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【提言】お練り祭りの文化が継承されない明確な理由は

ページID:4202248 更新日:2022年5月19日更新 印刷ページ表示

やらまいか提言箱にいただいた提案内容と回答を紹介します

提言

お練りまつりの歴史を見ると中断、延期しても文化は継承されていると言えますが、今回は継承されないと判断された明確な理由を教えてください。

    慶安 5年(1652)
    50年ほど中断
 享保 4年(1719)2年おきの祭りとして復活
 享保19年(1734)諏訪御柱に合わせて7年に一度と変更
 寛政 6年(1794)文化2年(1805)「華美禁止のおふれ」が出されるなど制圧が加えられる。
          飢餓や大火、領主の逝去があると、質素に旗屋台で済  ませたり、祭りを延期。
 明治 5年(1872)大名行列を始める
 明治35年(1902)電線の架設により旗屋台と本屋台の引き回しが出来なくなる。
 明治終わり    東野では籠製の大獅子を登場させて評判を博す。
 大正 3年(1914)本格的な舞い方を牛牧から学ぶ
 大正 9年(1920)木製の獅子頭を導入

 

市からの回答

ご提言の中でまとめていただいたとおり、飯田お練りまつりは、慶安5(1652)年3月の大宮諏訪神社での祭礼が起源とされ、江戸時代から飯田城城下町の祭礼として一部内容の変更などを行いながら続けられてきました。
江戸時代に祭りの開催頻度を変更したほか、祭りの延期や出し物の追加・変更も経験しているという歴史は、調べていただいた内容からも読み取ることができます。
今回のお練りまつりには、計25団体の皆さまに出演していただきましたが、演舞を披露する芸能の多くは、各地区の住民を中心に組織された保存会により催行・運営されているのが現状です。
戦前のようにほとんどの方が自治会など地域組織に入り、自治会活動に参加している状況とは異なり、現在は個人の意識や考え方の多様化の影響で、自治会活動に参加する方が以前よりも少なくなり、地域自治組織や芸能等の保存会も高齢化が進んでいるのが現状です。
このような状況下でお練りまつりを中断または延期し、七年間活動を控えることにより、後継者不足の団体においては、演舞内容の引継ぎが上手く行われず、演舞方法を熟知している方がいなくなり、貴重な芸能文化そのものが途絶えてしまう恐れもあります。
各地区や団体が抱えている、少子高齢化による人出不足という現状の課題にご配慮いただくとともに、お練りまつり全体ではなく個別の芸能や保存会の存続に向け、中断や延期をせずに感染対策を講じて今回のお祭りを実施した経緯にご理解をお願いいたします。

 

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