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市長エッセー(市長室から)その61〜

ページID:0121790 更新日:2026年7月1日更新 印刷ページ表示

飯田市長・佐藤健が日々感じたことを記していきます​。​​

62 ​馬と飯田の深イイ話(広報いいだ令和8年7月号から)

 今年は午(うま)年。何を今さら。いや、先日、来年4月開館予定の「ごんが歴史交流館」の展示内容の説明を受け、その後、「竜丘古墳まつり」にもお招きいただいて、飯田と馬との深い関係を改めて認識しましたので、今回はそれを書こうと。

 畿内と東国を結ぶ内陸の大動脈「古東山道」が作られた今からおよそ1600年前の古墳時代、日本列島に大陸から馬が本格的に導入されたのとほぼ同じ時期に、飯田にも馬がもたらされました。当時のヤマト政権にとって、飯田は東へ進出するための前進基地であり、交通の要衝として馬が政策的に配置されたと考えられています。竜丘付近を中心に数多く残る古墳の数や大きさから見て、その当時、馬を飼育しヤマト政権に供給した有力者が飯田にいたことが伺われます。

 奈良時代においても、東山道の要衝として、飯田は国家の交通事業を支える地であったと考えられており、当時の伊那郡を統治した郡役所(伊那郡衙(いなぐんが))が置かれました(その跡が「恒川官衙(ごんがかんが)遺跡」です)。

 江戸時代から明治頃までは、伊那街道、遠州街道、秋葉街道などが交わる飯田は、「中馬」という運送業の積み替え・荷分けの地として大いに発展しました。東海地方と信州の内陸部を結ぶ中馬流通網の中心地として栄え、それに伴い紙や元結などの手工業も発達し、商工業都市としての飯田が形作られたのでした。

​61 木は文化(広報いいだ令和8年6月号から)​​

 2月末に行われたリニア駅前広場に整備する木造大屋根に関する講演会。飯田高校卒業生である北川原温東京藝術大学名誉教授のお話の中で「木は材料ではなく、文化である」という言葉に深い感銘を受けました。

 私はこれまで、地元産の木材が使われる、地元の設計士の皆さんがチームを組んで実施設計をする、地元の工務店が施工する、といったことに木造大屋根の意義を見出していましたが(もちろんそれぞれ意義深いことですが)、この地域の豊かな森林資源や紡がれてきた文化を象徴・体現するのが木造大屋根であり、そのことが市民の皆さんの誇りと愛着につながるのだ、という北川原さんのお話に大いに得心したことでした。

 心配していた「お金」のことも、構造計算を担当した稲山正弘東京大学教授によれば、「一般住宅用の流通材と金具を使うように設計されているので、それほど高くはなりません」とのこと。また、構造材が雨に濡れないように設計されているので、定期的なメンテナンスをすれば(法隆寺のように)長持ちすることも教えていただきました。

 稲山さんは「りんごの樹の構造が今回の大屋根の構造になっている。まさにシンボル。飯田の文化的な名所になると確信している」とも。「文化がこれからの経済を動かしていく」という北川原さんの言葉も含め、示唆に富む言葉をたくさん聴くことができた講演会でした。

 ※北川原さんのご講演と稲山さんも交えたパネルディスカッションの様子は動画でご覧いただけます。

 リニア動画