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市長エッセー(市長室から)その11~

ページID:0179440 印刷用ページを表示する 掲載日:2022年5月1日更新

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます

16 さしすせそ(広報いいだ令和4年5月号より)

 副市長時代も含め、職員の皆さんに仕事上の「勘所」をどうお伝えするか腐心してきましたが、最近は、「さしすせそ」でお伝えすることにしています。
 「さ」、些事(さじ)をおろそかにしない。大きな不祥事も、大きな成果も、小さなことの積み重ねの先にある。
 「し」、知る。自分の担当する仕事のことをしっかり勉強し、知識不足によって市民の皆さんにご迷惑をかけないように。
 「す」、素直。上司・同僚からのアドバイスや市民の皆さんからの声に素直に耳を傾けることができる人は、周りから愛され、すくすくと伸びていく。
 「せ」、整理、清掃。身の回りをきれいにしておくことが、気持ちを整え、効率的な仕事につながる。
 「そ」、想像力を働かせる。ほかで起きたことも、上司の言動も、「自分だったら」と考えてみる。相手の立場や気持ちをおもんばかる。
 ご推察のとおり、「料理のさしすせそ」がヒントになっていますが(私の名前がサトウだけに⁈)、それなりにポイントが押さえられているのではないかと自画自賛しております。
 ただ、「せ」については、秘書課の職員から「どの口が言っているのか」という指摘を受けかねない机の上となっており、忸怩(じくじ)たるものがあります。
 今年も、自戒を込めながら、新規採用職員の皆さんにお話ししました。

15 昭和な風景(広報いいだ令和4年4月号より)

 今年になってから、毎週日曜午後8時に、家族揃ってテレビの前に集まっています。そう、NHK大河ドラマです。
 かれこれ10年以上大河ドラマを観ずに過ごしていましたが、今年の「鎌倉殿の13人」は、息子たちに引っ張られる形で、毎週面白く観ています。
 思えば、自分も子どもの頃、いくつかの大河ドラマを熱心に観ていました。「黄金の日日」で川谷拓三さんがのこぎり引きの刑にあうシーンとか、「山河燃ゆ」で西田敏行さんが富士山を見て感涙にむせぶシーンなど、強烈に印象に残っています(あとは、大村益次郎役の中村梅之助さんがうまそうに湯豆腐を食べるシーン。いずれも物語の本筋とは外れていますね(笑))。
 録画ができるようになってから、決まった時間に家族がテレビの前に揃うということがめっきり少なくなりました。
 大好きな脚本家である三谷幸喜さんがどんな物語を紡いでいくのか楽しみなのはもちろんですが、今年1年、家族みんなで、同じ時間、同じ空間で、同じ物語を辿っていくことになるのが、何とも好もしく、楽しみに感じています。
 息子たちの脳裏には、どんなシーンが残っていくのでしょうか。家族揃ってテレビを観たことを、自分が親となったときに思い出すでしょうか。この風景をテレビの側から撮っておきたい、そんな思いにかられる日曜日の夜です。

14 サウイフモノニ(広報いいだ令和4年3月号より)

 小5の次男との「寝る前読書」で、年末から年明けにかけて読んでいたのが「ドリトル先生航海記」(福岡伸一訳)。本編を夢中になって読んだのはもちろんですが、次男には読み聞かせなかった「訳者あとがき」を、なるほどと思って読みました。
 訳者は、ドリトル先生の好ましさの本質を「公平さ」だと説きます。ドリトル先生は、相棒のスタビンズ少年を子どもだからと下に見ることなく、文化の違う民族にも、そして動物たちにも、分け隔てなく接します。このドリトル先生の公平さが、誰もがこの物語に惹かれる大きな理由となっている、というのは実に納得がいきました。
 それから、あとがきを読むまで、不覚にも「ドリトル」が「do little(ほとんど何もしない)」であることに気付いていませんでした。ドリトル先生は、何もしないどころか、難破して漂着したクモサル島で担ぎ上げられて王様になると、道路や下水道などのインフラ整備から子どもの病気の治療まで、昼夜分かたず、東奔西走、全力を尽くします。
 この感じ、どこかで・・・と思ったら、「雨ニモ負ケズ」でした。ドリトル先生の軽やかでどこかとぼけた感じと宮沢賢治とは、似ても似つかないように思いますが、私は二人に通ずるものを感じ、そして、1ミリでも近づきたいと思ったことでした。

13 ぴったりの言葉(広報いいだ令和4年2月号より)

 正月2日、中三の長男が書き初めに選んだ文字は、「緊褌一番(きんこんいちばん)」。恥ずかしながら、私にとっては初めて見た四文字熟語でした。
 調べてみると、「気を引き締め、十分な覚悟を持って事に当たること」。どうやって見つけてきたのか、確かに高校受験を控えた彼にはぴったりの言葉です。
 お父さんにもぴったり、と本人は言いませんでしたが、私としては、いい言葉を教えてもらったと啓示のようなものを感じたことでした。
 まさに今年は、「コロナ禍を乗り越え、『日常』を取り戻す」という難しい課題に取り組む年。信州大学の新学部誘致、文化会館の建て替えの議論、南信運転免許センターの設置などなど、大きな課題も目白押しで、それこそ、褌(ふんどし)を締めてかからないとなりません。
 勉強机に向かうのを逃避するかのように時間をかけて何度も書き直す長男を横目に、一人そんなことを考えておりました。
 仕事初め式で話そうとも考えましたが、私と同じように漢字を思い浮かべられない職員が多いだろうと推測して、こちらで書くことにしました。
 この文章が皆さんの目に触れる頃、新型コロナウイルスの感染状況がどうなっているか心配ですが、しっかり気を引き締めて臨みたいと思います。

12 思いつないで(広報いいだ令和3年12月号より)

 10月1日に信州大学の学長に就任された中村宗一郎さんが新学部の創設を検討すると言及されたことを承けて、「ぜひ飯田に!」と名乗りを上げさせていただきました。
 4年制大学(学部)の設置は、当地域の悲願。思い出されるのは、宮澤芳重(みやざわよしじゅう)さんのことです。
 松川町に生まれた芳重さんは、経済的事情で進学を断念しますが、学問への思い捨てがたく、家出同然で上京。職を転々としながら勉学に励む傍ら、「郷立(ごうりつ) 飯田大学」を構想し、生活費をギリギリまで切り詰めて、設立のための寄付を重ねます。将来の大学図書館の蔵書にと飯田図書館(当時)に書籍を贈り、飯田大学に併設する天文台につなげるために飯田高校に天文台をと訴え、自らも篤志を拠出して飯田高校の初代天文台創設に貢献しました。
 その後、芳重さんの進言を受けて「飯田大学準備委員会」が設立され、「飯田大学」創設に向けた検討が行われましたが、その実現を見ないまま、芳重さんは昭和45年、72歳でこの世を去られました。
「郷里に家から通える大学を」という芳重さんの思いをしっかりと受け継ぐ―没後45周年を記念して平成27年に製作されたDVD「いま宮澤芳重」を改めて拝見しながら、心に誓ったことでした。
◉文中に紹介したDVDは、飯田市立図書館で借りられます。

11 春草のごとく(広報いいだ令和3年11月号より)

 菱田春草。子どもの頃から、「春草の落ち葉の秋よ」(下伊那の歌)と歌って育った私が、その本当の凄さを知るのは、恥ずかしながらずっと後のことです。
 度々病を患い、視力を失いそうになるという厳しい状況の中で、4点の重要文化財をはじめとする名画を残したその精神力と画力には驚嘆するばかりですが、私が惹かれるのは、流行の西洋技法に流されるのでもなく、従来の日本画の在り方に拘泥するのでもない、その両者の融合・調和を目指して新しい日本画の在り方を探求しようとしたその生き様です。
 というのも、この地域の将来を考えるにつけ、春草の生き様こそがお手本になるのではないかと思えてくるからです。
 リニア開通を待つまでもなく、世の中はどんどん便利になっていきますが、その一方で、この地域の良いところ、「らしさ」が失われていくことを心配する向きもあります。リニアやICTなどの新しい技術の良いところは取り入れながらも、都会のコピーのようなまちにしてしまうのではなく、この地域の自然風土、歴史文化を残した「暮らし豊かなまち」を創っていきたい、と思います。
 元々、東西文化の融合点として貴重な民俗文化を残すこの飯田下伊那に、リニアという最新の文明をどう融合させていくか。この難しい課題に春草のごとく取り組んでいきたいものです。
◉菱田春草没後110年特別展は、11月7日まで飯田市美術博物館にて。