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黒田人形について
黒田人形の発祥
黒田では元禄年間(1688年~1703年)に、正命庵にいた正嶽真海という僧侶による「隣家の壮年に義太夫三味線人形の芸を教え、衆人集まってこれを習い、道具も追い追い買い求め、自然と村中携わる様になり、産土の境内に六間に三間半の舞台を新築して、例祭に御神楽の替わりとして人形を以て興行し祭祀いたす事に同意し…」との明神講の文書記録があり、すでに人形芝居が行われていたことがわかる。
元禄年間(1688年~1703年)から享保年間(1716年~1735年)にかけて全盛を誇った人形芝居も、新しく起こってきた歌舞伎に圧されて次第に衰え、人形遣いは淡路や大阪から地方へ広がっていった。
その流れで淡路や大阪からやって来た人形遣いが黒田に住みついて指導したことで、芸が本格的になった。
その人形遣い(吉田重三郎、桐竹門三、吉田亀造)の墓は下黒田の太念寺にある。
黒田人形は、伊那谷で最多の100点を超えるかしらを保有している。
とくに元文二年(1737年)山城大野村(現在の京都府木津川市加茂町大野)竹本松穂作という老け女形のかしらは、全国で最も古い銘をもつかしらといわれている。
黒田人形の歴史
元禄年間(1688~1703年) 黒田の正命庵にいた正嶽真海という僧侶が人形芝居を教えていたという明神講記録があり、300年以上の歴史をもつ。
宝暦年間(1751~1764年) 六間×三間半の舞台を下黒田の神社境内に新築。
寛政年間(1789~1800年) 淡路から吉田重三郎が来た。氏は「道薫坊伝記」をも持ってくるし感嘆させる芸もあり、懇願されて定住し指導。
天保3年(1832年) 桐竹門三と吉田亀造が大阪から黒田へ来て定住し指導。
天保10年(1839年) 築後90年を経た旧舞台を取り壊す。
天保11年(1840年) 八間×四間の総2階建ての現舞台を建築。後の昭和49年(1974年)国の重要民俗資料として重要有形民俗文化財に指定される。
天保12年(1841年) 神社祭礼に芝居見世物を禁ずる条項のある「天保の改革令」が発令。
天保13年(1842年) 八月 黒田の人々は禁止令の下を隠れて人形による祭礼を行い、飯田藩の手入れを受け城内に引き立てられ、以後は人形禁止をきつく受けた。
弘化2年(1845年) 九月 黒田人形の禁が解かれ以前にも増して盛大になった。
明治13年(1880年) 文楽座にいた吉田金吾が宮田村に定住し、毎年1月には黒田に1ヶ月滞在して指導し、黒田人形として初めての興行を自ら座頭となって黒田人形を引き連れ、飯田の松尾町の琴水亭という寄席で十日間興行し、連日満員の盛況であった。人形芝居や人形彫刻にも優れ、彼の作になるかしらが多い。
昭和28年(1953年)黒田人形保存会を結成。
昭和48年(1973年)高陵中学校に黒田人形部が誕生。
昭和49年(1974年)「下黒田の舞台」が国の重要民俗資料として重要有形民俗文化財に指定を受けた。日本最古・最大の人形芝居専用の舞台。
昭和50年(1975年)「伊那の人形芝居(黒田、今田、早稲田)」として飯田下伊那の三つの人形芝居がひとまとめにして国の無形民俗文化財に選択された。
平成11年(1999年)下黒田諏訪神社境内隣接地に「黒田人形浄瑠璃伝承館」が新築される。
国選択無形民俗文化財である伊那の人形芝居の研修や後継者の育成、また伊那谷四座(黒田、今田、早稲田、古田)での交流・発表の場とし、さらに地域密着型の施設となっている。
黒田人形浄瑠璃伝承館の詳細はこちらをクリック
このように、先人たちが度重なる危機を乗り切って今日まで永々と継承してきた礎があって、今ここに全国にも誇り得る郷土伝統芸能「黒田人形」の現在がある。
黒田人形の豆知識
(1)「黒田人形」は、一つの人形を三人で動かす「三人遣い」です。
三人遣いは人形芝居の全盛期であった享保十九年(一七三四)に、竹本座ではじめて行われたと伝えられています。
・主遣い(しん)
主遣いは人形の衣裳の背中にある穴から左手を入れて、首のしたに続く胴串を持って人形の姿勢をつくります。この胴串へは人形の重量の大部分がかかってくるので、鎧武者や大きな人形の場合は、支えるだけでもかなり重く大変です。手が疲れると人形の姿勢が崩れやすくなりますが、そこをこらえて姿勢を保たなければなりません。その上で人形の上半身と頭の動き一切を左手で操り、右手は人形の衣裳の右袖の中へ入れて右手を遣い、ときには、息竹という竹を握って人形が大きく肩で息をする表現もします。文字通り主遣いは三人のうちの主役となっています。
・左遣い(さし)
右手で人形の左手を操ります。この場合、主遣いや足遣いの邪魔にならないよう、左手の肘に長い棒(差金という)が付いていて、その棒を右手に持って遣います。ちょっとしたリモートコントロールです。
・足遣い(あし)
人形のかかとの後に取り付けてある逆L字型金具(足金)を持って足を動かします。但し、女の人形は特別なもの以外に足はありません。この場合、足遣いは長い衣裳の裾を持って足の動きを表現します。足遣いは陰の役者でありながら、実は人形を活かしていく重要な役割を担っています。このため、役によっては足遣いに一番熟練の遣い手がまわる場合もあります。
(2)黒衣(くろこ)
黒田人形の遣い手は全身を黒い衣裳で隠します。一方、主遣いのみが顔を出すのを出遣いといい、今の文楽で見られます。
(3)人形の動き
「手」や「型」といって定めた動かし方があります。歩き方も男(たち)と女(がた)では違った決まりがあります。
飯田市文化財保護活用課のページもチェックしてみてください。
資料提供:黒田人形保存会/飯田市美術博物館

