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飯田文化会館情報誌 toi toi toi!第2号 この地だからこそできる表現を
飯田文化会館情報誌 toi toi toi! これからの文化を担っていく人を紹介するコーナー「Toward the next stage」。
第2号は「この地だからこそできる表現を」と題して、演劇集団 演劇宿を紹介します。

♪夕日さす 恵那のいただき よく見えて はては知られず 澄める西空
印象的なメロディーと共に耳に響くのは五七五七七の短歌。舞台上に映し出される文字映像と合わせて観客の心にスッと飛び込んできます。
令和5年10月28日(土)、泰阜村役場集会室で上演された「翔ぶ!〜金田千鶴の生きた道〜」コンサートバージョン。開演前から多くの観客が来場し、用意された100席はあっという間に満席となりました。
金田千鶴は泰阜村出身のアララギ派の歌人。明治35年に生まれ、結核を患い32歳という若さで亡くなるまでの間に831首の短歌を詠み、小説や散文作品を4篇残しました。
「時代を代表する素晴らしい歌人でありながら、出身地でも彼女を知らない世代が増えている。郷土の豊かな文化の礎を知ってほしいという願いを込めて上演しました」と話すのは脚本・構成・演出を担当したふじたあさやさん。この公演は平成14年に初演した舞台を、より伝わりやすいよう語りと歌を中心にアレンジしたもの。村の合唱グループ「やまどりコーラス」の皆さんや村のお子さんらも共に舞台に立ち、短歌をメロディーに乗せて歌いました。また今回は、同舞台の曲を長年担当してきた作曲家の吉岡しげ美さんに依頼し、劇中歌をピアノバージョンに編曲。「千鶴さんを身近に感じ、次代に歌い継いでほしい」との願いを込めて、舞台上演後、村に譜面が寄贈されました。受け取った横前明村長は「素晴らしい公演に心が震えた。大切に歌い継いでいきたい」と応え、会場には大きな拍手が響きました。

演劇宿のあゆみ
「演劇宿」結成のきっかけは、飯田文化会館で平成5年度から展開された市民構成劇創作事業「かざこし姫となかまたち」です。市民がプロの指導や助けを受けながら2年間の歳月をかけて作り上げた市民ミュージカルで、日本演出者協会の理事長も務めたふじたあさやさんに脚本と演出を依頼。延べ200名が参加し作り上げた舞台は、5公演で約7千人の観客を集めるなど大盛況のうちに幕を下ろしました。その後も参加者の熱気は冷めることなく「活動を継続したい」と願う市民と「地域の演劇の変革を図りたい」という飯田文化会館の思いが重なり「演劇宿」として活動を開始。ふじたさんによる定期的な指導の元、アマチュアながらも質の高い演劇制作が実現し、各地域で上演を重ね好評を博しています。
尊敬すべき先達の生き方に光を
地域に根差した演劇集団として、地元の人物・歴史を題材にした芝居を制作して取り組むことの多い演劇宿。地域との重なりを意識したのは、平成11年上演の「私が私と出会う時」がきっかけでした。作品の舞台は中国残留孤児の日本語学級。満豪開拓団を多く派遣し、帰国者や当事者も多いこの地での公演は緊張感溢れるものでしたが「自分たちの問題をよく取り上げてくれた」という観客からの感想が、地域に劇団があることの意味を考えるきっかけとなりました。その後「地域の先達の生き方に光を当てたい」と制作された初のオリジナル作品が「翔ぶ!〜金田千鶴の物語〜」です。病と闘いながらもひたむきに生きた彼女の生涯を鮮やかに描いたこの作品はメロディーと文字映像の両面から短歌を舞台化するという新たな試みも評価を得て、同劇団の看板作品となりました。

演劇宿のこれから
平成16年には第二弾として、飯田市に生まれ、島崎藤村の小説『破戒』のモデルと言われる大江磯吉の生き様を小説と関連づけた作品「夢・大江磯吉の」を上演。平成23年には三六災害50年シンポジウムおよび大河原床固工群直轄砂防事業竣工式において、三六災害の悲惨さを後世に伝える「演劇的記録 三六災害五十年」も上演しました。
そうした中、立ち上げから同劇団を牽引してきた小澤廣人さんが73歳で他界。令和4年3月、追悼公演として「翔ぶ!~金田千鶴の生きた道〜」が20年ぶりに再演されました。
「これまで劇団を率いてきた小澤さんがいなくなってしまったことで、今後の劇団のありようについて悩む団員もいました。小澤さんがこだわってきた作品の再演を通じて思いを再度認識し、新たなステージへ進むための道標になれば」とふじたさん。公演後、千鶴役を演じた白井明美さんは「千鶴さんの生まれ育った地で、地元の皆さんと一緒にステージに立たせていただけてうれしかったです。千鶴さんも見ていてくれる、と思いながら一生懸命演じました」とコメント。また、母親役の塩澤恵子さんも「千鶴さんの地元ということでお客さんたちが集中して観てくださっているのが伝わってきました」と目を潤ませながら話すなど、それぞれに思いの詰まった公演となりました。
地域に根差した活動で、飯田の地にアマチュア劇団による市民文化を実らせた演劇宿。小・中学生の劇団員も新たに加わり、この地だからこそできる表現を追求しています。結成から28年が経った今も、熱い思いは変わることなく若い世代へと受け継がれているのです。
演劇宿の歴史
平成8(1996)年2月
市民創作ミュージカル「かざこし姫となかまたち」上演
飯田文化会館(7公演)終了後、有志により「演劇宿」として活動開始
平成9(1997)年2月
演劇宿としての初公演「地べたっこさまやぁーい」飯田人形劇場(6公演)
平成10(1998)年2月
「ベッカンコおに」飯田文化会館・東京前進座劇場(5公演)
平成11(1999)年4月
「私が私と出会う時」鼎文化センター(6公演)
平成14(2002)年2月・4月
「翔ぶ!~金田千鶴の物語〜」飯田文化会館・泰阜中学校体育館(5公演)
平成16(2004)年12月
「夢・大江磯吉の」飯田文化会館(4公演)
平成23(2011)年1月
「夏の庭」飯田市鼎文化センター(4公演)
平成23(2011)年6月・12月
「演劇的記録 三六災害五十年」飯田文化会館・大鹿小学校体育館(2公演)
令和4(2022)年3月
「翔ぶ!~金田千鶴の生きた道〜」20年ぶりの再演/飯田文化会館(2公演)
令和5(2023)年7月・10月・11月
「翔ぶ!~金田千鶴の生きた道〜」コンサートバージョン
泰阜村あさぎり館・泰阜村役場・飯田文化会館(3公演)
インタビュー
「芝居が好き」 その思いを原動力に
演劇集団 「演劇宿」 のみなさん
座長:塩澤恵子さん
副座長:木下義美さん
団員:塩澤愛慈(あんじ)さん
団員:塩原智子さん

皆さんが演劇を始めたきっかけは?
木下
私は社会人になってから芝居を始めました。地元のアマチュア劇団に所属していたころ「かざこし姫となかまたち」の企画が立ち上がったんです。オーディションを受け、小澤廣人さんと知り合い、それからずっと一緒に演劇活動を続けてきました。
塩澤恵子
私が初めて演劇と出会ったのは高校生の頃です。卒業後も地元のサークルで芝居を続けていましたが、結婚、子育てもあり離れてしまって。「もう舞台に立つことはないだろうな」と漠然と思っていたときに「かざこし姫と仲間たち」の話を耳にしました。昔からふじたあさやさんのことは知っていたので「あのふじたさんが飯田に来て指導してくださるなんて!そんなこと本当にあるの!?」と衝撃を受けて。子どもたちがある程度大きくなっていたこともあり、家族を説得して参加しました。
塩澤愛慈
私は4年前、小学5年生のときに入りました。最初に妹がやっていて、妹やおばあちゃんが演じているのを見て楽しそうだなと思ったのがきっかけです。コロナ禍もあったので出演はまだ2回ですが、これからもいろいろな役に挑戦して、いずれは主役も演じてみたいです!

座長:塩澤恵子さん
愛慈さんは恵子さんのお孫さんなんですよね。
塩澤恵子
そうです。以前は娘も参加していましたが、結婚してこの子たちを生んで、今は愛慈とその妹が舞台に立っています。
木下さんのお宅も、以前はお子さんとお孫さんが参加していたんですよ。
木下
親子や三世代で参加している家族は多いですね。ほかにも二組くらいいます。

副座長:木下義美さん
塩原
私はもともと裏方からのスタートでした。演劇宿の主宰者だった小澤廣人さんが飯田市民音楽祭協議会、飯田文化協会の事務局長をやっていたときに事務局員を務めていて。
その関係で、小澤さんのやることは全てお手伝いするといった雰囲気になってずっと関わってきました。
皆さん、どんな思いを持って活動を続けてきましたか?
塩原 「かざこし姫と仲間たち」の準備の際は、飯田文化会館を拠点に仕事や学校を終えた皆さんが続々と集まってきて、私たち裏方が作った夕食を食べて稽古に出ていく。そんな熱気のある毎日が続きました。
そのころ、木下さんのお子さんはクーハンに入っているくらい小さくて。
赤ちゃんから六十代の人までが一つの場所に集い、同じ目標に向かってそんなふうに熱く取り組めることってなかなかないですよね。そういう面白さに魅せられてしまったのかもしれません。

団員:塩原智子さん
塩澤恵子
驚いたのは演者と同じくらい、裏方志望の方が多かったこと。
私は舞台に立ちたいタイプなので「なんで?」と最初は理解できませんでした。
でも、それぞれやりたいことが違うから面白いし、その力があるからこそ舞台ができる。そんなことを改めて感じられる機会になりました。
木下
続けてきた理由はそれぞれだろうけど、一つ言えるのはみんな「芝居が好き」ということ。その気持ちが最大の原動力ですよね。
このメンバーも、最初は他人同士で集まってきたけれど、30年一緒にいるとお互いに…なんていうのかな、家族とも違う、特別な仲間になっているのは確かです。
演劇宿では地域を題材にした作品に多く取り組んでいますが、演じる上での違いはありますか?
塩原
今回、千鶴役を演じた白井さんは千鶴さんの親戚筋に当たります。
見る側も演じる側も、思いが入るのは当然のこと。普通では考えられないこんなご縁があるのも地域劇団ならではですよね。
塩澤恵子
千鶴さんの母親役を演じさせてもらう中で「とてもいいお母さんだったよ」と話を聞く機会が結構ありました。
親戚の方や本人をご存じの方がいる前で、いくら演技とはいえ嘘はつけませんよね。そういう意味で、覚悟を持って臨んでいる部分はあります。
演劇宿の今後は?
木下
まずはこれからも長く活動を続けていくこと。そのためにも、仲間はどんどん募集したいです。
塩澤恵子
今、定期的に練習に参加しているメンバーは15人ほどですが、今回の千鶴さんの芝居でも、初演のときにお手伝いしてくれた方や、途中で関わった方たちに声をかけると「じゃあ、また一緒に歌おうかな」と参加していただける。延べ人数でいえば200名くらいが関わってくれているんじゃないかなと思います。
塩原
それぞれの演目に応じて、気楽に参加できるのも演劇宿のいいところですよね。
木下
ふじた先生が、演劇「塾」ではなく「宿」と名付けてくださった真意はそういうところにあるのかなと考えています。
人生のさまざまな局面で、芝居と離れざるを得ないこともあるかもしれませんが、やりたくなったらまた戻ってくればいい。そんなふうに門戸を開いた開放性は常に持ち合わせていたいですね。

団員:塩澤愛慈(あんじ)さん
インタビュー
ふじた あさやさん

ふじた あさや さん 【プロフィール】
1934年東京生まれ。
早稲田大学文学部演劇専修在学中に「富士山麓」を発表。
放送作家を経て、劇作家、演出家として数多くの作品を手がける。
日本演出者協会元理事長。アシデジ(世界児童青少年演劇協会)日本センター会長ほか
平成5年、現代人形劇センターの宇野小四郎さんからの紹介で、飯田文化会館の市民創作ミュージカル「かざこし姫と仲間たち」に携わり、それが飯田の皆さんとの30年以上に及ぶ長いお付き合いの始まりとなりました。
「翔ぶ!~金田千鶴の物語〜」を書き上げたのは平成14年です。「地域に根ざした演劇宿オリジナルの作品を創りたい」という小澤廣人さんの熱意、そして僕自身もちょうど演劇宿のために脚本を書きたいと考えていたタイミングでもありました。
心を打たれたのは千鶴さんの短歌の素晴らしさ。彼女のような優れた歌人がいたことは地域の財産であり、それを皆さんと共有したいと思いながら書き上げたことを覚えています。初演から23年が経ち、千鶴さんのことを知らない世代も増える中で、台本に少し手を加え、理解しやすい形にアレンジしたのが今作のコンサートバージョンです。さらに今回は「住民の皆さんが千鶴さんの歌を口ずさめるような状況を作れないか」との相談を受け、シンガーソングライターの吉岡しげ美さんに劇中歌のピアノバージョンの制作を依頼。結果、歌い継いでいくにふさわしい素晴らしい曲が完成しました。コーラスグループや学校での合唱など折々で歌い継いでもらえたらと思います。
飯田の演劇宿からヒントを得て、私も川崎市で市民劇団を立ち上げました。演劇宿と共に歩んできた歳月は私にとっても、地域における演劇の役割について深く考えさせられた貴重な日々となりました。これからも末永くこの活動が続くことを願っています。

ふじたさん(左)と、劇中の曲を手がけたシンガーソングライター・吉岡しげ美さん

