毎朝愛犬を連れて散歩をしているということもあったのですが、この詩のフレーズが頭に浮かび「散歩道にて」が始まりました。
 今後、大きな変革の時代を乗り越えていくためのさらなる挑戦が続きます。まずは大きく深呼吸をして、しっかり歩を進めて行くことにします。

48 干し柿にまつわる「他市の空似」 (広報いいだ平成20年1月1日号より)

 12月3日、韓国の内陸に位置する尚州市(サンジュ市、人口11万人)から来飯した視察団の皆さんの表敬を受けました。 
 この市のことは9月に同市を訪れたかぶちゃん農園の鏑木社長から「飯田市ととてもよく似た柿の里を見つけた」との話を聞いていましたが、なるほど、美しい自然に囲まれた文化都市で、米・繭・干し柿の「三白の里」としても有名な同市は、最近では体験教育旅行や「自転車のまちづくり」に力を入れているとのことで、確かに飯田市と共通点が多いように思われます。
 席上、視察団から韓紙(コウゾの紙)製の人形「柿提灯と花婿と花嫁」をいただきました。手紙などで久堅和紙を使い、人形劇のまちをPRしている私としては、とても親近感を覚えるものでした。
 さらに「虎と干し柿」という民話も同市のものとのことです。この民話は、里に下りてきた虎が、子どもを寝かしつけている母親の話を聞き、干し柿をとても怖いものだと勘違いして逃げていくというもので、地域の物語を大切にする市民性にも共感したところです。
 今後も民間主体の地域国際化が進む中で、こうした「他人の空似」ならぬ「他市の空似」のようなことが起きるかもしれません。

49  新成人が担う飯田の将来の生活モデル (広報いいだ平成20年2月1日号より)

 1月11日に市内各地区で成人式が行われました。私もその幾つかを回り「たとえ今は故郷を離れていても、子育てをするころまでにはここに戻って地域の将来を担ってほしい」と語りかけました。
 新成人が担っていく飯田の将来の生活はどうなっているのでしょうか。飯田市は「環境モデル都市」の選定に向けて、今から約20年後、2030年の生活モデルを提案しています。
~今年で80歳になるAさんは、夫婦で中心市街地にある外断熱と太陽熱やバイオ燃料によりエネルギー供給がなされている高齢者向けの共同建築住宅(コーポラティブハウス)に住んでいます。Aさん夫妻の息子も市内に居住し、飯田市が誘致した東京に本社のある企業の環境技術開発室に勤務し、週1回はリニア中央新幹線で本社に通っています。息子の妻は、大学時代に調査研究のために飯田を訪れた際、市民の環境意識の高さと実践に魅了されて1ターンしました。息子夫婦の中学校に通う長男は、親子三代にわたってかかわってきた市のシンボルであるりんご並木の世話をしています。~ 現在の私たちを取り巻く環境は厳しくても、こうした豊かなライフスタイルを描けるような地域づくりを今後も進めていきたいと思います。

50 三遠南信サミットで注目された飯田の商工団体統合 (広報いいだ平成20年3月1日号より)

 2月10日に浜松市で第16回三遠南信サミットが開催され、三遠南信地域連携ビジョンに掲げられた重点プロジェクトの推進母体(SENA)が本格的に始動することになりました。
 サミットに先立って開催された地域経済開発協議会において、飯田商工会議所の宮島会頭から、この4月1日に行われる飯田商工会議所、鼎商工会、上郷商工会、遠山郷商工会の統合について報告がなされ、浜松の鈴木市長から「国会議員時代に商工会議所と商工会の統合に関する法案整備に携わったが、実際に統合するところが本当に出てくるのか、と思っていた。飯田の取り組みは先駆的事例として全国にもっと広めてもいいのでは」とのコメントをいただきました。
 確かに、飯田の商工団体統合に向けた関係各位のご尽力は並大抵なものではなく、敬意と感謝を表するところですが、三遠南信圏域の他地域からここまで注目を集めるとは思っていませんでした。同時に、人口や産業集積では圧倒的な浜松や豊橋に対し、先駆的な取り組みによって私たちの地域の存在感が高まることも実感でき、3地域がお互いに機能補完できる三遠南信圏域の潜在力を改めて実感することができました。