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地域史講座を開催しました(近世座光寺村の生活と組)

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年4月19日更新

4月13日に座光寺公民館で開催しました

飯田市歴史研究所では、地域史講座として「近世座光寺村の生活と組」の歴史について

地域に残る貴重な史料を使って研究報告を行い、50名を超える参加者がありました。

地域史講座の様子1

 

江戸時代の座光寺村は、当時の一般的な村の規模からみれば、たいへん大きな村でした。

幕末期には約300軒(1500人)が暮らしていました。そうした中で、人びとはどのような関係を築き生活を成り立たせていたのでしょうか。

この点を「組」というまとまりに注目して考察しました。

 

座光寺 松村浄氏所蔵

   座光寺松村浄氏所蔵の史料 

地域史講座 「近世座光寺村の生活と組」

  • 日 時  2019年4月13日(土曜日) 午後2時~午後4時
  • 講 師  羽田 真也(歴史研究所 研究員)       
  • 会 場  座光寺公民館 大会議室

  

講座の概要

 

 幕末期に、村高2071石、家数約300軒を有する巨村であった座光寺村に暮らす人びとは、自らの生活を成り立たせるために、どのような共同関係を構築していたのか。

 本報告は、この点に着目し、村内の「組」を取り上げ、その性格と役割を検討したものであった。

 

 幕末期の座光寺村では、300軒近い家屋敷が、集落と呼びうるような凝集性をもたず、道に沿って村全体に広がっていた。

当時、村内には23の組があったが、借屋人を除くすべての家がいずれかの組に所属していた。

 こうした組は、基本的には同じ地区に住む家のまとまり(地縁的結合)であったが、同族としてのまとまり(同族団的結合)も強固であり、別家は他地区に居住しても本家と同じ組に属した。

 これにより、“A組のなかにB組やC組の屋敷が存在する”あるいは“D組の屋敷とE組の屋敷が混在する”という状況が生まれ、組は地縁的では片付けられない側面をもつことになった。

 

 また、19世紀には、多くの別家が、如来寺(現・元善光寺)の門前である市場組に居住するようになるが、その頃このあたりが如来寺の門前町として発展したことに関係していると想定される。

 こうした組は各家の存立を支える役割を果たした。

 

 古瀬組では、嘉永4年(1851)末に円次郎家が立ち行かなくなった。 円次郎家は6人家族で、総年貢高9俵余りの土地(家屋敷1所と耕地3所)を所持するなど、

座光寺村に典型的な百姓であったが、所々からの借金返済や年貢などの滞金支払いに行き詰ったのである。

 これをうけ古瀬組は、円次郎家の所持地や家財の入札・売り払いを実施し、それを元手に借金・滞金の返済計画を立案した。

 また、年賦返済に同意しなかった他村の金主に対しては、組として村内の有力者から金子を借用し、返済金を立て替えるということも行った。

 

 こうして円次郎家は存続できるようになった。円次郎家のように、日々の暮らしのために無尽や講を含め多様な金融関係をとりむすぶことは、

当時の座光寺村では一般的であり、他の家も円次郎家と同様、不安定な側面をもっていたと思われる。

 そうした中で、組は座光寺村の人びとの暮らしを支えるもっとも基礎的な共同組織として機能していたのである。

 

 以上の報告に対し、組と領主支配との関係、他地域の村と比較した場合の組の特異性などについて質問が出されるなど、質疑応答も活発に行われた。

 

お問い合わせ 

 飯田市歴史研究所
 電話 0265‐53‐4670
 Fax  0265-21-1173

 関連リンク

近世座光寺村の生活と組 (PDFファイル/1.51MB)

 

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