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飯田文化会館情報誌 toi toi toi!第2号 ふるさとに「落語」の灯を

ページID:0136999 更新日:2026年3月31日更新 印刷ページ表示

飯田文化会館情報誌 toi toi toi! いいだ文化の軌跡を紹介するコーナー「Curtain Call」。
第2号は「ふるさとに落語の灯を」と題して、市民落語鑑賞会 おいでなんしょ寄席を紹介します。

おいでなんしょ寄席

やっぱり落語は生がいい

令和5年12月6日(水)、飯田文化会館で開かれた「第44回 おいでなんしょ寄席」。
コロナ禍を経て、4年ぶりの開催となった同寄席には三遊亭好楽さん、桂文珍さん、桂宮治さんの人気者3人が出演しました。
初登場となった桂宮治さんは古典の名作「時そば」を披露。抑揚の利いた口調と、情景が浮かぶ繊細な描写で聴衆を惹きこみます。
次に努めるのは三遊亭好楽さん。自然体ながらも人を惹きつける空気感を纏い、端正な語り口で古典の「胡椒の悔やみ」を聴かせました。
一方、桂文珍さんは、まくらから飯田のシンボル・りんご並木の話題に触れて会場を盛り上げ、AIの進化により落語が忘れられてしまった未来を舞台にした自由闊達な現代落語を披露。拍手やどよめきが随所に起こり、ホールは笑いに包まれました。

桂文珍師匠

 

おいでなんしょ寄席の歴史

昭和が平成に変わったばかりの平成元年5月、飯田市公民館で開催された「立川談志独演会」。同寄席の歴史はここから幕を開けました。
開催の立役者となったのは飯田市扇町生まれの寄席文字書家・橘左近さん。日本テレビ「笑点」の題字やカレンダーの企画制作のほか、噺家の系図研究をライフワークとして続けるなど落語界に多大な功績を残した人物です。
「信州の小京都に落語の灯を!」。そんな熱意を胸に当時の、幼なじみの萩元邦人さん、南信州新聞社・篠田靭彦さんの二人が口火を切り、賛同した飯田文化会館、飯田屈指の落語好きで知られる片桐啓さんらをメンバーに、昭和63年実行委員会が結成。
左近さんの人脈を元に、江戸、上方から来飯する落語家の顔ぶれは地方公演では類を見ないほどの豪華さで、地域に「笑い」の文化を根付かせると共に「おいでなんしょ寄席」は全国屈指の地方寄席として業界からも一目おかれる存在へと成長したのです。
前述した44回目の寄席を終えたわずか6日後、橘左近さんは天国への旅路につきました(令和5年12月12日・89歳)。しかし、左近さんが残してくれた文化の灯はこれからも明るくふるさとを照らし続けます。

寄席文字書家 橘左近さん

寄席文字書家 橘左近さん

 

橘左近さんを囲んで

おいでなんしょ寄席公演の打ち上げにて・橘左近さんを囲んで


インタビュー

おいでなんしょ寄席 第4代 実行委員長 河原 俊文さん

第4代 実行委員長 河原俊文さん

河原 俊文 さん【プロフィール】
昭和43年、喬木村生まれ。
南信州新聞社勤務、三遠南信Biz編集長。
仕事を通じて落語に興味を持ち、20代前半から各地の落語会へ足を運ぶ。
30代前半、先輩のあとを継ぐ形でおいでなんしょ寄席実行委員に。
副実行委員長を経て、令和5年、第4代実行委員長に就任

 

「第44回おいでなんしょ寄席」は、私にとって実行委員長という大役を拝命する大きな節目の席となりましたが、集まったお客さんにとっても特別な席であったと思います。
コロナ禍の3年間のブランクを経て「果たしてお客さんは笑ってくれるのだろうか」と舞台袖を行き来しながら、正直、考えていました。ところがふたを開けてみれば、会場を包む大きくキレのある笑い声。それで途絶えるような文化ではなかったということですね。
落語はもともと東京や大阪の芸能であり、この地に古くから根付いたものではありません。
しかし来場者の笑いは「地域の文化の有りよう」を表すバロメーターであり、落語会はこれを確認する意味でも貴重な機会です。
この見えない宝を守るため、おいでなんしょ寄席を続けていく事がこれからの我々の使命だと感じています。

おいでなんしょ寄席

また、もうひとつ目指すのは、落語を通じた地域アイデンティティーの確立です。
象徴的な事として、飯田は有名な古典落語「文七元結(ぶんしちもっとい)」のゆかりの地であることが挙げられます。これを地域資源と捉え、元結職人や水引業界、有識者とも連携しつつ、相撲や歌舞伎とも関係づけながら関係人口作り、PRにつなげられたらと考えています。
時代は移り変わり、この地域も変化し続けます。リニアが開業すれば東京が近くなり「東京へ落語を聴きに行けばいい」という声も出てくるでしょう。
しかし、飯田で聴く落語が一番面白い。ドカーンと笑いがきて、その面白さを皆で共有できる喜び。それが感じられるからこそ、飯田で落語会を続ける意味があるのだと思います。
目指すのは「飯田市民『目黒のさんま』殿さま化計画」。
有名な古典落語「目黒のさんま」のオチは「サンマは目黒に限る」というものですが、飯田下伊那の皆さんが「落語は飯田に限る」と思わず呟きたくなるような近未来を目指して活動していけたらと思います。

 

おいでなんしょ寄席 前実行委員長 片桐 啓さん

前実行委員長 片桐 啓さん

片桐 啓 さん【プロフィール】
昭和30年、豊丘村生まれ。
仕出し・寿司専門店「片桐」代表。
第1回から実行委員を務め、おいでなんしょ寄席のすべてを知る貴重な存在。
平成15年に第3代実行委員長に就任、令和4年までの20年間、会の発展に尽力する

 

中学生のころから無類の落語好き。
大学進学で上京してからは半蔵門の国立小劇場(当時)に毎月通ってね。「名人」と呼ばれる人らの古典を夢中で聴き続けてきた。若い時分のそんな経験で、聴く耳がずいぶん養われたと思う。
故郷に戻って30歳を過ぎたころ、持ち上がってきたのが「おいでなんしょ寄席」の企画。それ以前にも飯田で落語会の企画はあったらしいけど、こっちはなんてったって揃うメンツが段違い。1にも2にも飯田出身の左近師匠がいたから。これに尽きるよね。
振り返ってみればすごい話もあってさ。例えば第8回の「五代目桂文枝襲名披露公演」。仕掛けも大掛かりな「天神山」も見事だったし、その日は襲名披露の口上もあったから、実行委員も法被を着て後ろに並ばせてもらって。あれは感動だったね。
もう一つは第3回の「柳家小三治独演会」。この師匠、まくらが長いことで有名なんだけど、実はまくら振りながら客の反応を見てるんだよ。
この日やった「子別れ」は長い話だから、上段、中段で終わらせることが多いんだけど、見せ場になる「糸繰り」の仕草をした時に客席から拍手が起こったの。都会じゃ絶対ここで拍手は起きない。養蚕が盛んだった飯田だからこそ、その見事さがわかったんだろうね。
これで師匠の気分が乗っちゃって、上中下90分話して終電に乗れない人がいっぱい出たって笑い話。
この日の打ち上げは普段飲まない師匠がコップ酒傾けてさ。「いやー。飯田はいい。お客さん良かった」てご機嫌で、それもうれしかったよね。ああ。でもこんなふうに一つ一つ話していったら話は尽きないからこの辺で。
自分にとってのおいでなんしょ寄席とは?そんな哲学的なことはわからない。「いい落語家さんを呼んで、地元の落語好きなお客さんに見せたい」ていう、会の趣旨にほれこんで支えてきた。ただそれだけ。
だからこれからも動ける限りは携わっていくのが自分の使命だと思ってるよ。終わってからのうまい一杯を楽しみにね。

 


インタビュー

大好きな左近師匠、大好きな飯田のこと

三遊亭 好楽さん

三遊亭 好楽さん

木久扇(木久蔵)さんと一緒に、初めて飯田を訪れたのは30年前。私の大好きな左近師匠が、私のことを好きでね。なにかと声をかけてくれるから、飯田にはちょくちょく足を運ばせてもらっています。
毎回驚くのは楽屋に置かれているネタ帳の中身。「え、この師匠がこの噺したの⁉︎」「すげーな、聴きたかったな」てことが往々にしてあるんです。つまりね、飯田ならこんな話がやれるんだってこと。
落語には誰にでも面白く伝わりやすい噺もあれば、良い噺なんだけど大衆受けしないものもある。
普通の会場ならついてこられないような噺も、ここ飯田の地では大先輩たちが披露しているんです。演目を見るだけで飯田の方の耳が肥えているのがわかりますし「すごいな。ここは落語が通じる貴重な場所なんだな」と改めて思います。
現在、落語界にいる噺家は上方と江戸を合わせて約800人。当然ながら上の方々はだんだん旅立っていくわけです。かくいう私も77歳ですから、いわば昔の人。
こんなにいいお客様に恵まれている場所なのだから、これからの「おいでなんしょ寄席」には、まだ無名でも才能のある若い噺家を呼び、発掘する場になってほしい。先輩としてそんなことにも期待しています。

おいでなんしょ寄席ネタ帳

 


橘 左近さん・最期のコメント(第44回おいでなんしょ 寄席パンフレットから /一部改変)

橘 左近さん

郷里での落語会。なんとしてでも行きたい想いがいたしましたが、齢をとってからの体調とは全く予想が出来ぬもので、気持ちだけは飯田へ飛んでいるのに体が追い付かず、心ならずも不参という事になってしまった。情けない、実にくやしい思いが募ります。
「おいでなんしょ」という飯田言葉は深い親近感をもって心に響きます。当たり前です。私の生まれた処です。そんな大切な処に落語が根付き、多くのファンに守られているなんて、なんとうれしくて素晴らしいことでしょう。
多くの落語家が飯田を訪れ、その感覚の新鮮さと感受性の鋭さを激賞しています。事実です。落語だけでなく芸能に対する心構えが他所とは違うと激賞してくれた人もいます。うれしい限りです。地方にありながら新感覚と深い愛情によって永年かかって育てられた飯田人の素晴らしい感覚だと感じています。豊かな環境を育て上げた先輩諸氏に対して深く感謝すると共に、これからの姿勢維持への努力を惜しまぬことが大切だと痛感します。
長く落語の仕事を続けて来たが、いよいよ限界を感じる今日この頃、愛する郷土への恩返しとして、落語会開催の協力ができたことに感謝を込めて御礼申し上げます。

橘 左近さん

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