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市長エッセー(散歩道)その61~70

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年9月11日更新

飯田市長・牧野光朗が日々感じたことを記していきます

61 対話による信頼関係構築から生まれるサイエンスパーク(広報いいだ平成22年2月1日号より)

 例年、各種団体の新年会などにお招き頂いた際には、なるべく「年頭所感及び市政経営の方向について」の説明をさせていただいております。
 1月13日の飯田電子工業会新年総会でもこれに関する意見交換をさせて頂く中で、経済状況が厳しくても地域のためにまとまっていこうとの確認が行われました。
 「産学官協働」という言葉が使われ出して久しいように思われますが、このテーマが重視されるようになったのは欧米においても’90年代からで、インターネットなどの情報技術の発展と密接に関連しています。本欄その4でも紹介したハイデルベルク市のヴェーバー市長(’90~’06)は、その在任期間中、対話を通じて地元産業界との信頼関係構築に注力された女性市長でしたが、当時の講演会で、「このようにして、はじめて『相互関係における創造性』が生まれ、街や地域が必要としている『革新的な雰囲気』が生まれます。これこそ、すばらしい将来が生まれる基盤となるのです。」と語ってくれました。
 世界に冠たるハイデルベルクのバイオ・サイエンスパークも地域の人々の対話から始まったという「物語」は、私たちの地域にとっても大変示唆的と考えています。

62  先人の夢を描いた地に重なる調査結果 (広報いいだ平成22年3月1日号より)

 今回実施した「リニア中央新幹線の実現による社会・経済影響調査」において特に注目されたのは、全国の新幹線駅を有する地域の発展状況を調査したところ、郊外設置型の駅に比べ中心設置型の駅の方が圏域全体にプラスの効果が大きい、というものでした。
 この結果は、くしくも先人たちが伊那谷全体の繁栄を願い、現在の場所に飯田線の飯田駅を設置したことと重なります。
 明治時代、二代目伊原五郎兵衛は、「伊那谷にぜひとも電車を走らせたい」との先代の志を引き継ぎ、各町村を回って鉄道の必要性を説き、資金を集めました。こうして数々の困難を乗り越えて大正12年8月には現在の飯田駅が完成し、辰野と飯田間が全通しましたが、この飯田駅は、伊那谷全体の繁栄を願った住民の強い思いから、歴史的に交通の結節点でアクセスも良く、城下町として発展してきた現在の場所に設置されました。
 先人たちが描いた飯田線と飯田駅への思いは、昭和47年頃に移転されていた伊原五郎兵衛翁の碑を飯田駅に戻そうとする市民運動につながり、この3月には碑が飯田駅に戻ります。更に今回の調査結果を踏まえ、リニアを見据えた地域の将来像にもつなげていきたいと思います。

63 太陽光発電大国ドイツを追って (広報いいだ平成22年4月1日号より)

 去る2月24日に中部電力株式会社と太陽光発電所「メガソーラーいいだ」を川路の城山地区に建設する協定書を締結しました。当事業は、昨年1月に飯田市が環境モデル都市の認証を受けたことを機に市側から中電に共同実証実験の打診をして検討を重ねてきたもので、かつて国県市と中電の四者で取り組んだ治水対策事業の土取り場跡地に建設が決まったことは、大変感慨深いものがあります。
 来年2月に運転開始を予定しているこの発電所の能力は1メガワット、想定年間発電量は100万キロワット時で、これは一般家庭300世帯分の使用量に相当します。またCO2排出削減効果は年間400トンを見込んでおり、低炭素な環境文化都市構築にふさわしい事業になると思います。
 私自身の太陽光発電事業との関わりを振り返ると、平成5年、日本開発銀行からドイツの政府系金融機関KfWに派遣されていた時に、先方に乞われて日本の当事業支援策を紹介したものです。その後ドイツの太陽光発電事業は急伸して日独の立場は逆転しましたが、飯田市としては、日本の環境モデル都市として、当事業やおひさま進歩の事業など民間との協働事業を推進することで再び追いついていきたいところです。

64 産業ダイナミズムの創発に不可欠な地域金融政策 (広報いいだ平成22年5月1日号より)

 桜の開花と重なり、地域内外からの過去最高の人出(32万人)で大変な盛り上がりを見せたお練り祭りが終わると、すぐに年度が替わり、リニア関連はじめ新しい事業がいくつもスタートしています。4月12日には街中の再開発ビルで金融政策室の開所式がありました。
 地域金融政策については今年の「地域経済活性化プログラム」の重点事項にもなっていますが、世界同時不況の影響で低下を余儀なくされた経済自立度の反転攻勢を図り、時代の変化に対応した産業構造を地域内に構築していくためには必要不可欠な機能と位置づけています。
 小泉改革で示された「民でできることは民で」という考え方は、既に独り立ちしている企業に対してはあてはまる部分もあると思いますが、地域産業育成の観点からみると、航空・宇宙や環境、食農などの新産業を、行政が受け持っている芽出しの段階からダイナミックに発展させて一人前にしていくためには、事業計画に関するしっかりした目利きと事業の推進力を併せ持つ政策金融機能が十分に発揮されなければなりません。
 まずは地域経済の血液循環を担う金融関係の皆さんと意識の共有を図るところから始めたいと考えているところです。

65 地域の思いが結集した日 (広報いいだ平成22年6月1日号より)

 5月8日のリニア中央新幹線飯田駅設置総決起大会には、飯田下伊那全域から予想を大きく上回る2千人の方々にご参加頂きました。
 当日のシンポジウムで下條村の伊藤村長からもお話がありましたが、このように飯田下伊那地域が一つの思いに結集して大会を開催したのは恐らく初めてではなかったかと思います。確かにいくら生活圏、経済圏を一にしていると言っても、香川県や大阪府を上回る広大な面積を有し、山、里、街それぞれの生活をベースに多様性に富んだ住民性を特徴とする当地域にあっては、こうした大会はなかなかできるものではありません。ご協力頂いた全ての皆さんに改めて感謝を申し上げます。
 本大会にお集まり頂いた皆さんには、白と青のリニアカラーを結びにした水引のバッジを付けて頂きました。この結びは、一丸となった私たち飯田下伊那の横のつながりのみならず、先人たちから現在の私たち、そしてこの地域の将来を担う次の世代へと連なる縦の結びつきも象徴しています。
 本大会で示した当地域の「結いの力」を持続させ、リニア飯田駅が、長野県、三遠南信の両圏域にできるだけ大きなプラスの効果をもたらすよう、将来ビジョン検討を進めていく所存です。

66 いいだ・南信州を学ぶための入門書 (広報いいだ平成22年7月1日号より)

 私たちの地域は四年制大学を有せず、高卒生の8割が一旦故郷を離れるというハンディキャップがありますが、これを逆手にとって3年ほど前から様々な大学と連携して「飯田版インター大学」の構築を進めています。
 これは、私たちの地域を丸ごと大学のキャンパスと見立てて、全国から当地を訪れる学生の皆さんに、飯田の体験教育や公民館活動、環境政策、産業振興策など特徴的な取り組みを学んでもらうフィールドスタディの仕組みを構築しようとするものです。
 今年度も5月30日の関西大学を皮切りに始まっていますが、当地を初めて訪れる学生さん向けの入門書はできないものか、と常々考えていたところ、この程、しんきん南信州地域研究所が『いいだ・南信州大好き』を発行してくれました。編集委員長を務めた同研究所主席研究員の安藤隆一さんは、以前ご出身の鳥取でも同様のコンセプトの本を手掛けており、冷静な外からの目を持ちながら飯田に長期滞在してこの本をまとめてくれました。
 こうした取り組みは、様々な大学を通して全国に飯田を発信する機会になるだけではなく、多くの若者がこの地域に魅力を感じていることを私たち自身が学ぶ機会にもなっています。

67 風越山202X (広報いいだ平成22年8月1日号より)

 「6月1日に風越山を撮ろう」を合言葉に、飯田市のシンボル風越山の撮影会が毎年開催されています。過去8回で2千点を超える作品が集まっており、多くの市民が参加する市内最大の撮影会と言えるでしょう。
 今年も全作品が8月19日から24日まで飯田創造館で展示されるそうですから、私の撮った写真も「風越山202X」の題名に「みんなで考えようリニアを見据えた地域の未来を」のメッセージを添えて出品されると思います。
 5月から始まったリニア将来構想検討会議の議論がさまざまな展開を見せて進む中、あらためて飯田のまちづくりの奥深さを感じています。本欄でも紹介した毎月第二日曜に行われるモーニングウォークの代表をされている今村光利さんは、『飯田城ガイドブック』改訂版に「飯田はなぜ小京都?」と題した寄稿をされ、「山川道沢(さんせんどうたく)」を重視する京都の都づくりの思想を採り入れ、いかに住民が定住し安定した暮らしができるまちづくりを志したかを説かれています。風越山は北山として大変重要な位置にあり、信仰の対象として権現山とも呼ばれ、今日まで大切にされてきた歴史を振り返ると、この山の後背地が十万市民の水瓶、水源地であることを再認識するところです。

68  DO YOU IIDA?に向けて (広報いいだ平成22年9月1日号より)

 「飯田ってどこにあるの?」 高校を卒業して故郷を離れて以来、自己紹介をする度にこの質問をされたものです。市長に就任してからも似たような経験は何度もしています。
 当地域は今のところ、転勤族が数多く住む支店経済の街でも、学生や研究者が定住する研究学園都市でも、年間数百万人が訪れる一大観光地でもありませんから、一般的には馴染みが薄いのも仕方ないのかも知れません。
 しかし、飯田フィールドスタディがこうした状況を変えていくかも知れない、と最近思い始めています。この取り組みについては当欄「その66」で採り上げ、今号でも特集が組まれていますが、先日、文部科学省を訪ねた際に偶然会った若い職員の方から「飯田市長さんですね。大学時代に飯田のフィールドスタディに参加しました。」と挨拶を受けたのです。冒頭のような経験ばかりしてきた私にとって、こうした挨拶が交わせるようになったことは、とても嬉しいことでした。
 このところ、「DO YOU KYOTO?」は「環境にいいことしていますか?」の意味で使われていますが、飯田フィールドスタディが広まって、近い将来、「DO YOU IIDA?」が「飯田で地域のこと学んでいますか?」の意味になれば、と考えています。

69 追悼 川本喜八郎先生 (広報いいだ平成22年10月1日号より)

 8月23日、川本喜八郎先生が永眠されました。3月にお練りまつりをご案内した時には元気なお姿を拝見していましたから、突然の訃報を聞いて大変悲しく残念な思いでした。
 川本先生は平成2年の人形劇カーニバルの時に初めて飯田を訪れ、その後先生の人形に対して飯田の人々が発した「人形が生きている」という言葉に深い感銘を受けたそうです。そして、飯田こそ自分の人形たちに一番ふさわしい場所であるとして、心血を注いで製作された「三国志」や「平家物語」などの人形約二百体を市へ寄贈してくださいました。
 平成19年3月に開館した飯田市川本喜八郎人形美術館の館長に就任された後には、来館したお客様に人形をより親しんでご覧いただけるよう、定期的な展示替えのほか、トークショーや人形解説会などにも熱心に取り組んでくださいました。
 また、ご自身の人脈でスタジオジブリの高畑勲監督や世界的なアニメーション作家のユーリ・ノルシュテイン氏を飯田に呼ばれた折には、気さくに会食をさせて頂きましたが、飯田に人形のルネッサンスを起こしたいとする先生の熱い思いに感じ入ったものでした。
 これまでの川本先生の飯田への一方ならぬご尽力に心から感謝を申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。

 70 手を取り合う世界の人形劇のまち (広報いいだ平成22年11月1日号より)

 9月25日から26日にかけてフランスのシャルルヴィル=メジェール市で開催された「AVIAMA(人形の友・友好都市国際協会)」の創設会議に出席してきました。
 東欧、ロシア、アフリカなど9カ国12都市から市長他代表者が集まりましたが、アジアからは飯田市だけでした。
 私が飯田市と友好関係にある同市を初めて訪れたのは、ちょうど世界人形劇フェスティバル開催中の平成18年秋でしたが、その時にルドゥー市長から「そのうち、人形劇のまちをネットワークする協会を立ち上げたい。」とお聞きしていました。それから四年を経て本協会創設に至る訳ですが、当初からこれだけ様々な国から多くの参加都市が集まったのは、ルドゥー市長はじめ関係する皆さんのご尽力あってこそ、と敬服したところです。
 今回の会議では来年9月の総会までに協会の活動や予算の具体化を図ることになりましたが、飯田市からは、それまでの1年間で各都市の取り組みのデータベース化を進め、これをそれぞれのイベントやホームページで活用して会員都市の増加を目指すことを提案し、満場一致で承認されました。
 当協会の発展が飯田の人形劇フェスタのさらなる国際化に繋がることを期待するところです。