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飯田アカデミア第97講座を開催しました(20221105-06)

ページID:22021119 更新日:2022年11月19日更新 印刷ページ表示

 山口大学人文学部准教授 池田勇太さんに「明治維新と旧体制の廃棄」について講義していただきました

アカデミア97会場写真アカデミア97講師アカデミア97質疑応答

  • 開催日 : 2022年11月5日(土曜日)、6日(日曜日)
  • テーマ  : 明治維新と旧体制の廃棄                                              
  • 講  師 : 池田 勇太(いけだ ゆうた)さん (山口大学人文学部准教授
  • 会  場 : 伊賀良公民館 1階講堂

  

講義概要

 近世の武士による支配体制が、明治維新の変革の中でどのように解体されていったのかについて、明治2(1869)年の版籍奉還から同4(1871)年の廃藩置県に至る過程とその背景に焦点を当て、飯田下伊那の事例も踏まえつつ、多角的・総合的に論じられました。

テーマ  明治維新と旧体制の廃棄

第1講 「王政復古と領主制の廃棄

 冒頭で、現在までの研究史が簡潔に整理され、革命か王政復古かという論点をはじめとするさまざまな明治維新観が紹介されたうえで、歴史過程を具に跡付けていくことの重要性が指摘されました。そして、廃藩置県の前提となった明治2年の版籍奉還が取り上げられました。版籍奉還は、旧大名とその家臣団が藩を統治する姿は維持しつつも、大名を天皇から任命された地方官(知藩事)に位置付け直し、中央集権化を進めようとしたものであり、近世の領主制を制度的に終わらせる大改革でした。このような版籍奉還が可能になった背景には、政府が集権化の意図を明示しなかったこととともに、「王政復古」(神武創業へ)という建前のもとで、政府の要人のみならず、大名や藩の中にも郡県制(集権化)への支持が一定数存在したことがありました。こうして廃藩置県の論理的な前提が整えられました。

 

第2講 「明治初年藩政改革の論点

 版籍奉還後、各藩では藩政改革が実施された。この改革は、幕末までの改革とは異なり、政府の中央集権化の狙いとも関わって、内容が統一化・画一化される傾向にあり、また政府の富国強兵策への対応も求められ、藩の性格に変化をもたらしました。具体的には、第一に、「府藩県三治一致」の理念のもと、大名ごとに区々だった藩の職制が府県のそれに合わせられていきました。同時に、家政経営の組織としての大名家(=私)から行政組織としての藩(=公)が分離されました。第二に、大名の家臣たちが士族と規定されたのに伴い、各大名内部で細分化されていた階級が整理されました。また、禄制改革も進められ、家臣の家禄が大幅に削減されました。第三に、「民のための政治」が建前とされ、民政が重視されることになりました。飯田藩も領民に対して「民のための官庁、従前の私有私政の旧習を除く」と宣言しました。これらは、廃藩置県(府県化)の前提、行政の形成に結びつくものでした。

 

第3講 「武家支配の崩落現象

 廃藩置県や身分制解体の背景に存在した、この時期の武家社会の状況が、主に下伊那の旗本近藤家と飯田藩堀家を素材に明らかにされました。近藤家は、明治2年に他の旗本と同じく、知行地を伊那県へ引き渡し廩米取りとなりましたが、その直後に禄高が5,000石から150石に削減されました。そのため、翌年足軽を帰農させ、さらに家中一統へ解散を申し渡しました。こうして家臣たちは、商業や農業に活路を見出していくことになりました。また、近藤利三郎自身も山本村で帰農し、その後七久里神社などの祠掌を務めました。一方、飯田藩堀家は、藩政改革に取り組もうとするものの、二分金騒動に巻き込まれる中で、本丸の御殿や武器・道具類、城中はじめ郭の樹木までも売り払う羽目に陥り、領主支配を象徴する権威装置を失うことになりました。このようにして大名や旗本は、武家としての体面の維持が困難になっていきました。

 

第4項 「廃藩置県と開化論」

 明治4年7月、廃藩置県が断行されました。予想された諸藩の反抗はおこりませんでした。また、この年には身分制度の解体も進められました。これらの諸改革が実現できた背景には、第3講で触れられた武家社会の崩落現象とともに、郡県論や四民同一の思想を含む開化論の広がりがありました。西洋に対抗し、日本の独立を維持するためには集権化が必要との考え方は、幕末期から福澤諭吉や伊藤博文などによって唱えられていました。また、門閥の廃止や家禄の削減・平均化、諸階級の廃止につながる人材登用論(能力主義)も受け入れられつつありました。さらに、「士族が国家の歳入の大半を世襲坐食し、四民から強兵の軍隊をつくることを妨げている」という認識に基づく廃藩論の形成、華士族批判の風潮(世論)がありました。こうした開化論が、廃藩置県や維新変革の「時勢」をつくりあげていったのです。

 

 今回の講義では、版籍奉還から廃藩置県に至る過程を基軸に据え、こうした改革が実現できた背景を多角的・総合的に問うことにより、近世の武家支配の特質やその矛盾、あるいは維新変革の意味などが鮮やかに浮き彫りにされたといえます。

関連ファイル

飯田アカデミア 第97講座 (PDFファイル/810KB)

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