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飯田アカデミア第69講座 「古代シナノの原像をさぐる」を開催しました

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年10月30日更新

飯田アカデミア2013 第69講座報告

アカデミア第69講座01 飯田アカデミア第69講座02

 10月19日(土曜日)・20日(日曜日)に、静岡大学名誉教授の原 秀三郎先生をお招きし、飯田アカデミア第69講座「古代シナノの原像をさぐる―古典学の再生と地域史の方法を求めて―」を開催しました。

 原秀三郎先生の講義は、『日本書紀』などの古典の丹念な読解と、地名などの現地に残された情報の利用によって、古代のシナノに関するまったく新しい見方を提示するものでした。原先生は、かつて「大化の改新」否定論によって古代史研究に大きな見直しをせまりました。今回の講義でも、1点の着想をもとにしながら全体的で斬新なビジョンへつなげていくという、原先生の研究スタイルが存分に発揮されていました。2日間4コマの長時間におよぶ講義でしたが、まったくお疲れの様子もなく、さらに1時間も延長されて熱弁をふるわれ、聴講者のみなさんも熱心に耳を傾けておられました。

 講義の論点は非常に多岐にわたっていましたが、その中の最も基本的な構想を示すと次のようになります。伊那谷・諏訪・松本平などは、古墳時代に「三野後国」(みののみちのしりのくに)とされ、千曲川流域の「科野国」(しなののくに)とは異なる地域でした。ところが、6世紀後半の蘇我氏と物部氏の戦いによって「三野後国」に強い影響力をもっていた物部氏が衰退すると、松本平~伊那谷にも「科野国」の勢力が浸透してきます。こうして現代まで続く信濃のまとまりができたというのです。この構想は現段階では完全に証明されたものではありませんが、古代の信濃のあり方を考える上で、非常に魅力的な内容を含んでいます。

 また、伊那谷についても、水運と木工に長じた渡来系の猪名部(いなべ)の集団が住み着いていたこと、伊豆木地区に伊豆出身の水運に従事する集団が居住していたこと、舟形埴輪の出土した川路殿村遺跡が水運の起点となったことなどをお話しされました。これらは、これまでの研究ではまったく考えられてこなかった新しい視点です。原先生の提起をうけた上で、伊那谷の古代史をどのように構築していくかが、今後の課題となります。

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