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第20回飯田市地域史研究集会を開催しました
第20回飯田市地域史研究集会を開催しました
テーマ : 飯田下伊那の学制と地域社会 ―「人づくり」から「ひとなる」へ―
◆9月9日(一日目)
第一部 飯田下伊那における学びのあゆみ
講演 地域と学校の関係史 ―地域にとっての学校/学校にとっての地域―/木村 元(青山学院大学)
報告 小学校の設置・運営と地域社会 ー飯田下伊那の事例にそくしてー/多和田真理子(國學院大學、飯田市歴史研究所)
報告 地域と共に歩む下伊那農業高校/遠山 善治(下伊那農業高校創立100周年記念誌編纂委員会)
報告 松下千尋日記」にみる農村青年の自己形成/田中 雅孝(飯田市歴史研究所)
1日目の討論の様子
◆9月10日(二日目)
自由論題報告
報告 飯田における百済系土器とその意義/春日 宇光(飯田市教育委員会)
報告 明治・大正期の松川入における河川と山林利用/伊藤 悠(飯田市歴史研究所)
第二部 学びの歴史を記録し引き継ぐ
報告 満州開拓慰霊碑が子どもたちに遺したもの ―千代小学校6年生の学び―/坂下 力(元千代小学校)
報告 記念誌の制作意義と学校に残したい資料について/田添 莊文(竜丘小学校開校150周年記念誌編集責任者)
報告 住民による下市田学校の再生/松島 高根(下市田学校応援隊)
坂下 力さん 田添 莊文さん 松島 高根さん
9月9日・10日に「飯田下伊那の学制と地域社会 ―「人づくり」から「ひとなる」へ―」をテーマとして第20回飯田市地域史研究集会を開催しました。社会の大きな変化の中で、地域における学校のあり方も再考を求められています。今回の研究集会では、こうした現代の課題も念頭に置きながら、人びとの学びの歴史を考えることを目指しました。
1日目の第1部「飯田下伊那における学びのあゆみ」では、最初に木村 元さん(青山学院大学)が講演「地域と学校の関係史―地域にとっての学校/学校にとっての地域―」を行い、日本における学校の歴史展開を、近代学校→「日本の学校」→戦後の学校→現代の学校という4段階で整理し、その特徴を明らかにしました。続いて飯田下伊那に即した3本の研究報告が行われ、多和田真理子さん(國學院大學、歴史研究所顧問研究員)は、創設期の飯田学校(現・追手町小学校)と地域の関係を、事務担当者・教員・生徒・運営資金の側面から考察しました。遠山善治さん(下伊那農業高校創立100周年記念誌編纂委員会)は、下伊那農業高校の創立から現在までの足跡を、豊富な写真とともに紹介しました。さらに田中雅孝さん(歴史研究所調査研究員)は、松下千尋というひとりの青年が、軍隊や青年学校指導員などの経験を通して自己を形づくる過程を描き出しました。
2日目の第2部「学びの歴史を記録し引き継ぐ」では、現在の学校と地域の取り組みに着目し、3本の実践報告が行われました。坂下 力さん(元千代小学校)は、地域の戦争体験と向きあった千代小学校6年生の学びについて紹介しました。田添莊文さん(竜丘小学校開校150周年記念誌編集責任者)は、150周年記念誌の制作を踏まえ、学校資料の保存と活用の重要性を指摘しました。松島高根さん(下市田学校応援隊)は、旧下市田学校校舎の活用の様子と、その保存をめぐる歴史を紹介しました。
また、2日目には、自由論題報告として、春日宇光さん(飯田市教育委員会)の報告「飯田における百済系土器とその意義」と、伊藤悠(歴史研究所研究員)の報告「明治・大正期の松川入における河川と山林利用」もありました。
今回は、オンラインも併用しつつ、4年ぶりに対面で開催することができ、2日間で延べ156人の参加を得ました。全体討論で司会の田嶋 一さん(國學院大學名誉教授)が指摘したように、いま「ひとなる」ことを改めて考える意義が明らかになったように思います。