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飯田文化会館情報誌 toi toi toi!第3号 人と人、地域を結ぶ市民オーケストラ

ページID:0136777 更新日:2026年3月31日更新 印刷ページ表示

飯田文化会館情報誌 toi toi toi! いいだ文化の軌跡を紹介するコーナー「Curtain Call」。

今回は「人と人、地域を結ぶ市民オーケストラ」と題して、飯田交響楽団を紹介します。

飯田交響楽団

オープニングを飾ったのは、ヨハン・シュトラウスI世作曲の「ラデツキー行進曲」。活気あふれる演奏に客席からの手拍子が加わり、飯田交響楽団の第30回定期演奏会は華々しく幕を開けました。
記念すべき節目となった今回の演奏会では、30年間の歴史を振り返る意味も込めて、第1回定期演奏会でも演奏したシベリウス作曲の「交響詩 フィンランディア」やチャイコフスキー作曲の「『くるみ割り人形』より 花のワルツ」など、団の創立当時から折に触れて演奏してきたレパートリーを演奏。また、昨年度まで名古屋フィルハーモニー交響楽団でコンサートマスターを務めていたバイオリニスト・日比浩一さんをコンサートマスターに迎え、リムスキー=コルサコフ作曲の「交響組曲シェヘラザード」では日比さんがバイオリン・ソロのあでやかな音色で聴衆を魅了しました。
団員一人一人が息を合わせ、弦楽器、管楽器、打楽器の音色が重なり合うことで生まれる豊かなサウンドこそオーケストラの魅力。ステージと客席が一体となる温かな雰囲気の中、多彩な響きが会場を満たしました。

日比浩一さん

日比 浩一さん

 

飯田交響楽団のあゆみ

「あなたの街で、あなたの管弦楽を!」。そんなキャッチフレーズと共に、飯田交響楽団の創立を呼びかけるチラシが配布されたのは平成5年春のこと。平成元年から飯田市を会場に始まった「アフィニス夏の音楽祭」(プロオーケストラ団員のための音楽セミナー)が5年目を迎え、「飯田下伊那にも市民オーケストラを」との機運が高まり、広くメンバーの募集を行いました。
この時集まったメンバーは実に80人以上!飯田市内で活動していたアマチュア音楽団体「飯田室内管弦楽団」のメンバーだった矢高仰児さんが初代団長を務め、音楽監督兼指揮者に当時飯田女子短期大学教授の高野之利さんが就任。前例がない中、練習方法などを模索しながら、6カ月後の12月26日に初の定期演奏会を成功させます。以来、年1回のペースで定期演奏会を開催し続け、飯田の音楽シーンを彩ってきました。
定期演奏会ではさまざまな音楽家との共演を果たしています。第6回定期演奏会では地元出身で当時国立音楽大学名誉教授だった小笠原長孝さんとウェーバーの「クラリネット協奏曲」で共演。これをきっかけに、以降地元にゆかりのある音楽家や団体を招き共演しました。アフィニス夏の音楽祭での縁から、日本を代表する指揮者・下野竜也さんやバイオリニスト・四方恭子さんを始め、国内外のプロオーケストラで活躍している音楽家や、飯田下伊那地域を拠点とするピアニスト、声楽家などと共演を重ね、地域で生まれ育った市民オーケストラとして、地域と人々とのつながりを大切に活動してきました。

ピアニストとの共演

 

地域に音楽の種を

同楽団の創立10周年(平成15年)、創立20周年(平成25年)の二度にわたり、記念事業として企画されたのが「『第九』演奏会」です。いずれも合唱団員を公募し200名を超える合唱団と共に1年間かけて練習を重ね、歓喜のメロディーを披露。オーケストラと合唱が奏でる荘厳な音楽に、満員の客席からは「ブラボー!」の声と共に盛大な拍手が送られました。
さらに同楽団が力を注いでいるのは、こどもたちに生の音楽を届ける活動です。「アフィニス夏の音楽祭」には、こどもたちへ贈る特別演奏会「あいうえ音楽館」にセミナー講師・受講生、地元演奏家らと共に出演し、平成21年から始まった「オーケストラと友に音楽祭」には、立ち上げ当初から実行委員として参画。地元アマチュア演奏家のための「音楽クリニック」や、音楽を身近に届ける「そよ風☆コンサート」などに積極的に参加すると共に、企画運営にも携わってきました。また、平成28年から始まった「小学生のための音楽ひろば(現オケ友音楽ひろば)」では、地元の小中学校の音楽教諭や名古屋フィルハーモニー交響楽団と共にプログラムの研究を重ね、こどもたちに音楽と触れ合う機会を提供しています。

第九演奏会の様子

 


飯田交響楽団の歴史

平成5(1993)年6月
飯田交響楽団設立、練習開始

平成5(1993)年11月
伊那谷文化芸術祭に初出演

平成5(1993)年12月
第1回定期演奏会

平成6(1994)年8月
アフィニスセミナー「あいうえ音楽館」に出演

平成8(1996)年2月
市民創作ミュージカル「かざこし姫となかまたち」に出演

平成15(2003)年11月
創立10周年記念「南信州に響け!第九」演奏会

平成21(2009)年5月
オーケストラと友に音楽祭が誕生

平成25(2013)年12月
創立20周年とオーケストラと友に音楽祭5周年を記念した「第九」演奏会

平成28(2016)年5月
オーケストラと友に音楽祭「小学生のための音楽ひろば」に出演

平成30(2018)年9月
創立25周年記念演奏会
下野竜也氏を指揮者に迎えて開催

令和6(2024)年10月
創立30周年記念演奏会
日比浩一氏をコンサートマスターに迎えて開催

 


インタビュー

飯田交響楽団の皆さん 「音を生み出す喜び」を仲間と共に

飯田交響楽団 矢高さん 木下さん 原さん

写真右から
団長  矢高 森人
さん(バイオリン)
事務局 木下 久
さん(チェロ)
団員  原 二三
さん(チェロ)

 

入団のきっかけは?

矢高
私は中学、高校と吹奏楽部に所属し、進学で地元を離れた後も音楽は続けていました。平成11年に地元へ戻ったことを機に入団しました。

木下
私も楽器経験者ですが、大学を卒業して地元へ戻ってからは音楽と離れた生活を送っていました。そんな時、団員募集のチラシを目にして興味を持ちました。


私も木下さんと同じく、飯田にアマチュアオーケストラができるというチラシを見て「これは、ぜひ入りたい!」と設立総会から参加しました。
森人さんのお父さんである矢高仰児さんが初代団長でしたよね。

矢高
さかのぼれば、設立に至るまではいろいろな流れがあったようです。公的な資料はほとんど残っていないのですが、飯田交響楽団の創立に当たり、当時「飯田室内管弦楽団」のメンバーだった父と熊谷洋一さん、コントラバス奏者でプロオーケストラの経験もあった高野之利さんの3名が音楽的な中核を担っていたことは間違いないようです。

飯田交響楽団 団長の矢高さん

団長 矢高森人さん

木下
加えて初代事務局長になったのが、地域のさまざまな文化活動を担っていた小澤廣人さん。当初はその4名が中心でしたね。
6月にスタートした時点で「12月に定期演奏会をやります」と宣言してしまいましたから、とりあえず「6カ月で何曲か完成させなければ」という切羽詰まった雰囲気もありました。私も何年かブランクがあったし不安だったけれど、なんとかやり遂げましたね。事務局長だった小澤さんが練習に出てこない人には電話をかけるなど発破を掛けて成し遂げられた部分は大きかったかもしれません(笑)。


私も含めて、演奏技術に関しては本当に拙い時期がありました。プロ級の腕前から初心者までいろいろな人がいる中で、4名が先導してくれたから、なんとか継続できたんじゃないかなと思います。

木下
運営の形も定まっていない中で、だんだん形になっていったというかね。

飯田交響楽団事務局の木下久さん

事務局 木下久さん


特に高野先生はプロとしての経験もありましたから、オーケストラの楽譜の読み方とか「楽譜をクリアファイルに入れているようではダメ。言われたことはすぐに書きなさい」とか「足を投げ出したようなだらしない格好で指揮者の言葉を聞くのは失礼だ」とか基本的なことを私たちに示してくれて。趣味は趣味ですが、音楽を作っていく心構えみたいなものを教えてもらった気がします。

 

活動を通じて得られたものは?

矢高
得られた…というより、ここはもう「居場所」ですよね。ここに来れば、家族とは違うけれど何十年と同じ時を過ごしてきたメンバーがいる。さらなる上達を目指す人や、ゆっくり取り組みたい人などそれぞれですが、みんなで一つの音を生み出す中で、ここにいるのが楽しいと感じているからこそ続けられるんじゃないでしょうか。

木下
私も30年以上いますから、趣味でもあるし、ここに来て音を出してみんなと合わせることもやっぱり楽しいなっていつも思っています。また、若い方から年配の方までこんな風に同じ目標に向かって取り組めることはなかなかない。楽器をしていれば年は関係ないですからね。


私は75歳で最年長ですが、みんなと同じで、なんていうか「生きがい」ですね。技術はまだ拙いですけど、みんなと音を合わせることで、音楽を作っているなと感じられる時が一番楽しいです。

飯田交響楽団 団員の原二三さん

団員 原 二三さん

 

今後、目指すことは?

矢高
話は少し戻りますが、父が家業を継ぐために飯田へ戻ったのが昭和30年のこと。そのときすでにチェロを始めていて、地元で楽器を演奏する方々と交流し「飯田室内管弦楽団」を結成しました。もちろんそれ以前から管弦楽に取り組んできた方々もいたと思いますが、みなさん共通して「いつかはオーケストラを」という願いはあったはず。そんな70年以上も前の「源流の一滴」が広がり、実って結成されたのが飯田交響楽団であり、その思いを引き継いでいかなければいけないという気持ちは私だけでなく皆さんも持っているはずです。

木下
確かに30年以上続いてきたこの歴史を絶やしたくないし、そのためにも新しい風を入れたいですね。演奏をいろいろな人に聴いてもらい、どうしたら団員が増えるのかも考えていかなくてはいけない。団員が倍ぐらいになればうれしいですし、特に弦楽器が増えるといいなと思います。

矢高
今後、新文化会館の建設やリニアの開通など新たな時代を迎えるに当たり、不安もあるけれど夢もある。飯田下伊那地域唯一のオーケストラとしてまずはそこまで歴史をつないでいきたいです。


あとは、地域のオーケストラですから、地域の人たちから「あのオーケストラ面白いな」「曲はわからないけれど心に残るな」と感じてもらえるような活動ができたら。一般的にクラシックファンは、地域の1パーセントと言われますが、今はクラシックだからと縛られず、広い視野で音楽を楽しめる人たちが増えてきたんじゃないかな。そういう人たちにアピールができるようなオーケストラになれたらと思います。

取材にご協力いただいた団員の皆さん

取材にご協力いただいた団員の皆さん


インタビュー

バイオリニスト
元 名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター

日比 浩一さん

日比 浩一さん
日比 浩一 さん【プロフィール】
京都市立芸術大学音楽学部卒業、同時に音楽学部賞を受賞。
神戸室内合奏団(現・神戸市室内管弦楽団)ソロバイオリン奏者、 関西フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター、名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターを歴任し、2024年4月より大阪音楽大学教授。大阪樟蔭女子大学客員教授、名古屋芸術大学非常勤講師。

初めて飯田を訪れたのは平成7年の「アフィニス夏の音楽祭」です。各地から集まったプレーヤーと合奏したり、レッスンを受けたり、ホテルのロビーでお酒を飲みながらセッションをしたりと、楽しい時を過ごした経験は自分の糧になりました。また街の雰囲気やレッスンを支えてくれる地域の方々、お客さんの温かさも心に残っています。飯田文化会館から見える山々の景色も好きですし、食べ物もおいしいし、いい飲み屋さんも多い。その感動は何度訪れても変わることはありません。
その後、20年間続いた「アフィニス夏の音楽祭」が「オーケストラと友に音楽祭」へと移行し、その根幹を名古屋フィルハーモニー交響楽団が担う結果になったことで、私は幸運なことに楽しい思いを継続することができました。自分が得た学びを若い人に伝え、恩返ししなければと考えていたこともあり、コンサートマスターとしてそのような機会をくださった飯田交響楽団の団長や団員の皆さんに心から感謝しています。
飯田交響楽団のメンバーは向上心があり、熱心です。また人口から考えても、この規模のオーケストラがあるのはレベルが高い証。さらにすごいと思うのは楽器というアナログなものに真摯に向き合っている中高生が多いことです。クラシック業界では全国的に高齢化が問題視されていますが、この街ではそんな心配もないんじゃないかな。今後、意思を持った若い人たちに飯田交響楽団が築いてきた良いものが受け継がれ、発展することを願っています。

 

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