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人形劇のまち飯田の歴史
時空をこえてつながってきた、『人形劇のまち』飯田。
伝統芸能の宝庫である南信州・飯田。その歴史をご紹介します。
飯田と人形劇
飯田市は、諏訪湖から流れ出した天竜川が太平洋へ注ぐちょうど真ん中あたり、東に南アルプス、西に中央アルプスがそびえる、豊かな自然と四季の変化に富んだ南信州の中心都市です。
東西、南北の交通の要衝として繁栄し、中馬※1による交易などが盛んで、経済的にも文化的にも豊かな土地でした。

人形浄瑠璃が伝えられた当時、飯田のまちは豊かに潤っていたと言われています。山の人々は木を切り出し、農家は桑を育て、蚕を飼って絹糸をとり、にぎやかに暮らしていました。
農閑期には、当時の流行の人形浄瑠璃一座を呼んで大いに楽しんでいたそうです。
そして、黒田※2や今田※3の人たちをはじめ、多くの人たちが旅の一座から人形遣いを教わり、やがて祭りと結びついて、地域の人々の手によって現代に伝えられてきたのです。
飯田にはたくさんの祭りがあります。自然への畏敬の念を抱いた人々の祭りには、おみこしや獅子舞、神楽など人形浄瑠璃以外にも様々な芸能が奉納されています。
それらは神事であると同時に、人々の楽しみの場でもあり、また、地域の若者を鍛え育てる場であり、人々の団結を促すものでもあります。
伊那谷には、数えきれないほどの獅子がいます。各地域が競い合い、様々な工夫や鍛錬を重ね、各地域に独自の獅子や舞が生まれてきたのです。
このように、飯田の人たちは昔から芸能を観ること、演じること、支えることを楽しんできました。守り伝えられてきた気質が、今なお現代の人々に受け継がれてきています。


※1 認可を受けた運送業者に対する民間の運送業者(江戸時代)。百姓馬などを使った。
※2 現在の飯田市上郷の一部
※3 現在の飯田市龍江の一部
伊那谷の人形芝居
江戸時代に大阪を中心に繁栄した人形浄瑠璃は、街道筋を伝って伊那谷※4に伝えられ、庶民の娯楽として伊那谷の各所に広がり定着しました。
これらは、神事芸能としての性格を持って地域の人々の心に深く根を張り、その多くは地域の青年たちの手で支えられました。
伊那谷にはかつて20以上の人形座があり、専用の人形舞台が建てられる程の隆盛をみます。
しかし、江戸時代末期以降、幕府の倹約令や明治政府の鑑札制度、新たに人気を呼んだ地芝居の影響などによりその多くが衰退し、昭和の初めには黒田、今田、早稲田、古田の四座が現存するのみとなりました。
それらも、昭和10年代には若者の不在から大部分が廃滅寸前まで衰微してしまいます。
戦後、日本経済が発展に向かった昭和30年代、黒田・今田・早稲田の三座が「伊那人形保存協議会」を結成し伊那谷の人形芝居の復興の礎が築かれました(昭和59年には古田を加えた四座で「伊那人形芝居保存協議会」を結成)。
昭和50年には黒田・今田ともに国選択無形民俗文化財となっています。これに前後して、各座で保存会や中学校人形クラブなどを設立し、保存継承に向けて後継者育成などの取り組みが活発になります。
各人形座では、演じたことのなかった演目を習得したり、上演が途絶えていた演目を復活させるなど、地域の伝統的な人形芝居の伝承に力を入れています。
また、昭和58年には今田人形座による新作「小太郎物語」が創られるなど、新たな魅力を生み出しています。


※4 南アルプス、中央アルプスにはさまれた谷。上伊那郡と下伊那郡の総称。
人形劇の祭典「人形劇カーニバル飯田」 〜始まり そして発展と充実〜
いいだ人形劇フェスタの前身「人形劇カーニバル飯田」は、1979年(昭和54年)の国際児童年に始まりました。
全国からプロ・アマを問わない人形劇を愛する人たちが飯田に集まり、市民を巻き込んだ、街中に広がる人形劇のお祭りを生み出したのです。
各地区に上演会場を設け、地区の方との交流を大切にした分散公演は、他では類を見ない画期的なものでした。
その後、人形劇人のパレードや商店のウィンドーに劇団の人形を展示するウィンドー人形展など、カーニバルならではの企画が次々と生まれ、参加劇団も年々増えていきました。

1986年第8回には、初めての本格的な国際人形劇フェスティバル、ウニマアジア会議が開催され、人形劇カーニバルの国際化が広がりました。
1988年、第10回を記念し、「世界人形劇フェスティバル」が東京・名古屋と合わせ、飯田のカーニバルでも同時に開催されました。
この年、ウニマ本部が置かれているフランスのシャルルヴィル・メジェール市との友好都市提携が結ばれ、飯田市は人形劇を通じて国際交流都市の仲間入りを果たしました。

人形劇人と市民が一体となったこのお祭りは、各方面から高い評価を受け、飯田市は「人形劇のまち飯田」として知られるようになります。
そして、1998年の第20回には飯田市単独による世界人形劇フェスティバルが開催され、人形劇人と飯田市民により選考された大変すばらしい人形劇作品が上演されました。
カーニバルは全国からプロ・アマたくさんの人形劇人が大集合するお祭りから、優れた芸術としての人形劇が一堂に会する祭典へと発展していったのです。



「いいだ人形劇フェスタ」市民がつくる人形劇の祭典へ
人形劇カーニバル飯田は第20回を区切りに、発展的に終了することになりました。
第20回のカーニバル終了後、関係者によって20年間の評価と検証が行われ、市民主体の新しい体制として再出発することになりました。
新しい人形劇の祭典の立ち上げについて急ピッチで検討が進められ、1999年4月には市民による新しい実行委員会が誕生。
そして8月、市民がつくる人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ」の第1回が開催されたのです。

いいだ人形劇フェスタは、市民と人形劇人が交流しながら、ともにフェスタをつくっていくことにより、人形劇が向上・発展し、地域の文化がさらに高まり、そしてまちも活性化する、そんなお祭りを目指しています。
「みる・演じる・ささえる わたしがつくるトライアングルステージ」、それがいいだ人形劇フェスタです。
さまざまな年齢や職業の人が集まり、一人ひとりの思いを実現させ、たくさん感動と豊かなこころが生まれる場として、回を重ねる中、いいだ人形劇フェスタは、市民がつくる私たちのお祭りに育ってきました。
そして2008年、人形劇のまち30年を記念して、9日間にわたる「世界人形劇フェスティバル」が市民の手によって開催されました。
「いいだ人形劇フェスタ」の特徴
いいだ人形劇フェスタは、誰でも参加できる日本最大の人形劇の祭典です。毎年8月上旬ころ、飯田市及び周辺の会場で数多くの人形劇公演が繰り広げられます。
全国そして海外から劇団が一堂に集まり、中学生から大人までの市民がボランティアスタッフとして、いいだ人形劇フェスタを支えています。
人形劇を観る人も、演じる人も、そして支える人も、みんなが参加証ワッペンを購入し、身につけて参加します。ワッペンは、みんなでフェスタをつくるシンボルです。
フェスタ期間中は、飯田市内の地区公民館や集会所、神社やお寺、保育園や学校など生活の場が劇場になります。
それぞれの地区で組織される実行委員会によって公演が運営されています。
飯田市全域のどこでも公演が行われ、それを地域の住民が支えている、それがいいだ人形劇フェスタの大きな特徴です。
いいだ人形劇フェスタは、参加する一人ひとりの思いを大事にします。
市民も劇人も誰でもが、自分のやりたいことが提案でき、皆の賛同を得られれば、皆でその提案が実行できるようにサポートをします。
これによって、飯田だけの新しい企画や作品が生まれています。
つながってく
小さいころ人形劇カーニバルを楽しんだ人たちが親になり、今度は子どもと一緒に人形劇を楽しんでいます。
クラブや総合学習で人形劇を演じる楽しさに出会った子どもたちの笑顔が街中に輝いています。
中学生・高校生のボランティアはこのフェスタを通し、人形劇と出会い、働くことを通して、飯田のまちへの思いを心の中に育んでいます。

私たちにとって、いいだ人形劇フェスタは、しっかりと心の故郷になっています。
数十年という時を経て、今、飯田の人形劇は親から子へ孫へ世代をこえてつながり、また飯田から世界へと時空をこえてつながってきました。
そして、さらに、観客同士が、観客と劇人が、劇人同士が、劇人とスタッフが、人形劇を観たり演じたり支えたりすることで、もっと広く、深く、楽しくつながっていきます。


