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市長エッセー(市長室から)その61〜

ページID:0121790 更新日:2026年10月1日更新 印刷ページ表示

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます​。​​​

65 キュウドウシャ(広報いいだ令和8年10月号)

 このコラムが皆さんの目に触れる頃には、もう秋の気配が感じられるようになっているのではと想像しますが、書いている今は、まだ夏の甲子園大会の余韻が残っています。

 智弁和歌山の優勝で幕を閉じた今年の大会で印象に残ったのは、熊本県代表・有明高校の快進撃でした。

 熊本地震の発生が7月28日、初戦の立命館宇治戦が8月7日。地震直後、しかも初出場、被災地の皆さんの思いを背負っての戦いは、色々な意味で大変だったのではと思うのですが、見事逆転勝利。その後も長崎日大、東日大昌平をいずれも逆転で破り、準優勝した健大高崎には惜しくも0-1で敗れましたが、その戦いぶりは被災地の皆さんに大きな勇気と感動を与えたことと思います。

 地方紙に有明高校のある選手のコメントが載っていました。

「甲子園にいる魔物って、こういう時にやるべきことをやり続けると自ずと味方になるのかなと思った。」

 しびれました。

 自分たちはやるべきことをやり続けてきた、そう自信を持って言えるなんて本当にすごいことですし、そうすれば魔物ですら自ずと味方になると思えるというのは、もはや修行を積んだ高僧の領域ではないかーーそう、求道(球道)者。

 この選手だけが特別、高校野球だけが特別ということではないと思います。やるべきことをひたむきにやり続けるすべての高校生、すべての人に、心からの敬意を表します。

64 ワクワクが止まらない学び(広報いいだ令和8年9月号)

 その「看板」が下伊那農業高校の校地の角に設置されたのは、5月のGW明けだったでしょうか。グリーン、オレンジ、ピンクの色も鮮やかに、今年度から再編された同校の3つの学科が紹介されています。

 栽培科学科は「野菜×果樹×IT=栽培科学」、地域資源科は「おいしいを科学し伝統を未来へ結ぶ」、生物科学科は「いのちを育み暮らしを彩る」とそれぞれの学科に付けられたコピーも魅力的ですし、生徒の皆さんが描いたイラストも可愛らしいのですが、私にはそのイラストに添えられた「ワクワクが止まらない学び」という言葉がひときわ光って見えました。

 自分の小中高大の学生時代を振り返ってみたとき、残念ながら「ワクワクが止まらない」なんていう学びの記憶はありません。きっと「用意された答え」に早く正確にたどり着く訓練ばかりを積み重ねていたのでしょう。

 学生時代でなくても、「ワクワクが止まらない学び」に出会えたら幸せですね。以前紹介した「ムトスの学び」は、何も小中学生のためだけのものではないと思います。自らの問いや願いをもとに学びを深め、好きや得意を見つけることができたら、その人の人生はきっと豊かなものになります。今流行りの「推し活」も、「ワクワクが止まらない学び」なのかもしれません。

 皆さんの「ワクワクの種」は、何ですか? 

63 遊びをせんとや生まれけむ(広報いいだ令和8年8月号)

 多くの皆さんからご要望を頂いている「雨でも猛暑でも思い切り遊べる屋内施設」の整備に向けた議論がいよいよ始まりました。

 市民会議の発足に先立って、NPO法人Chance For All代表理事・中山勇魚(いさな)さんに「あそびこそ、さいこうのまなび!」と題してご講演いただきましたが、そのお話の中には共感する言葉がたくさんありました。

 例えば、「遊びは、能力開発の手段ではない。こどもがこどもとして生きていくために必要なもの」という言葉。私たちは、知らず知らずのうちに、「非認知能力を伸ばす」など遊びの「効果」を考えてしまっていますが、そもそもこどもは能力を伸ばすために遊んでいるのではない、遊びたいから遊ぶのだ、という指摘は、本当にそのとおりだと思います。

 同時に、遊びたいから遊ぶその中で、いろいろなことに「挑戦」して、ときには「失敗」して、そこから「回復」して、また「挑戦」する、この「挑戦、失敗、回復」というサイクルを通じてこどもの中にさまざまな力(学びの土台、生きる力の根っこ)が育つのだというお話もまた、結果として生じる「遊びの意義」として心から共感しました。

 サンマ(時間・空間・仲間)が無くてこどもが遊べなくなっていると言われる今、そこに行けばこどもも大人も遊べる(ようになる)「遊びの殿堂」を創りたい、そう思っています。

62 ​馬と飯田の深イイ話(広報いいだ令和8年7月号)

 今年は午(うま)年。何を今さら。いや、先日、来年4月開館予定の「ごんが歴史交流館」の展示内容の説明を受け、その後、「竜丘古墳まつり」にもお招きいただいて、飯田と馬との深い関係を改めて認識しましたので、今回はそれを書こうと。

 畿内と東国を結ぶ内陸の大動脈「古東山道」が作られた今からおよそ1600年前の古墳時代、日本列島に大陸から馬が本格的に導入されたのとほぼ同じ時期に、飯田にも馬がもたらされました。当時のヤマト政権にとって、飯田は東へ進出するための前進基地であり、交通の要衝として馬が政策的に配置されたと考えられています。竜丘付近を中心に数多く残る古墳の数や大きさから見て、その当時、馬を飼育しヤマト政権に供給した有力者が飯田にいたことが伺われます。

 奈良時代においても、東山道の要衝として、飯田は国家の交通事業を支える地であったと考えられており、当時の伊那郡を統治した郡役所(伊那郡衙(いなぐんが))が置かれました(その跡が「恒川官衙(ごんがかんが)遺跡」です)。

 江戸時代から明治頃までは、伊那街道、遠州街道、秋葉街道などが交わる飯田は、「中馬」という運送業の積み替え・荷分けの地として大いに発展しました。東海地方と信州の内陸部を結ぶ中馬流通網の中心地として栄え、それに伴い紙や元結などの手工業も発達し、商工業都市としての飯田が形作られたのでした。

​61 木は文化(広報いいだ令和8年6月号)​​

 2月末に行われたリニア駅前広場に整備する木造大屋根に関する講演会。飯田高校卒業生である北川原温東京藝術大学名誉教授のお話の中で「木は材料ではなく、文化である」という言葉に深い感銘を受けました。

 私はこれまで、地元産の木材が使われる、地元の設計士の皆さんがチームを組んで実施設計をする、地元の工務店が施工する、といったことに木造大屋根の意義を見出していましたが(もちろんそれぞれ意義深いことですが)、この地域の豊かな森林資源や紡がれてきた文化を象徴・体現するのが木造大屋根であり、そのことが市民の皆さんの誇りと愛着につながるのだ、という北川原さんのお話に大いに得心したことでした。

 心配していた「お金」のことも、構造計算を担当した稲山正弘東京大学教授によれば、「一般住宅用の流通材と金具を使うように設計されているので、それほど高くはなりません」とのこと。また、構造材が雨に濡れないように設計されているので、定期的なメンテナンスをすれば(法隆寺のように)長持ちすることも教えていただきました。

 稲山さんは「りんごの樹の構造が今回の大屋根の構造になっている。まさにシンボル。飯田の文化的な名所になると確信している」とも。「文化がこれからの経済を動かしていく」という北川原さんの言葉も含め、示唆に富む言葉をたくさん聴くことができた講演会でした。

 ※北川原さんのご講演と稲山さんも交えたパネルディスカッションの様子は動画でご覧いただけます。

 リニア動画