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飯田文化会館情報誌 toi toi toi!第2号 芸術としての価値を届けたい 和太鼓で世界中のつながりを創出
飯田文化会館情報誌 toi toi toi! 外の視点から見た飯田の文化を紹介するコーナー「A! IDA わたしの視点」。
第2号は飯田市を拠点に世界各地で和太鼓の演奏やワークショップを開催している「和太鼓TOKARA」のリーダー、アート・リーさんに、飯田市での活動や文化について感じること、未来への想いなどを聞きました。

アート・リーさん(写真中央)がリーダーを務める和太鼓TOKARA
プロの和太鼓奏者として活動を始めた翌年の2005年から、外国の方も和太鼓をより深く学べるワークショップ「伊那谷和太鼓コース」を開催されていますが、どういう思いで始められましたか?
当時私が感じていたのは、世界で和太鼓をやっている人たちが深く学べる機会があまりなかったということ。
英語が話せる私なら、外国の方でも和太鼓を深く学べるチャンスを作れと日本語で1週間指導しましたが、その間は私の指導だけではなく、日本各地の和太鼓チームを訪問して指導を受けました。
それから毎年開催しています(コロナ禍は除く)。
今まで参加された方は、どのような反応ですか?
「指導がわかりやすくて、難しい曲も演奏できるようになってありがたい」といった声をいただいています。
期間中の宿泊先として阿智村の旅館の方にも協力いただいていますが、参加者の皆さんにとっては宿泊先での滞在も楽しみの一つになっているようです。
また、2回目からは仲間も一緒に飯田に連れて来て再会するなど、集いの場になっていたり、世界中で参加者同士の交流の場ができていたりするようです。
今まで「伊那谷和太鼓コース」や、中級者以上からプロを対象としたハードなメニューの「ブートキャンプ」には、外国から千名ほどの人が来ていますが、和太鼓に興味があって、もっと勉強したい、もっと深く知りたいと思って飯田に来てくれることに、私もありがたく感じています。
2006年から自主企画のイベント「幸い下伊那和太鼓フェスティバル」(以下、幸い下伊那)が始まりましたが、そのきっかけは?
当時私は、和太鼓は伝統芸能としても日本の宝である一方で、芸術としてまだ理解されていないことを感じていました。
和太鼓は無料で祭りなどで見たり聞いたりするもの、というような。それが悪いということではなく、私は芸術として観てもらえるチャンスを作りたくて。
外国では和太鼓は芸術として受け入れられていて、国によっては手厚く助成金がもらえるところもあります。
当時飯田には世界的な演奏者が来れるようなシステムがなかったので、まずそういう人たちが来れる機会を作ろうと思いました。
私には世界的な和太鼓グループとのつながりがあったので、世界中にいる和太鼓奏者の演奏を観てもらえる場所として「幸い下伊那」を始めました。
人気グループは1年以上先まで予定が入っているなか飯田市のホールは6カ月前からでないと予約ができないというハードルはありましたが、お互いの信頼関係の上で交渉して、実現できたステージが実はたくさんありました。
「幸い下伊那」をはじめとする飯田での公演では、お客さんはどのような反応ですか?
初めて和太鼓を「芸術」として感じられる方が多いみたいです。
毎回足を運んでくださる方もいて、私も舞台から見て「あ、今日も来てくれている」とわかります。何回か来られるうちに一緒に手拍子をするなど演奏を覚えてくださって。
そういう方がたくさんいるので「また来てくれてありがとう」と視線を合わせながらコミュニケーションをとっています。
演奏を通して、お客さんとの関係ができているんですね。
そうですね。それと、「幸い下伊那」は「伊那谷和太鼓コース」の最終日に開催するのですが、その日の午前は「幸いフリンジ祭」としてアマチュアの和太鼓奏者やグループの方々が演奏するイベントも開催して、「伊那谷和太鼓コース」の参加者はそこで成果発表を行います。
「幸いフリンジ祭」は、和太鼓を通してアマチュアで活動する方々の交流の場を作りたいと思い、2008年から始めました。フリンジ祭、ワークショップ、プロの和太鼓グループの演奏を楽しむスーパーショーなど、和太鼓を通して大きい祭りを開催したかったんです。
「幸い下伊那」でステージを楽しむ機会とともに、生徒さんたちの成果を披露する機会を提供されているんですね。外国で開催されているワークショップについても教えてください。
ワークショップは、アメリカ、ヨーロッパ、アジアやオーストラリアなど、世界30カ国ほどの国に参加者がいて、ほとんどの国に指導に行ったことがあります。
それだけ、世界に和太鼓がある、ということです。
飯田市を拠点に年に数カ月は外国で活動されていますが、飯田は外から見たとき、どんなところが特徴だと感じますか?
飯田市は、長野県の中でも5番目に大きい市とのことですが、まるで「村」みたい。県内のほかの市と比べると、時間の流れがゆっくりに感じます。
大きい市になると、中心部は商業的な施設が集まり、郊外は農業の風景が多く見られるなど、分かれているように感じますが、飯田は産業や農業など、全部が混ざり合っているように感じます。
また、外国の参加者から、ある印象的なことを聞きました。「日本の中でTOKARAがなぜ飯田にいるかがわかった気がする。飯田の雰囲気や空気感がとても美しい」と。実際に訪れてみて、美しいまちと感じている方が多くいるようです。
最後になりますが、これから和太鼓奏者アート・リーとして、TOKARAとして飯田市でやってみたいことや展望などを教えてください。
ぜひ、芸術のまちを目指していってほしいです。
今も、人形劇フェスタやオケ友が毎年開催されていることはすごく良いことだと思います。まちとしてもっといろいろな芸術に対してウエルカムな感じになっていけたら良いなと思います。
リニアの駅ができることも特別なことで、飯田市にとっては大きなチャンス。世界的な演奏から地元の方々の演奏、地芝居のような伝統的なものなど、幅広くいろいろなチョイスができて、いろいろなおいしい食べ物や芸術を味わい楽しみに来てもらえるまち。私は、そういう世界的なまちを一緒に目指していきたいです。
同時に、今のようにゆっくりと生活できる場所であってほしいとも思います。
今の良さも残しつつ、もっと世界のいろいろなものが入ってきやすくなって、楽しめる。「飯田ならなんでもできる」というまちになっていってほしいなと感じます。

アート・リー さん【プロフィール】
1975年、スウェーデン生まれ、アメリカ・カリフォルニア州出身。
18歳で聞いた和太鼓に魅了され、アメリカで和太鼓を始める。
その後日本の和太鼓グループ・鬼太鼓座の日本ツアーに1年参加し、帰国。
大学を卒業後、1998年阿智村に来日。
AETをしながら阿智村で地元和太鼓グループの指導も行い、御諏訪太鼓宗家・小口大八氏を迎えたコンサートなどを開催するなど活動を続け、2001年から飯田市在住。
2004年、和太鼓の生徒とともに「和太鼓TOKARA」を結成。
2005年、和太鼓界で最も権威ある『東京国際和太鼓コンテスト・大太鼓部門』において最優秀賞を受賞。
現在も飯田市を拠点に世界各国で公演やワークショップを精力的に行っている。

