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市長エッセー(市長室から)その11~その20

ページID:0179440 更新日:2022年9月1日更新 印刷ページ表示

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます

20 今そこにある危機(広報いいだ令和4年9月号から)

 タイトルからロシアのウクライナ侵攻や安倍元総理の狙撃事件を思い浮かべた方もいるかもしれませんが、ここで書きたいのはそれらではありません。
 7月中旬からの急激な「第7波」の感染拡大、感染警戒レベルの引き上げにより、人形劇フェスタも飯田りんごんも中止を余儀なくされました。
 それぞれの実行委員会で「レベル5になったら中止」と予め決めていたこととはいえ、開催に向けて準備をしていた関係者の皆さんにとっては断腸の思いであり、楽しみにしていた市民の皆さんも残念に思ったことでしょう。
 一生懸命準備してきたことが、コロナ感染拡大という外的要因で中止や延期になる、これが繰り返されたこの3年間に、どれだけ多くの「がっかり」があり、どれだけ多くの人がモチベーション(やる気)を奪われたことか。「もういいや」という思いがまん延してもおかしくありません。
 コロナ禍の活動自粛の中で地域社会が死んでしまうのではないか、そんな危機感を覚えています。
 行事やお祭りをやるかやらないか、市民の皆さんの中には、慎重派・積極派どちらもいらっしゃると思いますが、関係者の皆さんが本当に悩みながら苦渋の決断をしておられることに思いを馳せ、その結果については温かく受け止めていただければと思います(やるにせよ、やらないにせよ)。
 私の危機感が杞憂に終わることを祈りつつ。

19 夢は正夢(広報いいだ令和4年8月号から)

 先日、野球の「侍ジャパン」監督、栗山英樹さんが子どもたちの野球指導に来てくださいました。
 ある市職員が前職(記者)を辞めるに当たりご挨拶に伺った際、「僕にできることがあったら何でも言って。」とおっしゃった、普通だったら社交辞令であってもおかしくないその約束を誠実に守って、忙しいスケジュールを縫って遠路駆け付けてくださったのです。そのこと一つ取ってもお人柄が分かりますが、お話ししていても偉そうなところが少しも無く、やはり超一流という方は違うなと思いました。
 指導中、盛んに「自分で考えて」「自分が一番しっくりするやり方を自分で見つけて」と強調しておられましたが、ちょっとした一言で子どもたちの動きが一変したのを目の当たりにして、指導者としての力量に瞠目(どうもく)いたしました。
 参加したすべての子どもにくださったサインに書かれていた言葉が「夢は正夢」。
 飯田の子どもたちへメッセージを、とお願いしたところ、「人はどんなに失敗をしても、成功するまで頑張ることができれば夢は叶います。信じています。全力でいきましょう」「この素晴らしい自然のような純粋な思いがあれば、夢は叶います。ともに全力で走っていきましょう」と書いてくださいました。
 栗山さんと夢のような時間を過ごした子どもたちが、自分の夢を正夢にすることを信じています。

18 恩送り(広報いいだ令和4年7月号から)

 この地域の子どもたちに奨学金を貸与してくださっている「龍峡育英会」は、長年にわたり綿半グループ様からのご厚志で運営されています。
 先日も、代表者の方がご厚志を届けにお見えくださったのですが、その際に、改めて、育英会の謂われをお伺いしました。
 綿半の第十四代当主の方は、ちょうど家業が苦しい時代に育ち、進学できず丁稚奉公の少年時代を過ごしたのだそうです。その後、ご当主になられ、家業を立て直した彼は、地域の子どもが自分と同じ思いをしなくて済むようにと、「龍峡育英会」を設立されたとのことでした。
 私は、そのお話をお聴きして、「恩送り」という言葉を思い出しました。
 自分が受けた恩を、直接その人に返すのではなく別の人に送ることを指す「恩送り」。
 家業を立て直すことができた感謝の気持ちを次世代の育成のための奨学金創設という形で表した行動は、まさに「恩送り」だと思いました。
 美しい日本語の響きから、私は勝手に、このような考え方は日本人特有のものかと思っておりましたが、英語にも同じような意味を表す「ペイ・フォワード(pay it forward)」という言葉があるそうです。
 同タイトルの映画があり、コロナ禍の中、再び注目されているとか。
 言葉や文化は違っても、同じような考え方や行動はあるのだと思うと、うれしい気持ちになりました。

17 バトン(広報いいだ令和4年6月号から)

 令和4年4月29日、私の住む鼎名古熊で30年前に埋められたタイムカプセルが開封されました。
 国道153号飯田バイパス第2工区開通に合わせ、当時の公民館(名古熊分館)が企画したタイムカプセル。その中には、30年前の区民の皆さんの思いが詰まっていました。
 企画当時の公民館長(故人)が30年後の区民に宛てた手紙には、「今地球は『開発』の名のもとに破壊の道をたどっているといわれ、様々な問題が提起されています。かけがえのない『地球』を人間自らの手で破壊していることは最も憂うべきことです。<中略>名古熊の古き良き伝統を継承し、新しいものとの『調和』を保ちながら地域づくりが進められることを私共も心掛けております。『地球はひとつ』の合言葉のもと国際化が進んだ近代的都市名古熊を思い浮かべながら2022年名古熊の皆さんへのメッセージと致します」と筆文字で綴られておりました。
 故人の憂いが残念ながら現在進行形であることを認めざるを得ませんが、そのことも含め、その洞察と深い思いに、居合わせた誰もが感動したことでした。
 古き良き伝統を継承し、新しいものとの調和を保ちながら地域づくりを進める。
 私も、「30年後の区民」の一人として、その思いをしかと受け継いでいきたいと思います。

16 さしすせそ(広報いいだ令和4年5月号から)

 副市長時代も含め、職員の皆さんに仕事上の「勘所」をどうお伝えするか腐心してきましたが、最近は、「さしすせそ」でお伝えすることにしています。
 「さ」、些事(さじ)をおろそかにしない。大きな不祥事も、大きな成果も、小さなことの積み重ねの先にある。
 「し」、知る。自分の担当する仕事のことをしっかり勉強し、知識不足によって市民の皆さんにご迷惑をかけないように。
 「す」、素直。上司・同僚からのアドバイスや市民の皆さんからの声に素直に耳を傾けることができる人は、周りから愛され、すくすくと伸びていく。
 「せ」、整理、清掃。身の回りをきれいにしておくことが、気持ちを整え、効率的な仕事につながる。
 「そ」、想像力を働かせる。ほかで起きたことも、上司の言動も、「自分だったら」と考えてみる。相手の立場や気持ちをおもんばかる。
 ご推察のとおり、「料理のさしすせそ」がヒントになっていますが(私の名前がサトウだけに⁈)、それなりにポイントが押さえられているのではないかと自画自賛しております。
 ただ、「せ」については、秘書課の職員から「どの口が言っているのか」という指摘を受けかねない机の上となっており、忸怩(じくじ)たるものがあります。
 今年も、自戒を込めながら、新規採用職員の皆さんにお話ししました。

15 昭和な風景(広報いいだ令和4年4月号から)

 今年になってから、毎週日曜午後8時に、家族揃ってテレビの前に集まっています。そう、NHK大河ドラマです。
 かれこれ10年以上大河ドラマを観ずに過ごしていましたが、今年の「鎌倉殿の13人」は、息子たちに引っ張られる形で、毎週面白く観ています。
 思えば、自分も子どもの頃、いくつかの大河ドラマを熱心に観ていました。「黄金の日日」で川谷拓三さんがのこぎり引きの刑にあうシーンとか、「山河燃ゆ」で西田敏行さんが富士山を見て感涙にむせぶシーンなど、強烈に印象に残っています(あとは、大村益次郎役の中村梅之助さんがうまそうに湯豆腐を食べるシーン。いずれも物語の本筋とは外れていますね(笑))。
 録画ができるようになってから、決まった時間に家族がテレビの前に揃うということがめっきり少なくなりました。
 大好きな脚本家である三谷幸喜さんがどんな物語を紡いでいくのか楽しみなのはもちろんですが、今年1年、家族みんなで、同じ時間、同じ空間で、同じ物語を辿っていくことになるのが、何とも好もしく、楽しみに感じています。
 息子たちの脳裏には、どんなシーンが残っていくのでしょうか。家族揃ってテレビを観たことを、自分が親となったときに思い出すでしょうか。この風景をテレビの側から撮っておきたい、そんな思いにかられる日曜日の夜です。

14 サウイフモノニ(広報いいだ令和4年3月号から)

 小5の次男との「寝る前読書」で、年末から年明けにかけて読んでいたのが「ドリトル先生航海記」(福岡伸一訳)。本編を夢中になって読んだのはもちろんですが、次男には読み聞かせなかった「訳者あとがき」を、なるほどと思って読みました。
 訳者は、ドリトル先生の好ましさの本質を「公平さ」だと説きます。ドリトル先生は、相棒のスタビンズ少年を子どもだからと下に見ることなく、文化の違う民族にも、そして動物たちにも、分け隔てなく接します。このドリトル先生の公平さが、誰もがこの物語に惹かれる大きな理由となっている、というのは実に納得がいきました。
 それから、あとがきを読むまで、不覚にも「ドリトル」が「do little(ほとんど何もしない)」であることに気付いていませんでした。ドリトル先生は、何もしないどころか、難破して漂着したクモサル島で担ぎ上げられて王様になると、道路や下水道などのインフラ整備から子どもの病気の治療まで、昼夜分かたず、東奔西走、全力を尽くします。
 この感じ、どこかで・・・と思ったら、「雨ニモ負ケズ」でした。ドリトル先生の軽やかでどこかとぼけた感じと宮沢賢治とは、似ても似つかないように思いますが、私は二人に通ずるものを感じ、そして、1ミリでも近づきたいと思ったことでした。

13 ぴったりの言葉(広報いいだ令和4年2月号から)

 正月2日、中三の長男が書き初めに選んだ文字は、「緊褌一番(きんこんいちばん)」。恥ずかしながら、私にとっては初めて見た四文字熟語でした。
 調べてみると、「気を引き締め、十分な覚悟を持って事に当たること」。どうやって見つけてきたのか、確かに高校受験を控えた彼にはぴったりの言葉です。
 お父さんにもぴったり、と本人は言いませんでしたが、私としては、いい言葉を教えてもらったと啓示のようなものを感じたことでした。
 まさに今年は、「コロナ禍を乗り越え、『日常』を取り戻す」という難しい課題に取り組む年。信州大学の新学部誘致、文化会館の建て替えの議論、南信運転免許センターの設置などなど、大きな課題も目白押しで、それこそ、褌(ふんどし)を締めてかからないとなりません。
 勉強机に向かうのを逃避するかのように時間をかけて何度も書き直す長男を横目に、一人そんなことを考えておりました。
 仕事初め式で話そうとも考えましたが、私と同じように漢字を思い浮かべられない職員が多いだろうと推測して、こちらで書くことにしました。
 この文章が皆さんの目に触れる頃、新型コロナウイルスの感染状況がどうなっているか心配ですが、しっかり気を引き締めて臨みたいと思います。

12 思いつないで(広報いいだ令和3年12月号から)

 10月1日に信州大学の学長に就任された中村宗一郎さんが新学部の創設を検討すると言及されたことを承けて、「ぜひ飯田に!」と名乗りを上げさせていただきました。
 4年制大学(学部)の設置は、当地域の悲願。思い出されるのは、宮澤芳重(みやざわよしじゅう)さんのことです。
 松川町に生まれた芳重さんは、経済的事情で進学を断念しますが、学問への思い捨てがたく、家出同然で上京。職を転々としながら勉学に励む傍ら、「郷立(ごうりつ) 飯田大学」を構想し、生活費をギリギリまで切り詰めて、設立のための寄付を重ねます。将来の大学図書館の蔵書にと飯田図書館(当時)に書籍を贈り、飯田大学に併設する天文台につなげるために飯田高校に天文台をと訴え、自らも篤志を拠出して飯田高校の初代天文台創設に貢献しました。
 その後、芳重さんの進言を受けて「飯田大学準備委員会」が設立され、「飯田大学」創設に向けた検討が行われましたが、その実現を見ないまま、芳重さんは昭和45年、72歳でこの世を去られました。
「郷里に家から通える大学を」という芳重さんの思いをしっかりと受け継ぐ―没後45周年を記念して平成27年に製作されたDVD「いま宮澤芳重」を改めて拝見しながら、心に誓ったことでした。
◉文中に紹介したDVDは、飯田市立図書館で借りられます。

11 春草のごとく(広報いいだ令和3年11月号から)

 菱田春草。子どもの頃から、「春草の落ち葉の秋よ」(下伊那の歌)と歌って育った私が、その本当の凄さを知るのは、恥ずかしながらずっと後のことです。
 度々病を患い、視力を失いそうになるという厳しい状況の中で、4点の重要文化財をはじめとする名画を残したその精神力と画力には驚嘆するばかりですが、私が惹かれるのは、流行の西洋技法に流されるのでもなく、従来の日本画の在り方に拘泥するのでもない、その両者の融合・調和を目指して新しい日本画の在り方を探求しようとしたその生き様です。
 というのも、この地域の将来を考えるにつけ、春草の生き様こそがお手本になるのではないかと思えてくるからです。
 リニア開通を待つまでもなく、世の中はどんどん便利になっていきますが、その一方で、この地域の良いところ、「らしさ」が失われていくことを心配する向きもあります。リニアやICTなどの新しい技術の良いところは取り入れながらも、都会のコピーのようなまちにしてしまうのではなく、この地域の自然風土、歴史文化を残した「暮らし豊かなまち」を創っていきたい、と思います。
 元々、東西文化の融合点として貴重な民俗文化を残すこの飯田下伊那に、リニアという最新の文明をどう融合させていくか。この難しい課題に春草のごとく取り組んでいきたいものです。
◉菱田春草没後110年特別展は、11月7日まで飯田市美術博物館にて。