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一般財団法人飯田市天竜川環境整備公社 紹介-設立の経緯

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年5月12日更新

一般財団法人 飯田市天竜川環境整備公社が設立された経緯についてご紹介します

設立の経緯

 天竜川は、諏訪湖より太平洋遠州灘へ中央、南アルプスの水を集めて標高差760メートルをほぼ直線に流れる日本屈指の急流河川であり、流域の多雨量と共に土砂の流出も多く度重なる洪水により沿岸に被害をもたらしてきました。

 特に飯田市天竜峡上流部の川路・龍江・竜丘地区は、天竜峡の狭窄部と昭和10年に発電を目的に建設された中部電力(株)泰阜ダムの影響を受け堆砂による河床上昇が急速に進み昭和36年6月梅雨前線豪雨、また昭和58年9月台風10号においては、前記3地区の約130ヘクタールにわたり冠水し大きな被害を受けました。

 天竜川の昭和58年災害後、昭和60年3月泰阜ダム水利権更新期を迎えることと相俟って、3地区の土地有効利用面から抜本的な治水対策が検討され、飯田市川路・龍江・竜丘地区へ昭和58年12月28日、当時の建設省中部地方建設局より恒久的な治水対策の中間報告が提示されました。
 この治水対策事業の受け入れを巡り、地元では激しい議論がされました。建設省、長野県、飯田市は、その対応に追われるなかで、地元の強い要望の中に、土地の地上げと昭和40、50年代において目に見えて狭窄部天竜峡付近で水位上昇した天竜川河床を下げるため堆積物の河道掘削がありました。

 天竜川の河床掘削を検討するなかで、中部電力(株)が当初独自に湛水地での河床掘削を考えたが、天竜川官地での掘削物は、国有財産となり、処分が、難しくなりました。
 又中部電力が掘削を行えば、産業廃棄物扱いとなってしまい、大量の廃棄物としての処分方法も問題となりました。かつ掘削物が上質な砂利でありながら、資源として活用が、困難と考えられました。

 治水対策の4者協定のなかで、中部電力(株)は天竜川の昭和36災、昭和58災の河床高には手を着けず、地上げのみで泰阜ダムの影響排除を行うことが締結されたため、独自の河床掘削は行われませんでした。

 また当時の建設省で直接天竜川の河床掘削を行うには、河川の堆積物を災害復旧で障害物として掘削排除する方法となり、砂利資源が少ないなか、掘削物が砂利資源であるにも関わらず、掘って捨てるしか方法がありませんでした。
 また砂利採取業者に掘削許可を与え河床掘削を行えば、砂利資源として活用できますが、砂利資源としての利益は、一業者の儲けと成るだけでした。
 ただし官地での掘削では流水占用料として県へ入り広く県民へは還元されますが、長い間災害で苦しんできた地元流域住民へは具体的に還元されない課題がありました。

 飯田市では、治水対策事業の地元受け入れを模索するなかで、受け入れ条件の一つであった天竜川の河床掘削を当時の建設省の指導で阿武隈川の公益法人を参考にしました。

 公益法人による砂利掘削を行いそこから生まれる“果実”は、地元流域住民、治水事業によって生まれる広大な新堤外地の河川環境整備に還元する方向を考えました。