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市長エッセー(市長室から)その51〜

ページID:0121789 更新日:2025年9月29日更新 印刷ページ表示

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます​。

​​​53 みずから、はじめる~From Water,From Myself​(広報いいだ令和7年10月号から)

 先日、信州大学の「アクア・リジェネレーション共創研究センター」の開所式に招かれて行ってきました。

 なぜ私が招かれたのかと言えば、それはもちろん、飯田市(南信州)を実証タウンとして堂免一成先生のグリーン水素の社会実装に向けた研究が行われるからです。

 ご挨拶の機会を頂きましたので、こんなあらすじのお話をしました。

「水と太陽光から水素を創る、この世界のエネルギー事情を一変させるような研究が飯田市のエス・バードを拠点に行われることを、大変嬉しく、誇らしく思います。堂免先生には、ぜひノーベル賞を取っていただいて、神岡町がカミオカンデで有名になったように、飯田市のエス・バードが世界中に知られることになる日を夢見ております。少し先に延びてしまいましたが、飯田市にはリニアの駅ができます。そうすれば、甲府にも20分で行けますから、山梨大学(注:当日は山梨大学の学長もお見えでした)とも簡単に行き来できます。松本・飯田・甲府、このトライアングルから世界を変えていきましょう!」

 遠藤守信先生のMO膜、手嶋勝弥先生の信大クリスタルも含めて、飯田市(南信州)で行われる「水」の研究、市民の皆さんにもぜひ関心を持っていただき、「自」分ごとのように応援していただければと思います。将来の大学院誘致、さらには学部誘致につなげていけるように。

​​52 名店の実力(広報いいだ令和7年9月号から)

 7月某日、午後6時過ぎ。私は、東京四谷のとある牛たん屋さんのカウンターの端っこに居ました。同期会が始まる7時まで少し時間があったので、せっかく四谷に来たことだし、昔職場の同僚とよく行っていたその店を訪ねてみることにしたのです。

 まだ早い時間だというのに店内はとても混み合っていて、これは無理かなと思いましたが、帳場の女性が無理してカウンター席を1つ空けてくれたのでした。

 名物の「ゆでたん」と生ビールを独り味わっていたところ、ふと背後から「味は変わっていませんか?」と声を掛けられました。ニコニコとそこに立っていたのは、店の女将。「はい、美味しく頂いてます。」と答えましたが、内心、とても驚きました。

 確かに何度も足を運んだ店ではあるものの、1人で行ったことはなく(つまり、かつて「常連客」だったわけではありません)、しかも最後に行ったのは、出張の際に誰かと寄った少なくとも15年以上前のはず。到底、女将が私の顔を覚えていたとは思えないのですが、仮に誰か他の人と勘違いしたのだとしても、そういう佇まい(昔を懐かしんでいる様子)で独り飲んでいる客に声を掛けてくれた女将の心遣いが嬉しかったことでした。

 店を出るときに女将の姿は既になく、幻だったのかとさえ思いましたが、昔と変わらぬ「ゆでたん」の味以上に、私を喜ばせてくれた出来事でした。

​​51 リンゴなみ木(広報いいだ令和7年8月号から)​​

 このコラムが皆さんの目に触れる頃には既に終わっていますが、7月に総務省自治大学校で講師としてお話しする機会を頂きました。

 飯田市のまちづくりが市民の皆さんの自治の精神(ムトスの精神)に支えられていることをりんご並木のエピソードを紹介しながらお話ししようと考えています。

 『心に太陽を持て』(山本有三編著・新潮文庫)に「リンゴのなみ木」というタイトルのお話が収められていることをご存じですか?

 同著には、パナマ運河開設の話やスコットの南極探検の話、「落穂拾い」で有名な画家ミレーの生涯や「ロウソクの科学」という名著を残した科学者ファラデーの生涯など、山本有三が世界中の逸話の中から厳選した物語が二十編余り取り上げられており、その中で我らが「リンゴのなみ木」の物語は、トリ前(最後から2番目)を堂々と飾っています。

 自治大の講義では、そこから次のような飯田東中学校の生徒の言葉を紹介しようと思っています。

「ぼくらは、赤い美しい実をみのらせることによって、町を美しくするばかりでなく、町の人々の心をも美しくしてゆきたいのだ。そうした社会的精神が、町じゅうに行きわたる時、はじめて、この飯田市の復興も達成されるのだと思う。」

 リンゴの実に大火からの復興の希望を託した先人たちの思いを、「まちのDNA」として将来にわたって繋いでいきたいものです。