ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
ホーム > 分類でさがす > くらしの情報 > 教育 > 文化財 > 文化財保護いいだ > 下伊那出土の富本銭・和同開珎銀銭

下伊那出土の富本銭・和同開珎銀銭

ページID:0113737 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月18日更新

下伊那出土の富本銭・和同開珎銀銭(しもいなしゅつどのふほんせん・わどうかいちんぎんせん) 3枚

区 分:長野県宝(平成12年3月27日 県指定)

所在地:飯田市追手町2丁目655-7 飯田市美術博物館 他

所有者:飯田市・個人

時 代:飛鳥時代

規模等:

富本銭(座光寺地区出土);直径2.45cm、厚さ0.16~0.19cm、重さ4.12g 銅製

和同開珎;直径2.45cm、厚さ0.15cm、重さ5.48g 銀製

概 要:

日本最古の流通貨幣である富本銭2枚と、最古級の貨幣である和同開珎銀銭1枚です。富本銭の1枚は座光寺地区内から出土したと伝えられ、1枚は高森町下市田にある武陵地(ぶりょうち)1号古墳から出土したもの、和同開珎銀銭は座光寺地区恒川遺跡群の竪穴建物(田中倉垣外地籍44号住)から出土したものです。

恒川遺跡群は飛鳥・奈良・平安時代に伊那郡を治めた地方役所 伊那郡衙があった場所です(史跡 恒川官衙遺跡)。座光寺地区出土の富本銭も、詳細な出土地点は不明ですが、恒川遺跡群から出土した可能性が高く、高森町武陵地1号古墳も、恒川遺跡群とは極めて近い位置関係にあり、いずれも伊那郡衙を中心とした地域からの出土ということができます。

富本銭の出土事例はほとんどが畿内地方からで、東国での出土は稀です。和同開珎の銀銭も同様であり、古代この地方に律令制度と共に中央の経済・文化が伝わっていたことがわかります。

富本銭 左:富本銭(飯田市出土)表面 右:和同開珎銀銭 表面

和同開珎 左:富本銭(飯田市出土)裏面 右:和同開珎銀銭 裏面  

解 説:

富本銭

683年(天武天皇12年)頃に日本でつくられたと推定される銭貨です。かつては和同開珎が日本最古の流通貨幣といわれていましたが、平成11年(1999)、奈良県飛鳥池遺跡の7世紀後半の地層から、富本銭の鋳造の痕跡が確認されたことが発表されました。現在は富本銭が最古とされていますが、富本銭が実際に貨幣として流通したかについては議論が分かれています。

直径24mm前後の円形方孔の貨幣で、縦に「富夲」と書かれ(夲は本の異体字)、横に七つの点(七曜星)が配置され、裏は無紋です。

成分分析によれば、座光寺地区・高森町出土の2枚とも銅とアンチモンの合金で、文様なども詳細に検討された結果、奈良県飛鳥池遺跡の工房で鋳造された可能性が高いと考えられています。

和同開珎

和銅元年(708)5月11日から日本で鋳造・発行された、日本最古級の流通貨幣です。『続日本紀』によれば、5月11日には銀銭が、8月10日銅銭が発行されたと記されています。しかし、銀銭は私鋳が横行したため翌年に発行が止められ、和銅3年(709)に使用が禁止されますが、養老5年(721)に使用が認められています。

直径24mm前後の円形方孔の貨幣で、時計回りに和同開珎と表記され、裏は無紋です。

厚手で稚拙な「古和同」と、薄手で精密な「新和同」があり、銀銭は古和同のみです。古和同はさらに書体によりいくつかに分類されます。

なお、読みには「わどうかいちん」と「わどうかいほう」の主に2説があります。「珎」を「珍」の異体字とする説では「かいちん」と、「珎」を「寶(宝の旧字)」の異体字とする説では「かいほう」と読みます。

見 学:

飯田市美術博物館(外部リンク)(市内出土富本銭・和同開珎)

高森町歴史民俗資料館 時の駅(外部リンク)(高森町内出土富本銭1枚)

参考文献・サイト等:

『お金の博物誌 ―富本銭から六文銭まで―』飯田市美術博物館・飯田市上郷考古博物館 2013

日本最古の銅製鋳造貨幣「富本銭」(外部リンク)(高森町歴史民俗資料館 時の駅)

史跡 恒川官衙遺跡


お知らせ
指定文化財等の紹介
文化財関連施設
埋蔵文化財(遺跡)の手続き等
指定文化財の管理・手続き等
リンク集1 (飯田市教育委員会等)
リンク集2 (文化財の紹介・研究等)