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市長エッセー(市長室から)その21~30

ページID:0179441 更新日:2023年9月1日更新 印刷ページ表示

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます

30 夢みのれ 真珠の願ひ 青空に(広報いいだ令和5年8月号から)

 先日、飯田東中学校の生徒代表4人が、りんご並木70周年を記念してりんごの品種名を表示するプレートを更新すること、その費用をクラウドファンディング(※)で集めることの報告に来てくれました。

 その際に頂いた、りんご並木の歴史を記した冊子『夢と希望』を読んでみますと、これまで私が知らなかった様々なエピソードが記されていました。

 私が「ほぉ」と思ったのは、かつて「りんご並木を削って駐車場に」という提言が出されたけれど、市民アンケートを取ったところ3分の2以上の方が反対し、りんご並木は守られた、というエピソードです。

 中心市街地に駐車場が足りないという声は今でもありますが、当時は今以上にその声は強かったものと想像します。その中で、「目先の利益」に惑わされず、「大事なもの」を守る選択をした飯田市民の皆さんの見識に、快哉(かいさい)を叫びたくなりました。

 後から振り返ってあれこれ言うことは簡単ですが、その渦中にあって後世から見ても「よかった」と思える選択をすることは、とても難しいことだと思います。

 リニア・三遠南信道の開通を控えた今、身につまされる思いで読んだことでした。

 70年前の先輩たちの精神を受け継いで活動を続ける東中の皆さんに、心からのエールを送ります。

※クラウドファンディング:インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達すること

29 おいけにはまってさあたいへん(広報いいだ令和5年7月号から)

 5月のとある土曜日、次男の通う中学校で、新1年生の保護者による環境整備作業が行われ、私も長男のとき以来4年ぶりに参加しました。

 お聞きすると、そもそもコロナ禍で環境整備作業自体が4年ぶりとのこと。私のグループが掃除を担当する中庭の池も、いかにもという濃い緑色をしていました。

 「まずは魚をすくってください」という先生の一言に、張り切って網を持って入っていったものの、何しろ水の中が見えませんから、闇雲に網でかき回しても、まるで魚はすくえません。そして「悲劇」が訪れました。池の中心部に深いところがあるのに気付かず、ズボッと膝の上まではまってしまったのでした。

 長靴の中に池の水が入り、不快なことこの上ありませんでしたが、なすすべもなく。

 その後、作戦を変更し、テレビ番組さながら、全員のバケツリレーで池の水をすべて汲み出して、池の掃除は無事終了(魚たちは、もちろん保護)。見違えるようにきれいになった池を見ながら、皆で達成感に浸ったのでした。「ここに市長がはまった」とプレート付けとこう、とか言って笑いながら。

 バケツリレーの筋肉痛が2、3日残ったのには閉口しましたが、人がリアルに集まるってやっぱりいいよな、と思ったことでした。

 その翌日のごみゼロ運動も、PTAの資源回収も、私にとっては、ご近所さんと顔を合わせる貴重な機会でした。

28 そっとのぞいてみてごらん​(広報いいだ令和5年6月号から)

 今年2月に、上久堅小学校4年生(当時)の皆さんから、同校のメダカ池を「復活」させるプロジェクトに取り組んだという報告のお手紙を頂きましたので、「今度見に行きたいと思います」と返事を送っていたのですが、先日、その約束を果たすことができました。

 5年生になった7人は、池に入れるメダカをどうやって確保したか、池の環境整備にどのように取り組んだかという経過と、自慢のメダカ池をたくさんの人に見に来てもらえるようもっとPRしたいという抱負をイキイキと話してくれました。

 池にメダカがいなくなってしまったことについて、自分たちの力で何とかしたいと思い立って復活プロジェクトに取り組んだ彼らの姿は、70年前にりんご並木を作ろうと立ち上がった東中学校の生徒たちと私の中で重なり、私もメダカ池のPRに一役買いたいと思った次第。

四季折々楽しめる上久堅小のメダカ池、皆さんもぜひ訪れてみてください。

 

(追伸)手紙と言えば、侍ジャパン栗山英樹監督にWBC優勝おめでとうございますとハガキをお出ししたら、何と!お返事を頂きました。「また子供たちに会いたいですね。くれぐれもよろしくとお伝えください」とのことでしたので、この場を借りてお伝えします(お子さん、お孫さんに話してあげてください)。​

27 サボテン博士とりんご並木​(広報いいだ令和5年5月号から)

​ この4月から始まったNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」は、植物学者の牧野富太郎をモデルとする槙野万太郎(神木隆之介さん演)が主人公の物語ですが、その万太郎があこがれる植物学者・里中芳生(いとうせいこうさん演)は、あの飯田出身の「日本の博物館の父」田中芳男がモデルとなっているということです。

 恥ずかしながら、私自身が田中芳男のことを知ったのは、ほんの10年ちょっと前、副市長として飯田に帰ってきてからのことですが、その業績を知るにつけ、こんな人物が飯田から出たのかと驚きと誇りを覚えました。

 ドラマの中では、里中は「サボテン博士」という設定のようですが(確かに、田中芳男もサボテンの研究をしていたようですが)、田中芳男の業績は、「日本で初めて」のものだけでも「博覧会の開催」「博物館の創設」「上野動物園の開設」「国立国会図書館の創設」などなど、十分主人公を張れるくらいのものがあります。

 そして、「西洋りんごの接ぎ木」をして日本にりんご栽培が広がるきっかけを作ったのも田中芳男だと聞けば、りんご並木70周年の年に彼をモデルにした人物がNHKの朝ドラに登場するとは、なんて不思議な巡り合わせだろうと感じます。

 この原稿を書いている時点では、まだ里中芳生はドラマに登場していませんが、それを楽しみに、ご家族皆さんでご覧いただければと思います。

26 自分の食器は自分で洗う(広報いいだ令和5年4月号から)

 先日、共同通信社から「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」が発表され、長野県は全体の真ん中あたりの順位でした。
 ジェンダーとは、社会的・文化的に作られる性別を指すとされます。「男らしく、女らしく」「男だから、女だから」というあれですね。
 性別に関係なく誰もが自分らしく活躍できる状況を「ジェンダー平等」といいますが、日本のジェンダー平等は、世界の中でも相当に遅れています。
 そして、その日本の中でも「地方」では遅れが大きく、それを嫌って「都会」に女性が吸い寄せられている、と看破したのは、今年1月に飯伊市町村議員研修会の講師に招かれた中貝宗治さん(前豊岡市長)です。私も大いに共感します。
 2020年国勢調査の結果を分析すると、飯田市では、若年層の、特に女性の「回帰定着率」が一貫して低いことが読み取れました。2022年の飯田市の社会減の数字は、長野市に次ぐ337人。決して数字だけを追うわけではありませんが、若者や女性が幸せに生きていける地域になってこそ、「日本一住みたいまち」に近づくというものです。
 自分の家族(パートナー、お子さん、お孫さん)が、男だから女だからという理由で役割や価値観を押し付けられ、窮屈な思いをしているとしたら…と想像してみてください。私たち一人ひとりが、身の回りから少しずつ変えていきましょう(表題をご覧ください)。

25 ご心配をおかけしました(広報いいだ令和5年3月号から)

 飯田市で25年ぶりのNHKのど自慢が行われた日の朝、喉に痛みを感じて検査キットで調べたところ、コロナの陽性反応が出ました。のど自慢の放送開始前に挨拶することになっていましたので、会場にコロナウイルスを持ち込まずに済んだことは良しとしたいと思いますが、感染対策の徹底を呼び掛けていた者が感染してしまい、どこかに隙があったのだと反省しております。
 思えば、その以前2週間は仕事を終えて夜のうちに移動するような無理な出張が重なっており、体力・免疫力が落ちていたのだと思います。
 症状としては、熱は37度台と大したことはありませんでしたが、2~4日目の喉の痛みは結構辛かったです。市販の解熱鎮痛剤が熱には効いた一方、喉の痛みにはあまり効いた感じがなく、トローチやのど飴では太刀打ちできませんでした。
 自宅療養中も、オンラインで会議に出席したり、メールのやり取りで仕事は出来たのですが、代理出席をお願いしたり欠席したりした会議・出張・式典も多数あり、関係者の皆さんに大変ご迷惑をおかけしてしまいました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
 「コロナとの共生」とは言っても、感染しても構わないということではありません。過度に恐れず、でも気を付けて。医療・福祉施設などの皆さんのことも心に留めながら、上手に舵を切っていければと思います。

24 名に恥じぬよう(広報いいだ令和5年2月号から)

 年明け早々、うれしいニュースが飛び込んできました。「田舎暮らしの本」(宝島社)の「住みたい田舎ベストランキング」特集で、飯田市が人口5万人以上10万人未満のまち部門総合1位に選ばれました。
 実際の移住者の多寡というより、2百数十に及ぶ評価項目の評点に基づくランキングとのことですので、関係者の「頑張り度」が評価されたものと受け止めています。担当職員らの努力、そして何より移住コンシェルジュの皆さんをはじめとする市民の皆さんのご協力の賜物と感謝しております。
 飯田市の魅力を一言で表現するのは難しい、といつも思っていますが、「日本一住みたい田舎」のフレーズが使えるようになるのはうれしいことです。
 山も水も美しく、晴天率は全国トップクラス。動植物の北限南限が交差し、東西文化が融合する伝統芸能やお祭りの宝庫。魅力的な「人」が豊富なことも合わせて、「多様性」が持ち味の飯田市をPRするのに、「つかみはOK」というところですが、これに浮かれることなく、引き続き、移住を希望する皆さんお一人お一人の人生に寄り添って、一人でも多くの方が、このまちで幸せな人生を送っていただけるよう努力していきたいと思います。
 「人口は人生の数に他ならない。幸せで美しい人生を一人一人が享受することが一番大切だ」という藤山浩さん(持続可能な地域社会総合研究所所長)の言葉を胸に。

番外編 2023年「年頭書簡」(広報いいだ令和5年1月号から)

 あけましておめでとうございます。
 健やかに新しい年を迎えられましたこととお慶び申し上げます。
 この3年間、コロナ禍に振り回されてきましたが、今年こそ、本当に今年こそ、当たり前のことが当たり前にできる「日常」を取り戻す年でありたいと願います。
 2023年は、市の総合計画「いいだ未来デザイン2028」の計画期間12年の折り返しの年に当たります。
 人口減少、特に、若年層の女性の回帰率が低いことを最大の課題と捉え、若者が住みたいまち、女性が住みたいまちという視点で、さまざまな分野における政策を検証していきます。
 また、現下の国際情勢や物価高・原油高の状況は、外部への依存度を下げ、国際情勢の影響を受けにくく足腰の強い社会を構築する転機、と捉えるべきと考えます。食料・資源・エネルギーの地元調達、農業・林業の振興、エシカル消費の推進などに将来を見据えて取り組んでいきたいと思います。
 未だコロナ禍の収束は見通せず、信州大学の新学部誘致、文化会館の建て替え、リニア駅周辺整備など課題は山積しておりますが、「対話と現場主義」という自らの政治姿勢、初心を忘れることなく、引き続き全力で市政運営に当たってまいります。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

23 AI時代を生き抜く力(広報いいだ令和4年12月号から)

 先日開催された長野県図書館大会の基調講演の講師として、「AIvs.教科書が読めない子どもたち」の著者・新井紀子さんが来飯され、対談する機会に恵まれました。いつかお会いしたいと思っていた方にこういう形でお会いできるのは、まさに役得です。
 「キーワードから検索して答えを出すAI(人工知能)は、文章の『意味』は分かっていない」と看破する新井さんは、単語だけを拾い読みして分かった気になるような読み方しかできない人(文章の「意味」が読み取れない人)は、AIに仕事を取って代わられてしまうと警告しています。
 著書では、「読書量が多い、或いは、本が好きということと、読解力が高いということには相関関係がない」と書いておられ、私としては少なからぬショックを受けていたのですが、近著では、多くの大人との関りが、子どもの語彙力・読解力を高めることを示唆しておられ、また、お話の中で、最近の研究結果として、「視写(見て書き写すこと)」に取り組むと読む力が向上するようだ、とも仰っておられました。
 新井さんとお話ししながら、豊かな自然と触れ合い、地域の大人たちとの関りの中で育っていく飯田の保育・教育環境は、これからの時代、都会に比べて間違いなく優位であると改めて確信しました。
 保育現場・学校現場と協力して、これにさらに磨きをかけていきたいと思います。

22 「前事不忘・後事之師」(広報いいだ令和4年11月号から)

 もはや旧聞に属しますが、8月に長野県市長会総会が飯田市で開催された際、視察先に「満蒙開拓平和記念館」を選びました。
 当時国策として進められた満蒙開拓の歴史を知るにつけ、仮に自分自身がその時市長であったなら、どのような行動・どのような態度を取っていたか甚だ心もとない、といつも感じておりましたので、このような思いを他の市長さんたちと共有できればと思ったからですが、時あたかもロシアのウクライナ侵攻をはじめ国際社会が不安定な状況となっており、結果的に時宜を得た視察になったと思います。
 9月には、飯田市歴史研究所主催の地域史研究集会「満州移民~下伊那から再考する」がオンラインで開催され、地元のみならず全国から大勢の方が参加されました。
 私も一部を聴講しましたが、当時の世界情勢の中でなぜ満洲移民が行われ、飯田下伊那から大勢の人が赴くことになったのか、その一端を知る機会となりました。
 終戦から77年、当時のことを知る方々が年々少なくなる中で、歴史の教訓を次世代に語り継ぐことは、我々の責務であると考えます。
 そして、実際に体験していない我々世代が語り継ぐためには、資料や証言、その調査研究の成果を、単に「伝える」だけでなく、その場に身を置いた自分を「想像し、考えてみる」ことが大事なのではないかと思います。
 貴重な機会を得た、今年の夏でありました。

21 自分への約束(広報いいだ令和4年10月号から)

 侍ジャパン栗山英樹監督が飯田に野球教室でおいでになった際、御指導を受ける機会を得た次男(小6)は、以前からファンであったところに拍車がかかり、私との「寝る前読書」でも栗山監督の著書「栗山ノート」(光文社)を読むことになりました。
 栗山監督は、毎日の出来事や試合の反省とともに、中国の古典や経営者らの言葉の中から「これは」と思うものをノートに書き留めているのだそうですが、それを本にまとめたのが同著です。
 私でもちょっと難しい内容、しかも、次男本人は文字を見ない「読み聞かせ」ですので、すぐに嫌になってしまうだろうと思ったのですが、あにはからんや、ついに最後まで読み(聴き)通しました。
 栗山監督が取り上げた言葉の中で次男が一番気に入ったのは、吉田松陰の「人間たるもの、自分への約束を破る者がもっともくだらぬ」だとのこと。「四書五経」などからの引用に比べて分かりやすい言葉だったということもあるのでしょうが、自分でやると決めながら出来ていないことがたくさんあることに思い至り、ハッとしたのではないかと思います。
 栗山監督は、その松陰の言葉を引用した項で、新入団選手に本を贈り、その本の余白に「自分の人生の約束」を書いて持ってくるように言った、というエピソードを紹介しています。
 私も、市長になった頃の初心を忘れぬようにせねば、と思ったことでした。