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第11回飯田市地域史研究集会 内容紹介

ページID:0019259 更新日:2013年10月9日更新 印刷ページ表示

第11回飯田市地域史研究集会

 2013年8月24日(土曜日)・25日(日曜日)に、第11回飯田市地域史研究集会を開催しました。1日目の来場者数は約150名、2日目は約100名と、市外や県外も含め、たいへん多くの皆さんにご参加いただきました。リニア中央新幹線の開通による地域の変化が予想される中、今後とも歴史研究所では交通と地域社会の関係について深めていきたいと考えています。

特集 古代の交通と地方社会―イナ・シナノとその周辺―

講演「日本古代における交通地方社会」 
講演「日本古代における交通と地方社会」
明治大学 加藤友康さん

ディスカッションの様子
ディスカッションの様子

 古代の飯田市域を含む伊那郡、そして信濃国は、東山道(とうさんどう)という大きな道路によって都(奈良・京都)や関東・東北地方と密接な結びつきをもっていました。この東山道の交通がもたらす恩恵と負担は、伊那郡・信濃国の古代史を考える上で欠かすことができません。今年度の特集では、古代という時代に交通が地域のあり方にどのような影響を与えたのか考えました。

 明治大学の加藤友康さんは、最新の学説を紹介しながら、古代の交通の役割・機能や、それが地方社会に与えた影響について、全国的な視野から分かりやすく解説してくれました。県立歴史館の福島正樹さんは、古代の信濃国に広域的な行政ブロックが存在した可能性や、善光寺平・上田市周辺地域などの交通路と地域開発の関係などについて紹介されました。山梨県立博物館の海老沼真治さんは、東山道の道筋ではなかった信濃と甲斐の間にも、古代を通じた密接な交流があったことを述べられました。大阪市立大学の磐下徹さんは、群馬県高崎市に建つ多胡碑の碑文を手がかりにして、都と地方の交通が地域社会を維持する上でどのような役割を果たしていたのか明らかにされました。阿智村教育委員会の中里信之さんは、阿智村杉の木平遺跡の発掘成果などをもとに、隣国の美濃国で駅制が衰退する9世紀に交通の再編が進んでいたという可能性を提示されました。飯田市歴史研究所の北村安裕研究員は、伊那郡の東山道の経路について新たな仮説を示した上で、公的な交通が古代の伊那郡でどのような役割を果たしていたか考察しました。これら6本の講演・報告の後で、上郷考古博物館の市澤英利館長が弥生時代から古墳時代への交通環境の変化を説明された上で、各報告にコメントされました。最後に田島公顧問研究員の司会によるディスカッションがあり、それぞれの内容がさらに深められました。

 研究報告・関連展示 

 2日目には、4本の研究報告を行いました。古代の伊那郡の役所が置かれた座光寺恒川(ごんが)遺跡群の約30年に及ぶ発掘調査の成果について、飯田市教育委員会の坂井勇雄さんにが報告されました。座光寺小学校6年1組のみなさんは、座光寺の歴史について調べたことをユニークに、元気よく発表してくれました。飯田市歴史研究所の安岡健一研究員は高度成長期の農村における家族の変化について、千葉拓真研究員は江戸時代の飯田藩と京都のつながりについて、それぞれ報告いたしました。

 会場のロビーでは、古代の東山道や恒川遺跡群など、特集や研究報告と関連するパネルを展示しました。

会場ロビー パネル展示
会場ロビー パネル展示