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飯田文化会館情報誌 toi toi toi!第4号 地域に根ざした物語を多彩な芸術表現で 南信州から始まった表現者としての第二章
飯田文化会館情報誌 toi toi toi! さまざまな視点から見た飯田の文化を紹介するコーナー「A! IDA わたしの視点」。
今回は「南信州アートラボ」の主宰者として地域の魅力を生かした舞台制作に挑む野口千英子さんです。
俳優、モデルとしてキャリアを重ねたのち松川町へ移住。一度は表現の世界から離れたものの、情熱を原動力に再び舞台と向き合い始めた野口さんに、南信州の文化や表現活動の可能性について聞きました。

野口さんが手がけた地域を題材にした舞台「園原のははき木」の1場面
移住のきっかけは?
平成20年、結婚を機に夫の実家がある松川町へ移住しました。
夫とは東京で出会ったので「結婚したら東京で一緒に暮らすんだろうな」と漠然と考えていました。
ところが、交際中に「長野へ戻る」という話が出て。一緒に長野へ行けば、それまでのモデルや俳優の仕事を続けることは難しくなるだろうと思い、2年ほど迷いましたが、一緒に生きていくことを選び、引っ越してきました。
暮らしはどう変化しましたか?
友達もおらず、見知らぬ土地に独りという孤独感はありました。
車の運転免許もなかったので、まず自動車教習所に通って運転の練習から始めました。
夫の実家が商売をしていたこともあり、未経験に近かったパソコンの操作も覚えて、事務や経理を習いました。とにかく仕事をこなすことが最優先でした。
移住後、すぐに演劇活動を始めたわけではなかったんですね。
毎日を過ごすのに必死でしたし、正直、この地で演劇活動ができるとは思っていませんでした。でも、どこかに「表現したい」という思いはあったんでしょうね。仕事に慣れた頃、友達づくりも兼ねて高森町の和太鼓グループ「心鼓毬 彩」に加入しました。仲間と地域のお祭りなどのイベントに出演するうちに、自分の居場所が少しずつできていく感覚が生まれました。

再び舞台に立ちたいという思いが動き出したのは、どんな瞬間でしたか?
きっかけはコロナ禍です。自宅で過ごす時間が増え、何気なく見ていた人気テレビドラマで、かつて夫婦役として舞台で共演したことがある俳優が主役を務めていました。今や日本を代表する実力派俳優として第一線で活躍する彼の姿に刺激を受け「私もこのまま終わるわけにはいかない」と思ったんです。心の奥にしまっていた思いが、再び動き出した瞬間でした。
その思いを現実の一歩に変えたきっかけは?
ちょうどその頃、オール飯田ロケの映画「いつくしみふかき」に出演していた俳優・小林英樹さんと出会ったんです。食事会で意気投合して、小林さんが演出する「劇団 雅」の舞台を見にいき「飯田にもこんな熱量で表現活動をしている人たちがいるんだ」と心打たれました。その後、小林さんが立ち上げた演劇ユニット「陽のあたる教室」への加入を決めました。
そこから活動が広がっていったんですね。
南信州の表現者が集まる「おぶすなアートプロジェクト」への参加が次の縁につながりました。そこで出会った音楽家の横前恭子さんに誘われ、中川村のカフェでのライブで共演することになり、恭子さんの歌に合わせ、中川村と松川町にちなんだ物語を作って朗読しました。その客席にいたのが、やはり「おぶすなアートプロジェクト」でつながった阿智村在住の声楽家・井原芙美子さんです。「野口さんって脚本もできるんだね」と声を掛けてくださり、阿智村の園原地区を舞台にした作品制作に携わることとなりました。
舞台『園原のははき木~源氏物語 帚木~空蝉の巻』では、脚色と演出も手掛けていますね。
紫式部を主人公にした大河ドラマの放映を翌年に控え、ゆかりのある「ははき木」を題材にした舞台制作の話が阿智村で動き始めていました。実行委員会と相談の末「ここでしかできない舞台にしよう」と、演劇、ダンス、書道など異分野を融合させた舞台を作り上げたんです。この経験を通して、異なる文化の調和により唯一無二の世界が生まれること、その素晴らしさを実感しました。
地域に根ざした作品づくりを続ける背景にはどのような思いがありますか。
園原の舞台制作を通して「この場所だからこそ生まれる表現」があると実感したんです。土地に眠るストーリーを掘り起こし、物語として立ち上げていく感覚を一度きりで終わらせたくなくて。その実現のために設立したのが「南信州アートラボ」です。
その最初の取り組みが、舞台校舎で上演された舞台ですね。
飯田市座光寺地区にある麻績の里・舞台校舎の150周年記念企画の公募を新聞で目にして即座に手を挙げました。劇場以外の場所で舞台を上演することに以前から関心があったんです。ゆかりのある作品を作るため、校舎の歴史や麻績神社、元善光寺についても学びました。飯田で長年桜を研究され続けてきた桜守・森田和市さんからも話を伺い、舞台校舎の隣にある舞台桜が、地域にとって大切な存在であることを知ったんです。こうして生まれたのが演劇「さくらと舞台桜」です。この時は飯田での活動のきっかけとなった小林さんに脚本・演出をお願いし、地域の方向けに舞台出演オーデションも兼ねたワークショップと作品創作を実施しました。翌年(令和7年)には「地産地Show」という舞台の「作品」だけでなく、地元産山ぶどうワインなどの提供も交えた「場」として、一連の企画にしたことにより新たな手応えを感じられ、来場者にも好評でした。

改めて、南信州の文化についてどう思われますか。
南信州には祭りや獅子舞、伝承、自然など、地域の「宝物」がたくさんあります。関わるほどに文化の豊かさを感じ、知れば知るほど好きになる。でも地元の方にとっては当たり前すぎて、気が付きにくいのかもしれませんね。だからこそ外からの目で受け取り、表現として立ち上げていくことが、私なりの恩返しだと思っています。
今後、挑戦したいことは。
一つは令和9年上演予定の舞台創作プログラム「Discover8(ディスカバーエイト)」です。地域を巡り、暮らしや祭りなどを体感しながら舞台を作る年間プログラムで、私が長年やりたかったこととも重なっています。だからこそ、そのプロセスにしっかり関わっていきたいと考えています。
もう一つは、麻績の舞台校舎での作品を、地域の皆さんが輝ける場へと進化させ、この地の新たな楽しみの場と思ってもらえるように頑張りたいです。さらに、芸術、温泉、祭りや食などの地域資源と結びつけ、この地の個性が重なり合って生まれる特別な体験として提案していきたい。 多くの人を引きつける魅力と可能性が、この地にはあると思っています。

野口 千英子 さん【プロフィール】
地域文化プロデューサー·俳優·表現ワークショップファシリテーター。
横浜市出身、松川町を経て現在は飯島町在住。
玉川大学で芸術、演劇を学び、卒業後は舞台を中心にCM、ドラマなど多方面で活躍。鴻上尚史作・演出「コーマ・エンジェル」をはじめ数々の舞台に出演し、確かな演技力で評価を重ねる。
平成12年「東京きものの女王」に選出。
平成20年、結婚を機に南信州へ移住。和太鼓など地域文化との出会いを経て、令和3年以降、飯田を拠点とする舞台活動に本格的に参画。
演劇、ダンス、書など異分野を融合させた創作舞台作品「園原のははき木〜源氏物語 帚木〜空蝉の巻」では脚色、演出も担当。
令和6年から「南信州アートラボ」主宰。土地に根ざした表現を通じ、人と人、地域と物語をつなぐ活動を続けている。
松川町地域展開(部活動)「松川CLUB」にて表現ワークショップも担当。

