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地域史講座を開催しました(豊川海軍工廠の天龍峡分工場)

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年6月22日更新

飯田市歴史研究所地域史講座 「豊川海軍工廠の天龍峡分工場ー戦争末期の工場疎開と川路村ー」

戦争末期に川路へ疎開してきた豊川海軍工廠(こうしょう)の天龍峡分工場や地下工場の設営工事等について

旧川路村役場史料から見えてきた事を報告しました。

地域史講座の様子1  地域史講座の様子2

        

開催日時

  • 日 時  2019年6月15日(土曜日) 午後2時~午後4時
  • 報告者  原 英章 (歴史研究所 調査研究員)   
  • 会 場  川路公民館

  

講座の概要

戦争末期に、当時「東洋一」と云われた豊川海軍工廠の一部が、天竜峡一帯へ疎開してきました。

昭和20年4月頃から、天竜峡周辺に18棟の工場が建てられ,一部は操業が開始されましたが、その年8月の終戦とともに生産は終了し、

戦後その建物の半分以上が当時の川路村に払下げられました。

川路村はそれらの建物を、満州川路分村からの引揚者住宅や、下伊那農業高校竜峡分校の校舎等として使用しました。

  一方、海軍工廠の疎開に伴い天竜川からの揚水施設も作られ、戦後はその施設を活用して天竜峡一帯への給水もおこなわれました。

  豊川海軍工廠の疎開工場建設に伴う、工場や道路等の補償が戦後おこなわれてきましたが、十分になされたかどうかははっきりわかりません。 

  後に「工廠道路」といわれた一部道路は地権者から飯田市に寄付されています。現在も、当時の工場2棟が残っています。

  同じころ、川路の山中に地下工場を造るために吉原部隊なるものが来て、川路国民学校を宿舎にして寝泊りし、

  落盤事故による犠牲者が2人出た記録が残っています。

  ただし、豊川海軍工廠と地下工場づくりに携わった吉原部隊の関係は不明です。

  以上のような事柄が、旧川路村役場文書の整理を通して明らかになりました。

  また、村をあげて戦争に協力し、戦後は払下げによって公共施設や学校建築を進めた川路村の様子の一端が明らかになって来ましたが、

  豊川海軍工廠の疎開は、川路村の戦中戦後の歴史と切り離すことはできない出来事といえそうです。

  報告の後の話し合いでは、当時の工廠の労働者が夜になると近くの住民の家に来て、食べ物を無心したことなどの体験談も出されました。

    工場      川路文書

     今も残る豊川海軍工廠天龍峡分工場の建物     疎開工場の記録(旧川路村役場文書)  

 

 

 

お問い合わせ

 飯田市歴史研究所
 電話 0265‐53‐4670
 Fax  0265-21-1173