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市長エッセー(市長室から)その31~40

ページID:0112846 更新日:2024年6月25日更新 印刷ページ表示

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます​。

40 ゆたかなるまち(広報いいだ令和6年7月号から)

 今年のオーケストラと友に音楽祭の「また会おう会」(打ち上げ)の際、名古屋フィルハーモニー交響楽団の音楽監督・川瀬賢太郎さんがこんなことをおっしゃっていました。

 「音楽祭をやっているまちはたくさんありますが、飯田ほど『世界共通言語としての音楽』のことを市民の皆さんが分かっているまちはないんじゃないかと思います。」

 市民は「ただ聴くだけ」という音楽祭が多い中で、飯田のオケ友は、企画も運営も市民の手づくり、音楽クリニックには子どもから高齢者まで様々な世代の市民が参加し、体育館や商業施設などまちのあちこちでミニコンサートが開かれ、最後のホールコンサートにはもちろん大勢の皆さんが訪れる、実に「市民の、市民による、市民のための」音楽祭であり、それをごく当たり前のこととして受け入れているこのまちの雰囲気を、名フィルの皆さんは好もしく思ってくれています。

 思えば、このまちには、人形劇といい、獅子舞といい、霜月祭りをはじめとする各地のお祭りといい、『世界共通言語』と言える文化が暮らしの中にたくさんあります。

 かつて岸田國士は「飯田ゆたかなる町…老若男女みなそれぞれの詩と哲学をもつ町」と謳いました。

 大人がつい「何もない」と言ってしまうこのまちが、外からは「文化度の高いまち」として高く評価されていることを、子どもたちにはちゃんと伝えなくては。

39 敵はどこ?(広報いいだ令和6年6月号から)

 少し前のことになりますが、市内の認定こども園を訪問したときのこと。

 園長先生が、私のことを「飯田市のことを守ってくれている人だよー。」と子ども達に紹介してくれたのですが、それを聞いた一人の男の子が「敵はどこにいるの?」とちょっと不安げな顔をしながら私に尋ねてきました。

 「守ってくれる」と聞いて「敵がいる」と考えた、小さな子どもならではの微笑ましいエピソードではあるのですが(節分の鬼の印象が残っていたのかもしれません)、実はなかなか深い問いです。

 その場では、「ハハハ、心配しなくても大丈夫だよー。」と答えて、その子は「そうなの?」という顔をしていましたが、もし「おじさん、ごまかさないで!」と詰め寄られていたら、どんな会話が続いたのでしょうか。

 園長先生は「守ってくれている」と言ったけど、この人(市長)は僕たちを何から守ってくれているの?そう真正面から訊かれたら、何と答えればいいのか⁈

 市民生活を守る、環境を守る、経済を守る、教育を守る、福祉を守る、文化を守る、歴史を守る、そして平和を守る・・・そもそも「守る」って何?変えないこと?「不易流行」って言えば何となくそれらしいけれど・・・思索は巡ります。

 法律には、「(市を)統括し、代表する」と書いてある市長の仕事。小さな子どもになんて説明すればいいか、まだ答えは出ていません。

38 上質なローカル(広報いいだ令和6年5月号から)

 3月末にJR東海がリニア中央新幹線の開業時期について「静岡工区の着工から少なくとも10年はかかる」と発表し、その翌週には静岡県の川勝知事が6月議会をもって知事を辞任(※)すると表明しました。

 2027年開業断念は、以前からいろいろな場面で示唆されていましたので冷静に受け止めましたが、「10年先」というのは思っていたよりも長い時間で、うーんと唸ってしまいました。

 まず思ったのが、2027年開業を前提に土地を提供された地権者の皆さんのこと。移転を余儀なくされた皆さんの心情を察するに余りあるものがあります。せめて飯田市が行う駅周辺整備事業については、開業を待たずに一部先行して供用開始し賑わいをつくれるよう、計画を見直したいと思います。

 リニア開業が10年以上先となることで、企業誘致や移住促進などへの影響は避けられませんが、それを嘆くというより、改めて、リニアに寄りかかり過ぎない地に足の着いたまちづくりを進めていかなければと思った次第です。

 いたずらに都市的なものを追い求めるのではなく、飯田の自然風土、文化、先人の皆さんが築いてきた「暮らしの豊かさ」、この地域の「らしさ」を守りながら、リニアの利便性も兼ね備えたまちを目指す――『上質なローカル』を目指す――これまでも申し上げてきたまちづくりの視座を持って、一歩一歩前に進んでいきます。

※4月10日に退職届提出

37 野球しようぜ!(広報いいだ令和6年4月号から)

 大谷翔平選手から贈られたグローブが2月の終わりに(やっと)市内の小学校にも届きました。メッセージカードとともに。

 私が子どもの頃は、外遊びと言えば野球。近所の子どもが自然と集まってきて、日が暮れるまで球を追っていました。

 思い出すのは、小学校1年生の頃、父に作ってもらったバットのこと。その頃、我が家は薪で焚くお風呂だったのですが、父がその薪を削って青色のペンキを塗ったバットを作ってくれたのです。

 嬉しくて公園に持っていったら、年上の子に取り上げられ、その子は軽々と片手でそのバットを振って楽しそうに遊んでいるのですが、自分は使わせてもらえず。「お父さんが作ってくれたんだ、返して!」と泣いて頼んで返してもらったシーンを時にふと思い出します。

 その後、小学校高学年になって買ってもらったバットやグローブを今でも捨てられないのは、その時のことがあるからかもしれません。皮の薄いノーブランドのグローブ、まだ使っています。息子の球を受けるには、中に軍手をはめないと痛いですが。

 子ども達には、大谷選手のグローブを大切に使ってほしい。飾っておくのではなくて、しっかり使って、しっかり手入れして。いつかボロボロになったとしても、大勢の子どもが野球を楽しむきっかけになったとすれば、大谷選手は喜んでくれるはずです。

 新学期。さあ、「野球しようぜ!」

36 上を向いて歩こう(広報いいだ令和6年3月号から)

 改めて、能登半島地震によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 今回の地震の状況は、私たちにとって決して他人事ではありません。今、飯田市が同じような大きな地震に見舞われたら対応できるか、1つ1つ検証しながら、備えを強化していかなければと考えています。

 また、コロナ禍の3年間で地域の防災力が低下しているのではという懸念もあります。いざという時には、日頃のご近所づきあい、顔の見える関係がものを言います。今年は、自治基本条例や公民館活動について地域の皆さんとともに改めて学び直す年にしたいと思っています。

 この原稿を書いている1月末現在、今なお1万4千人を超える方々が避難所に身を寄せておられます。大切な人を亡くした方、住む家を失った方・・・ライフラインもままならず、先が見通せない中、どんな思いで毎日を過ごしておられるか、想像するだに心が痛みます。

 被災した方々に今「前を向いて」と言うのが酷だとすれば、東日本大震災のときがそうだったように、せめてこの歌が勇気を与えてくれることを祈ります。そして、「ひとりぼっち」という思いを抱かずに済むように、できる限りの支援と私たちの思いを届けたいと思います。

 (追伸)被災地向けの募金、珠洲市向けの義援金・ふるさと納税にご協力いただいた皆様に心から感謝申し上げます。

35 環境文化都市から世界を想う(広報いいだ令和6年2月号から)

 昨年のクリスマス直前、飯田市にも嬉しいプレゼントが届きました。

 飯田市が「実証タウン」となる予定の信州大学の水素エネルギーと水循環の研究が、「地方中核・特色ある研究大学強化促進事業」に選ばれたというニュースです。全国の69大学から応募があり、選ばれたのはわずか12大学。いかに期待の大きい研究かが分かります。

 飯田市では、水と太陽光から光触媒を用いて水素を創る「グリーン水素」の実証プラントの設置が計画されているほか、そのグリーン水素の利活用、「信大クリスタル」という吸着剤を用いて浄水する水循環技術の中山間地における実証など、最先端の研究の成果の社会実装が試みられていく予定です。

 これらの研究は、世界のエネルギー事情や水環境をめぐる課題を解決する鍵となることが期待されているものであり、飯田で育まれた技術が世界を変えていくことになるかもしれないと思うとワクワクします。そして、この地に研究者や学生が集まり、「信州大学南信州キャンパス」が形成されていくことも期待したいところです。

 環境文化都市を標榜する飯田市として、積極的に信州大学を応援するとともに、研究機関や関連企業の誘致につなげていきたいと思います。

(追伸)能登半島地震によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

番外編 2024年「年頭書簡」(広報いいだ令和6年1月号から)

 あけましておめでとうございます。

 健やかに新しい年を迎えられましたこととお慶び申し上げます。

 昨年は、5月に新型コロナが2類から5類へ移行し、多くのイベント・地域行事が再開されました。

 医療機関や福祉施設では引き続きコロナ対策を実施しており、世の中にマスクの着用を続けている方も多いという状況ではありますが、令和6年は、コロナ禍の経験を活かし、新たな将来に向けて力強く踏み出す年にしたいものです。

昨年は長年の課題に道筋

 10年以上前から県に要望してきた運転免許センターの設置は、長野県の令和5年度11月補正予算に飯田警察署の建て替えに係る設計費が計上され、本格的に動き出すことになりました。また、それに伴う飯田創造館閉館という課題についても、南信州広域連合が旧地場産業振興センターの一部等を改修して新たな文化芸術活動支援施設を整備することになりました。新しい文化会館についても、今年度中に基本構想をまとめ、令和6年度には設置場所を含む基本計画をまとめます。

 信州大学の新学部設置が見送られたことは、市民の皆さんの期待が大きかっただけに失望も大きかったことと思いますが、信大が進める「水と太陽光から水素を創る」という世界最先端の研究の関連施設を飯田市に誘致し、研究機関・関連企業の誘致につなげていきたいと考えています。

今年は「日本一住みたいまち」に向け取り組みを加速

 現在、令和6年度当初予算の編成作業中ですが、この3年間コロナ対策を優先せざるを得なかった分、来年度予算は、私が目指す「日本一住みたいまち」「環境文化都市」の実現に向け、ギアを入れ替えて取り組みを加速する予算としたいと考えております。

 「地元を離れた若者が帰ってこない」という当市の構造的な課題にしっかりと向き合い、「結婚や出産・子育ての希望に寄り添っていくこと」「ゼロカーボンシティ実現に向けた取り組みを加速すること」を大きな2つの柱として、予算編成を行ってまいります。

 合わせて、土地利用計画の見直しやいいだ未来デザイン2028後期計画策定を通じ、令和6年は、未来への礎を確かなものにする年としたいと思います。

 

 皆さんにとって幸多き一年でありますことを心からお祈りいたします。

 本年もよろしくお願いいたします。

34 空をこえて、ラララ(広報いいだ令和5年12月号から)

 今年の妻からの誕生日プレゼントは、鉄腕アトムをあしらったネクタイ。結婚式で立会人代表(仲人のようなものです)をお願いした片山善博さん(当時、鳥取県知事)が、「勝負ネクタイ」として鉄腕アトムのネクタイを愛用していたことを思い出して贈ってくれました。

 鳥取県は、当時も人口最小県。片山さんも、ここぞというときに鉄腕アトムのネクタイを着けて、「なりは小さくとも、十万馬力だ」と自らを奮い立たせていたのかもしれません。

 アトムは、「星のかなた」を目指して飛んでいきましたが、飯田市では、もう少し地上に近いところで、ドローンや空飛ぶ車などの「次世代エアモビリティ」をリニア駅からの二次交通の手段などとして社会実装することを想定するとともに、新産業としての参入も狙って信州大学航空機システム研究講座(大学院)とエス・バード(南信州・飯田産業センター)が連携して研究を進めています。これはもう鉄腕アトムのようなマンガの世界ではなく、現実になりつつあることです。

 これに加えて、信州大学が取り組んでいる「水と太陽光から水素を創る研究」にエス・バードが関わっていけることになれば、夢はさらに広がります。

 農業や林業も含めた広い意味での環境・GX(グリーントランスフォーメーション)の取組を進め、「ワクワクするまち」を創っていきたいと思います。

33 ひらけごま(広報いいだ令和5年11月号から)

 近年、「秋が無い」と感じることが多くなりました。今年は、少雨も重なって、秋の味覚・きのこも残念ながら不作に終わりそうだとか(10月第1週現在)。

 それでも朝夕はだいぶ涼しくなって(この文章が皆さんの目に触れる頃には、もうすっかり寒くなっているでしょうが)、「読書の秋」を楽しむ夜長の季節になりました。

 先日、市役所の職員に奨めたのは、『道は開ける』(D.カーネギー著/創元社)。楽しみとして読む本というよりは、いろいろな悩み事への対処法が書かれた「実用書」です。

 例えば、「今日、一日の区切りで生きよ」という項には、過ぎてしまった昨日のことを後悔せず、また、まだ来ない明日のことをあれこれ思い悩むことなく、今日一日だけを生きることに集中せよ、ということが様々な人物の例を引いて書かれています。「なあんだ、当たり前のことじゃないか」と思うかもしれませんが、悩みの真っただ中にいる当事者にとっては、その一文に救われることもあります。私も、悶々としたときに開いて、何度も助けられてきました(もっと若い頃にこの本に出会いたかった!)。

 心を軽くする、心を整える、心を熱くする、心を弾ませる、心を豊かにする。読書の効用は、挙げればきりがありません。せっかくの秋の夜長、少しの間スマホを遠ざけて、本を開いてみませんか。

32 ぱなしくん(広報いいだ令和5年10月号から)

 結構な年齢(中学生くらい?)になるまで、母から「開けっ放しのぱなしくん」「出しっ放しのぱなしくん」とよく注意されていました。

 部屋を出た後の戸が開いたまま、服を取り出した後のタンスが引き出されたまま、使った後の道具が出したまま・・・「泥棒が入ったようだ」ともよく言われました。​

 時は経ち、自分が親になって、「モノを使ったら元の場所に戻しなさい」「服を脱いだらほったらかしにしなさんな」と息子たちに注意する度に、「お父さんも昔、おばあちゃんに言われてたけどね」と心の中で舌を出しています。そして、息子たちに「お父さんだって」と言われないように気を付けている、ということであって、決して自分の「ぱなしくん」が完治しているわけではないとも思います。

 市役所の新規採用職員には、「はじめのうちに社会人としての基礎的習慣を身に着けることが大事」と言っていますが、あっという間に書類で一杯になる市長室の机を見れば、「お前もな!」と突っ込まれそうです。

 通勤時のゴミ拾いは、もはや習慣となり何の苦もありません。であれば、今からでも気を付けていれば、机の上に書類を溜めない人になれるのではないかと希望的観測を抱いているのですが・・・。

 世の中の「ぱなしくん」諸氏(本人には自覚がないかも⁈)、ともに頑張りましょう!

31 栗山さんの言葉を胸に広報いいだ令和5年9月号から)

 8月の初め、地方紙に載った「新学部設置見送り」の見出しに、がっかりした方も多かったことと思います。

 信州大学が、「情報系人材の養成については、学部レベルではなく理工系の大学院の拡充で対応していく」という方針を出したことで、当初想定していた「情報系の新学部」を設置するという線が事実上なくなったもので、昨年来の国の政策の変化を踏まえれば「想定の範囲内」ではありますが、やはり残念です。

 しかし、4年制大学(学部)の設置は、宮澤芳重さんをはじめこの地域の先人たちがずっと願い、取り組んできたこと。ここで意気消沈しているわけにはいきません。

 信州大学からの報告を聞いたとき、私は、栗山英樹さんが「飯田市民の皆さんへ」と残してくださった色紙の言葉を思い出していました。

 「夢は正夢。人はどんなに失敗をしても、成功するまで頑張ることが出来れば、夢は叶います。信じています。全力でいきましょう。」

 7月に行われた信州大学新学部誘致推進協議会総会でも申し上げましたが、GX(※)など当地域の強みを活かせる新しい学問領域を念頭に、引き続き、4年制大学(学部)の設置実現に向けて、粘り強く取り組んでまいります。

 市民の皆さんにも、「どうせ無理」と諦めたり、斜に構えたりせず、自分事として考え、応援していただければ幸いです。

※GX:(グリーントランスフォーメーション)

    化石燃料をできるだけ使わず、クリーンなエネルギーを活用していくための変革やその実現に向けた活動のこと(経済産業省HPより)​