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地域史講座を開催しました(20200919)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年10月16日更新

近代下伊那の蚕種業―座光寺村・伊那蚕業合名会社の経営を中心に          

地域史講座20200919

  • 日 時 2020年9月19日(土曜日) 午後2時~午後4時
  • 講 師  田中 雅孝(たなか まさたか) (歴史研究所特任研究員)       
  • 会 場  座光寺公民館  大会議室                  

講座の概要

 

 近代下伊那の蚕種業について、伊那蚕業合名会社の経営史を中心に、「地域産業の発展と人々の協働」を基本テーマとして報告した。

近現代の下伊那地方の中心産業であった蚕糸業は、優良繭を地域的条件として発展した。その優良繭の生産のためには、良質の蚕品種を調達することが重要課題であった。したがって、当地方の蚕糸業の発展条件を探るためには、蚕種業の動向を検証することは不可欠な課題となろう。

伊那蚕業合名会社は、大正4(1915)年に、座光寺村で設立された。この大正期は、全国的には、片倉や郡是などの巨大製糸家が蚕種業に進出し、零細業者が没落する再編が進行する時代であった。1930年代には、下伊那の蚕種業者は、昭和恐慌に対処して、昭和12(1937)年に、蚕種共同施設組合として大龍社を設立し、伊那蚕業も含めて、蚕種企業の統合が進展した。大龍社は、太平洋戦争下においても蚕種製造を継続し、そのことは、戦後段階における、当地の蚕糸業の復活へとつながっていった。

伊那蚕業合名会社の経営史料の分析結果として、資本構造を中心に、以下の三つの論点を報告した。第一に、伊那蚕業は、1920年代には、零細蚕種業者を下請け分場として組織化する分散的な生産構造を維持しながらも、冷蔵設備を導入した蚕種管理施設の建設や沖縄への原蚕種分場の設置など、積極的な設備投資を行うことで、技術革新を達成し、中規模企業へと発展した。

第二に、伊那蚕業の積極的な設備投資を可能とした資本調達先は、横浜の巨大な生糸売込問屋の製糸金融を原資とする地元の製糸家(国光社)への依存から、下伊那の地方銀行(百十七・信産銀行等)からの融資へと転換した。こうした資本調達ルートの転換がなされていたことにより、伊那蚕業は1930年代の昭和恐慌による危機を克服することができた。伊那蚕業の資金調達ルートの転換が可能となった地域的条件として、この時期に、下伊那地方では、養蚕農民の協同組合方式による組合製糸が発展し、民間企業である営業製糸が衰退傾向にあったこと。このために、地方銀行は蚕種業者に新に融資を拡大する条件が形成されたことを指摘した。

第三に、伊那蚕業では、金融機関によらない個人間による金銭貸借関係が、全期間において、維持されていたという特徴がみられた。その資金源は、地元の地主層や伊那蚕業役員層に依存していた。こうした個人金融の目的は、企業利潤の追求に加えて、相互に資金を融通しあう性格が色濃い、伝統的な農村金融の一環とみることもできるが、この点の実証は今後の課題である。

以上のように、伊那蚕業合名会社では、地域社会における、「目の見える人間関係」にもとづく、人々の協働が経営資源となっていたのである。

 

お問い合わせ 

 飯田市歴史研究所
 電話 0265‐53‐4670
 Fax  0265-21-1173

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