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飯田アカデミア第101講座を開催しました(2024022425)
広島工業大学准教授 金澤 雄記さんに「城と城下町 ―米子城を事例として―」について講義していただきました
- 開催日 : 2024年2月24日(土曜日)・25日(日曜日)
- テーマ : 城と城下町 ―米子城を事例として―
- 講 師 : 金澤 雄記さん (広島工業大学准教授)
- 会 場 : 飯田市役所 3階会議室
講義概要
現存しない城郭建築(天守・御殿)の復元方法や、城下を構成する町家の建築形式について、しばしば取り沙汰される天守閣再建の問題や、町並みの保存・利活用の問題と引きつけながら、講師が長年研究対象とする米子の事例を中心にお話しいただきました。
テーマ 城と城下町―米子城を事例として―
第1講 「城郭の復元 ー城の復元の現状をどう考えるか―」
最初に天守をはじめとする城郭建築がいかに復元されるか、その歴史と現状が述べられました。戦後、各地で再建された城郭は、外観をRc造で模したり、史実と異なる意匠が付加されていたりと、必ずしも原状を忠実に再現したものではありませんでしたが、その背後には参考となる史料の乏しさに加え、地域のシンボルを恒久的に残したいという思い、見栄え上の理由など、地域ごとに特有の事情が存在していました。平成に入り城郭建築を内部構造も含め木造で再現する動きがみられるようになりますが、それもどの年代の形態を復元するかなど、依然として課題を抱えています。
第2講 「米子城天守 ―現存しない建物をどう復元できるか―」
軍事機密であった天守は一般に建築史料がほとんど残されませんが、廃城令以前に撮影された古写真や、わずかな絵画・図面を手掛かりとして、非現存のものもある程度確度の高い復元をおこなえる場合があります。米子城では大天守の古写真と、小天守の幕末修理時の指図が残存しており、そこから立体的な構造や細部意匠を合理的に推測することで、全体の姿が復元されます。併せて当日は、Vrによる米子城の再現や、講師が近年取り組んだ慶長度江戸城天守の復元作業についても紹介がなされました。
第3講 「米子城御殿 ―飯田城の御殿もどんな建物だったか―」
天守が城郭の軍事面を司る施設であるのに対し、城主の政治行為や居住の場が御殿です。日常的に使われた御殿は、改修のたびに図面が作成されるため比較的史料が豊富であり、詳細な間取りや使い方を読み取ることができます。米子城では廃藩後、二の丸に造営された御殿の指図がのこされています。城代が短期間滞在する拠点であったため生活空間が必要最小限であり、別荘的な性格を持つ御殿の形式であったことがわかります。
第4講 「米子城下町の町家 ―生業の影響で町家がどう変化するのか―」
市街地で道に面して建設される「町家」について、これまでの建築史ではあまり顧みられてこなかった住民の生業・生活との関連から、その建築形式が論じられました。米子城下でみられる町家の例として、(1)複数軒が一体となった例、(2)旅館建築、(3)呉服屋、(4)材木屋が取りあげられ、実際の使い方に応じて多種多様な町家の形式が生み出されることが述べられました。また現代的な取り組みとして、米子における町家町並みの保存再生プロジェクトの紹介がなされました。