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竹田人形座について

ページID:0135564 更新日:2026年2月24日更新 印刷ページ表示

竹田人形の歴史

竹田人形は古い歴史を持ち、寛文年間(1660年頃)に竹田近江掾が大阪の道頓堀に人形芝居の櫓を上げたのが始まりといわれています。
この竹田人形は、糸繰りとカラクリ人形として評判をとり、いつも大入り満員を続けた民衆的な人形芝居でした。
今日なお、歌舞伎の古典の名作として上演されている「仮名手本忠臣蔵」「菅原」「義経千本桜」など、数々の傑作を書いた名作者の竹田出雲もその一家の子孫です。

 

竹田人形座とは

竹田人形芝居の流れをひく糸繰り人形の名手・結城孫太郎が、昭和30年、河竹繁俊と徳川夢声の推挙を受けて、竹田三之助と改名、竹田人形座を東京に復興しました。
三之助の芸養子、竹田扇之助(現・竹田扇之助記念国際糸操り人形館館長)は父を助け、竹田練場を設け、技芸の伝承と創造の場とし座員を育成し、兄弟弟子である人形作家・竹田喜之助を得て、映画・TV・ショービジネスに活躍。さらに海外公演へと飛翔し、竹田の名跡を世界に位置づけ、今世紀最高の人形劇人7名の中に選ばれました。
昭和31年3月東京都無形文化財に指定。海外公演は昭和47年4月ドイツポッハム、ボン他主要12都市の公演をはじめ、エジンバラ芸術祭招待、ストックホルム国立人形劇場、フランス、スウェーデン、デンマーク、アイルランド、イギリス、カナダ、イタリア、ポーランド、ソビエト、アジア諸国など多数。
しかし1979年、不慮の事故で竹田喜之助を失い、竹田扇之助の奮闘にもかかわらず、再び活動を休止することになり、約2,600体の人形たちも倉庫で眠ることになってしまいました。

 

主な作品

  • 『雪ん子』(文部省芸術祭奨励賞他)
  • 『つるの笛』(文部省芸術祭優秀賞)
  • 『テレビ・黒姫物語』(NHK教育局長賞、ミュンヘン国際テレビ青年賞等)
  • 『映画・明治はるあき』(文部省芸術祭優秀賞)
  • 日本万博で市川昆監督による「つる」を1,442回公演
  • 『橋弁慶』(厚生大臣児童福祉文化奨励賞) 等、多くの作品がある。

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人物紹介

竹田三之助

明治30年横浜市馬車道に生まれる。
小学校在学中9代目結城孫三郎に弟子入、昭和30年竹田人形座の名跡を継ぐ。
昭和40年12月逝去。

竹田扇之助

昭和5年長野県下伊那郡喬木村阿島に生まれる。
幼少より人形を創り、演じ、昭和21年、糸繰り中興の祖といわれる9代目結城孫三郎の目に止まり、最後の弟子にと強く要請される。昭和22年、9代目は逝去、高弟である後の竹田三之助に弟子入り、修行に励む。
昭和40年三之助亡き後、竹田の名跡を継ぎ竹田人形座を主宰。国際人形劇連盟(ウニマ)執行委員、同評議委員、日本ウニマ会長を務め、現在、同名誉会長。

竹田喜之助

大正12年岡山県邑久町に生まれる。
昭和25年東京大学第二工学部機械工学科卒業、同年結城孫太郎一座に弟子入り。竹田人形座の人形約2,600体を制作する。喜之助人形として高い評価を得る。
昭和54年9月5日不慮の事故で逝去(享年56歳)。

 

飯田市と竹田人形の出会い

竹田扇之助館長の故郷は飯田市の隣り、喬木村です。「人形劇のまち」と呼ばれている飯田市───、そこに何かの縁を感じた竹田館長は、座のすべての人形と関係資料、ご自身のコレクションである海外の人形などを飯田市に寄贈することを決意しました。一方飯田市は人形劇のまちづくりを計画、竹田人形座の人形を広く市民や観光客に見てもらうこととし、人形美術館が建設されることになりました。

施設と収蔵品当美術館は、日本の伝統的な建築を基本としながらモダンな美しさを兼ねそなえたものです。
事務棟と展示棟を渡り廊下でつなぎ、お客様には庭園風景もお楽しみいただきながら人形をみていただこうとしています。
建設場所が高台にあって、南アルプスのも併せてお楽しみいただけます。展示棟のメインホ-ルは、東京・竹の塚にあった竹田人形座の舞台を再現して、座を代表する『ゆきんこ』の人形がステ-ジ上に展示されています。
この舞台は前からだけでなく、ステ-ジ上部からも遣い手の目で人形を見ることが出来ます。
人形の展示数は限られていますが、一つひとつの人形をじっくり見ることによって人形劇の不思議な世界に引き込まれます。